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2011年11月12日

極端な感じ


今日のブータンはどんよりしているので、ネットの繋がりがあまりよくありません。天気に左右されるなんて、さすが自然な国ですね。黄葉は進んでいます。曇りでなければ、日中は部屋にいるとポカポカ。窓際は暑いくらいです。陽が入らない部屋は寒いので、標高が高い分、太陽は大事です。タシパパはまだ観光シーズンが続いているので、シンガポールの女性5人組のツアーに出ています。フリーランスのガイドもしていて、今回はABCツアーの仕事。お客さんが既に到着しているのに、ホテルがほとんど決まっていない状況で、タシはかなり怒りながらも自分でホテルを探してスケジュールを変更したりしてました。人気のある会社はとにかくブータンにお客さんを来さますが、管理がしきれていないようです。今年の5月からブータン・リトリートをタシは始めましたが、日本人だけで5人の方が、旅行が良くなかったと耳にし、とても残念に思います。ブータンは高額の旅行なので、ツマラナイ旅はして欲しくないですね。ブータンの素敵をいっぱい発見してもらって、思い出に残る素晴らしい旅になると良いなって思います。
さて、ダライ・ラマ法王様の原発による発言があちこちで聞かれますが、法王様は原発が良いとも悪いとも言ってませんし、仏教者であるので、それを意見する立場でもなく、いつもいっているのは「すべてのいのちの大切さ」です。日本の原発の状況について知る由もないし、原発反対の人は法王に「原発はよくない」と言って欲しかったんだと思いますが、それは宗教者の立場として発言するものでもないですね。そこをどうしても法王に原発反対と言わせようとするのは仏教的ではありません。もちろん私も原発反対だけど、「ダライ・ラマ法王が反対といっているんだから、原発はよくない・・・」みたいな構造は違いますね。法王は「よく検証するよう」にと言ってますし、普段、法王様が対話する科学者達の多くは原発推進の人かもしれません。日本の詳しい原発のことなんて分かるはずないし、法王は仏教者ですね。原発問題で抜けているのは倫理的な議論ですが、法王の力を借りるのではなく、日本人自らの力で解決する問題だと思います。
(写真:友達が撮ったナイスショット)

2011年11月9日

宗教って・・・



ブータンはチベット仏教国です。仏教のために生きているような人がいっぱいいます。ただ仏教が権威的な風にも感じます。尊ぶことは重要ですが、あまりに尊び過ぎて、形に重きを置きすぎているようです。現代の問題に仏教がもっと関わったら良いのになぁと感じます。若者は就職が難しく、みな将来に不安を抱え、お酒やドラッグに走ったり、問題を多く起こしています。そんな現代の問題に、ブータンの仏教者が智慧を説いてくれるといいのになぁと感じます。「良いことをして、悪いことをしないように・・・」では、漠然としていて分かりません。もっと仏教者と市民が対話が必要です。お布施(寄付)はいいことだけど「寄付すればいい」というのは何だか金がモノを言う世界と一緒のような気がします。

先日、日本で法話や慰霊供養をして下さったダライ・ラマ法王は、日本からインドではなく、そのままモンゴルに行かれたそうです。世界で一番、多忙なお年寄りではないでしょうか…。年齢的にもお身体も万全とはいえないと思いますが、世界中に智慧を説かれ、そしてチベットのことを世界に知らしめていっしゃいます。現在、法王は政治的な立場からは退かれ、若い首相が誕生したおかげで、中国やコキントウ、毛沢東などを名指しし言及されています。政治的な地位に居た時は発言できなかったけど、バンバンと中国の悪さを言っていたで、もっともっと報道して欲しいです。モンゴルは同じチベット仏教徒がほとんどの国なので、法王を大歓迎しているでしょう。そして、中国に責められる同じ境遇でもあります。


来日の目的の一つであった東日本大震災の慰霊や被災者と共に悲しみを分かち合うために福島へ行かれましたが、お寺で法王のお話が聞けるのは「檀家さんだけ」と厳しく限定され、席は空席が目立ったそうです。お寺の外には法王のお話を聞きたい方々で、いっぱいいたというのは、まったく日本らしいですね。法王はそれを即座に理解し、お寺の話しの途中で「外へ行きたくなった…」と、外に出てお話され、海に向かって読経されたそうです。さすがです。法王の存在そのものが癒しであり、慰霊なのを理解していないが日本の仏教者ですね。檀家だけが癒されれば良いのでしょうか…。どうして日本の仏教者は「仏教」を本当に理解していないのか、考えてみました。


