2008年10月10日

前世でなにが起こったか

ダライ・ラマ法王は今朝、手術をされたそうです。一日も早い、ご回復をお祈りいたします(写真は4月10日の会見時)。さて、宗教には色々とありますが、何がポイントで人は宗教を決るのでしょうか。ブータンは国教がチベット仏教ですので、生まれながらにしてほとんどが仏教徒ですね。いま日本の場合は、生まれながらに○○教という方は少ないかもしれません。自分が色々知っていく上で宗教を選ぶ人が多いように感じます。日本では宗教団体が悪いことをしている影響もあって、特定の宗教を持たない人も多いですね。小さい頃から特に何かを信じなさい、とは言われてこなかったのでキリスト教も勉強したりしました。しかし、私は教会に入ると言いようのない恐怖感に襲われます。東京でも、ニューヨークでも、長崎でも、ハワイでも、どこであっても教会に入ると、とにかく何か怖いのです。先日、仕事中に聞いていたCDでグレゴリオ聖歌が流れた時も同じ感覚になり、上司に「こういう歌を聞くと、言いようのない恐怖感が沸いて来るんですよ」と、何気なく話したら「それは前世で何かあったのね」と言われ、合点がいきました。前世とかってハッキリ言ってよく分かりませんが、妙に納得してしまいました。前世を見る番組がブームで、世間や特に若い女の子が振り回されている感があり、何でも“前世が原因”にしちゃうのは、どうかと思うのですが、前世に何かあった・・・、というような考え自体は、前向きであれば別にいいのかなぁと思います。前世が何者だったかを深く追求することは無意味な気がします。私は仏教が好きで、色々勉強しています。好きに理由はありません。なので、これは前世の縁かなぁとも思います。
占いには気持ちが弱っていると振り回されちゃうこともあるので、あくまでも人生の参考なんだと思います。と言っておきながら、若かりし25歳の頃、銀座の父に見てもらったことがあります。36歳からおばあちゃんになるまで、ずっ~と幸せと言われ、なんで36歳なんだろうと疑問を持ちながらも、良いことなので何となく頭の片隅にありました。本当に36歳の時、大きな出来事があったので、そんなことってあるんだなぁと思いました。幸せかどうかは、おばあちゃんになってみないとわかりませんが、ほぼ当たっているような気もします。
私がブータンに行ったら、彼は結婚式をしたいそうで、その時期はお坊さんに占ってもらうそうです。ブータン流ってことで、それには従おうと思っています。足元はしっかりしておいて、占いを通して、大きなものに委ねることは、感謝の表れのひとつでもあるのかなぁと思っています。

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