日本では人生の締めくくりのお葬式は仏教で、仏教者は多いけど、本当の意味では仏教的には生きていませんね。ブータンは国教としての仏教なので、国の支援があり、お布施や檀家がなくてもやっていけます。日本はお寺や僧侶に対し、国の支援(税金以外)はありませんので、各お寺が檀家を拡大し、お布施で生きて行くしかありません。なので、日本のお寺は「会社」と同じで経営が必要なんですね。そうなると檀家(株主)が重要で、他はどうでもいい存在。なんと悲しい仕組みでしょう。日本の仏教者が本当に仏教を理解して、昔のようにお寺や僧侶が精神的・物理的に困った人を本当に助けてくれる場になるといいですね。


ブータンが幸せであるのは、仏教が根幹にあるからだと私は断言できます。「幸せ」をもっと意識し、日々、生きることが大切だと思います。


(写真:コンビニをのぞかれる法王。お店を見るのは大好きだそうですが、欲しくても1日考えると、たいてい買わないで済むそうです。権威的ではなく、すごく近い存在に感じます。)



2011年11月6日

Don't worry. Never give up.



チベット人の焼身自殺が続き、気分がずっと沈みます。しかも、僧侶たちです。チベット仏教徒にとって、自殺がどれだけ悪いことかを知っている人達です。彼らには他に方法がないのです。私にできることは何だろうと思いますが、署名活動を案内するくらいしか浮かびません。焼け焦げていく写真も目をそらさずに見ます。せめて、私の中に強く記憶させなくてはと思います。


ダライ・ラマ法王はいま、日本にいらして東北被災地を慰霊され、明日インドに戻ります。この写真をみて、涙が止まりませんでした。こんなにかわいい子を残して逝った両親は無念ですね。私は3.11後があまりにつらくて日本を逃げてきました。産後1年少しの私には耐えられませんでした。卑怯だなぁと思います。ちゃんと悲しみにも向き合おうと思います。法王様は講演で質問に応え、「この地球には約70億人の人間が居るが、それぞれ皆悩みや心配事を抱えいる。悩みや心配事が無い人間は1人も居ない。だから、今の自分を心配する必要もないし、諦める必要もない」と。

2011年11月5日

被災地へのダライ・ラマ法王のお言葉


決してあきらめないで




決してあきらめないでください


どのような困難にぶつかろうと


決してあきらめないでください


よりよい心を育み


思いやり深いひとであれ


身近な友人のことだけではなく全ての命を慈しみなさい


心の平安を保ち、世界平和のために行動しなさい


平和を得るために尽くしなさい


もう一度言いましょう


決してあきらめないでください


どのような状況におかれようとも


あなたのまわりで何が起ころうと


決してあきらめないでください






尊い人生




毎日、あなたが目を覚ましたとき、考えてみてください


今日も目覚めることのできるしあわせを


わたしは生きている


わたしには尊い人生がある


決して無駄にすまい


自分の持つエネルギーのすべてを


よりよい自分を育むために使おう


心を大きく広げ


生きとし生けるものすべての命を助けるため


悟りを得る努力をしよう


あたたかな気持ちで他者と向き合おう


怒りや悪意を持つのではなく


精一杯、他者のしあわせのために尽くそう


2011年10月12日

お祭り騒ぎ







昨日はチャンリミタン競技場で国王結婚のリハーサルをしていました。当日は混雑しているので、とても見れそうにないので雰囲気が分かってよかったです。ブータンの秋は夏よりも、はるかに暑く、頭で目玉焼きが焼けそうなので、練習している人達もすごいですが、当日は国王や首相など、あの灼熱の日差しで大変だと思います。先日、ティンプーのツェチュ(祭)に行った時も、すごい人でしたが、きっとはるかに超える人でしょう。第4代国王から5代に代わる戴冠式の際はあまりの人混みに死者も出たそうで、しかし、秘密のことでニュースなどには一切出ていないそうです。テレビでお茶でも飲みながら、見るのが私には良さそうです。秋はお祭りシーズンで、ツェチュは初めて。旦那と妹は仕事で行けず、妹の彼氏のお姉さんであるリンポチェの奥さんに連れていってもらいました。3日間の内、2日目が一番面白いということで、かなり楽しみました。人・人・人ですごかったですが、日陰に入ることができたので、どうにかなりました。暑さの中、踊り続ける僧侶もタイヘンだと思いますが、踊りよりも、「死後の審判」が面白かったです。死んだ後に天か地か、生前に善きことをしたか、悪いことをしたかで審判されます。悪いことは命あるものを殺すことが悪いことなので、蚊やゴキブリなど虫をたくさん殺してきた私は、死んだ人が審判後に地獄へ連れて行かれるところが、鳥肌がたつほど怖かったです。審判の途中が長い長い。すごくドロドロとしたBGMで、焦らす焦らす。ミリオネラのみのもんた以上の焦らしでした。帰ってから弟に審判のことを話すと「100%真実だ」と言っていました。私が笑っていると、お父さんを呼んできて、お父さんも同じく真実だと真剣に行っていました。ブータン人はこれを信じているから、よく生きようとして優しくて親切なのかもしれませんね。前のレリック(ブッダの歯)のブレッシング同様、ツェチュでも祝福が受けられますが、これまたエライ人。ギャーという声も聞こえるくらい列の先頭はタイヘンでした。私は中間に並んでいましたたが、朝の中央線並みの混雑具合でした。ただ違うのは、ちょっと臭かった…。リンポチェの奥さんが危ないからやめよう、と言ってくれたので良かったです。ブレッシングを受けたいのは分かるけど、仏教の大きな教えである「欲」と言う面では、ほどほどが良いなって感じがします。ご加護を受けたいという気持ちはわかるけど、何が何でもというのは強い欲なので、抑えるのが仏教の教えですね。ブータンは仏教国だけに、信心深く、すべてが仏教を基本に生活してますが、形に囚われているところもあるような気が最近しています。祈ればいいとか、行事をやればいいとかではなく、教えを燈明として、善く生きることが仏教徒なんだと思います。


(写真:ティンプー・ツェチュ。死者が審判されてるところに道化師が加わっているのが、さすがブータン。)

2011年9月26日

正念場かな



ロサル(仏教のお祝い)が年に何回かあり、23日は“Blessed Rainy Day”で長い雨季が明ける日と言われています。日本と同じ、季節の変わり目ですね。この日は水で身体を清めるとBlessingされてことと同じ意味だそう。水のひとつぶに天使がいるそうです。水道の水も、水源は自然・神の恵みなのでOKだそう。1時に洗うといいとのことで、テンちゃんも私も、髪を少しだけ濡らしてみました。その後、雨期は開けず、むしろ本格的な雨期に入った感じで、雨ばかり。洗濯物は乾きませんね。9月に入ってから日中の日差しがとても強く、セミが鳴き始めたので、四季があるといっても日本(東京)とは違いますね。朝晩は少し寒いくらいなのに、セミがすごく鳴いています。


大きな地震の後、余震はほとんどなく、忘れ去られそうな気もしますが、西の「ハ」は建物がダメージを受け、外に暮らしている人もいるそうです。首相は国連総会でニューヨークにいて、フェイスブックでコメントしたものの、ニュースではコメントがありません。今は日本で建築世界大会の基調講演や福島被災地訪問など予定があり、帰国は101日。自国が地震被害が大きいので、早く帰って来て欲しい気もしますが、外貨を稼ぐ意味もあるでしょうし、予定を変えるのは難しいのでしょうね。もし、これが日本だったら、首相バッシングですね。国王は東の方に公務で行っていましたが、戻ってきて被害のあったゾンなどを訪問しています。自然災害の時にはもう少し、国王も首相も良い動きをして欲しい気もしますがブータンの限界なのでしょう。


国王のニュースは頻繁にありますが、なぜ、第4代国王が王位を早々に譲ったか、その理由が分かった気がします。第4代国王はブータン人は神と思っています。ものすごい才覚で、これは多くに知られていますね。その前までは国王が亡くなってから、王位が移っていましたが、第4代国王は、それだとこの国は危ないと思ったのだと想像します。退いたフリして、バックでコントロールをしているのでしょう。第5代はもうすぐ結婚されますが、公務なのにずっと未来のお妃と手をつないでいます。場を弁えずスタイルを気にして、若者に受けようと違う方向に努力しているようです。妹曰く、「国王は私達の手本なのに、好きだからって、いつでも手をつないでるのは、国民には良くない影響だ」と、めずらしくまともなことを言っていました。若い世代は欧米化していますが、スタイルばかりを気にして、大切なことを失いそうな気がします。うちのアパートの隣の住人は、車のメンテナンスの成金です。うちにまで音楽がガンガンに響くほど大きな音をたてたり、家族はみんなタトゥだらけです。今日、ゴミを出しに行った時、お嬢さんに会いましたが、くわえ煙草に鼻ピアス。民族衣装のキラを来ていたので出勤でしょう。残念ながら、ブータンでは生活が裕福になると下品な方向へ行ってしまうようです。

2011年9月22日

理解が難しいと思うこと

18日の地震後、夜中に数回、震度1程度の余震がありましたが、周りのブータン人は誰も気づかなかったそうです。怖がっていたわりに笑えます。弟の学校では避難訓練で笛の合図と共に、机に入る練習をしているそうです。地震の話題は絶えませんが、何でも楽しむブータン人。どうやら最近は地震ネタに楽しんでいるような面も見えます。ただ西の方では民家3,000がダメージを受けていて、住めない家もあるそうなので深刻ですね。頻度は低くとも、日本と同じ地震地帯にある国だと分かったので、対策を取りたいと思います。


おととい、インドに住む僧侶の弟がやって来ました。2人いるカルマパ17世の、ダライ・ラマ法王が認めた方ではないカルマパの所にいる弟です。この弟は何だか問題がある気がします。有名なカルマパの元なので、あちこち海外に一緒に行くことができます。彼はフェイスブックで私と友人ですが、遊んでばかりいる気がします。うちに来てサーフパンツをはき、プロレスのテレビを見ている彼は、どうも僧侶と思えません。もちろん日々、色んな勉強をして、お勤めもしているのでしょうが、なんか、彼を見てるとしっくりこない…。仏教的な話は聞けないし、家に来て高そうなパソコンで何をしてるかと覗くと、今時の映画を見てました。パソコン以外にデジカメや携帯も高価そうです。トンサでお母さんの具合が悪くなり、プジャの必要になった時、弟は手伝いもせずティンプに帰ってしまったそう。お父さんは驚いたとか。うん~、なんだか彼の将来は心配です。僧侶として位が高くなると、海外での法要ではお布施が個々の財産になるそうです。リンポチェはとてもリッチだったり、その家族はとても潤います。リンポチェ、と言ってしまったモノ勝ちのようところもあり、それが本当に生まれ変わりなのか、そうでないのかは分かりませんし、違うというのも失礼ですね。なので、本来なら一人である生まれ変わりの僧が、ブータンには何人もいちゃったりします。ウソをついてはいないかもしれませんが、思い込みたいのかもしれません。だって、高僧の生まれ変わりはお金持ちになるので…。海外に連れていってくれ、最新のコンピュータなどを買ってくれるリンポチェは、私はどうも支持できません。もしかしたら、弟はそこから離れた方が僧侶としてはいいのかも。社会性と思いやりに少し欠ける弟よ、僧侶であることは素晴らしいことなのよ!


話し変わって先日のこと。旦那がお客さんと晩ご飯を食べに行ったら、別のお客さんのガイドが泥酔していたそう。あまりの酷さにタシさんが謝ってガイドを外させ、うちのお客さんと一緒にご飯を食べたそうです。ブータンのツアーは特殊で、ガイドが旅行中ずっと一緒です。そのガイドが良くないとツマラナイ旅行になります。ブータンはとても高い旅行代金を払っての旅なので、事前に確認した方がいいかも。最近、よくガイドが良くなかったと耳にします。タシさんはその日は怒りで眠れなかったそう。ずべてのブータン旅行が同じように質が悪いと思われたら悔しいと言ってました。ガイドの低下の原因は、ベテラン級のガイド達は、自分で会社を起こし、ガイドとしては出なくなり、今は新しいガイドが増えたそうです。国はlicenseを簡単に出すので、知識やマナーの低いガイドがいるんですね。


(写真:大家さんの家は、今日プジャです。前日にバターを使って、人形のような物を作ります)

2011年9月8日

幸せな理由



子どもが「ドラえもん」を見て、大喜びしてテレビに手を振るなんて想像もつきませんでした。大きくなったなぁ・・・。最近は思い通りにいかないと泣いて見たりするテンちゃんです。マネが得意で、どこからか綿棒を持って来て、耳に入れていたのでビックリしました。私のお化粧ポーチをいじって、鏡を見ながらお化粧していたのにも驚きました。何をするか分かんないので用心しないといけませんね。


昨日は神戸からのツアーの皆さんの招待で、夕食をいただきながら、主婦代表としてブータンについて、アレコレお話をさせていただきました。うちのお客さんではないのですが、ブータンについてメールで問い合わせがあり、お応えてしていたら、ぜひ会ってお話したいとのことでした。皆さんはGNHについてグループ論文を書くそうです。JICA所長さんや市役所で環境問題に取り組む日本の方のお話も聞くことができました。ブータンが幸せな理由や、知られていない現実問題など、とても勉強になりました。私が感じるところの究極は、やはり小さな頃からチベット仏教を親や学校が教えられていることは、この国が幸せである理由の最大要因だと感じます。日本は教育に宗教はタブーですが、信仰心や畏敬の念のようなことがあるとないでは、大いに違いがあるなって感じました。生活で大変なところを聞かれましたが、大変と思えばすべて大変なことばかりですが、その辺りは考えようなので、虫刺されくらいで、本当に幸せを実感できるとお応えしました。ツアーの皆さんからは不要になった衣類やタオルをたくさんいただき、必要とされているところへお渡しします。日本食もお土産にたくさんいただき、しばらく楽しめそう。


(写真:この時期恒例のエマ干し。屋根が赤く染まってくる時期です。辛みが増します)

2011年9月4日

死生観の差




アーチェリー大会がプリンスチームの優勝で幕を閉じました。ブータンとしては一番いい結果です。プリンスチームに勝っちゃう訳にはいきませんからね。強豪たちを集めたチームなので優勝は当たり前。チームに選ばれると仕事があっても練習に行かないといけないそうなので、それはそれで大変なようです。成績が最優秀者には車がプレゼントされましたよ。ブータンは残暑が厳しく、日差しが強すぎて日中は街に人が少ないくらいです。テンちゃんは日焼け止めを塗っていますが、それでも焼けていました。朝はすごく綺麗でこの風景を見ると、生きる力がわぁ~っと湧いてくる美しさですよ。


さて、お母さんもティンプの生活になれたような気もしますが、大変なことがありました。実家トンサではよくあることですが、前日まで平気だったのに、翌朝、あまりの痛みに気を失って25分間、意識がなくなり焦りました。よくあることのようで、意識なしが2時間くらい続くこともあるそう。その間、ずっと力が入っていて、身体はカチコチ。意識が戻った時、関節が痛くなるそうです。こんなことってあるんですね。日本だったら検査して治療もできるんでしょうが、なんせブータンなので、病院に行っても解決は難しく・・・。「痛くなった時にラジオがあったらすごく幸せ」というので、タシさんとラジオを買いに行きました。充電式がなかったので電池ですがバッタモンではないフィリップスのラジオをまけてもらって500ヌルタム(だいたい1,000円)で買いました。SONNYとか、面白いラジオもありましたよ。ラジオで痛みを忘れられるといいですね。


昨日、アパートの隣のお医者様が亡くなりました。今日はプジャ(法要)をしています。昨日から大勢の人が訪れています。ブータンでは亡くなっら火葬にしますが、その日時なども観てもらいます。場合によっては玄関でなく、窓から遺体を出すこともあるそうです。信心深いですね。日本より「死」の受け止め方が、かなりアッサリしていて、死は当たり前のこととして受け入れられています。日本ほど医療が進んでいないので死がいつも身近にあり、輪廻転生は当たり前のブータンなので、日本のように辛く苦しい死生観ではありませんね。死に対する受け止め方によって、「生」はかなり違ってくると思います。日本はこの受け止め方が言葉が変ですが上手ではないので、生きるのが苦しくなっているように感じます。


(写真:オンマニペメフム)


2011年6月18日

梅雨入り!?



昨日くらいから、どんよりなお天気が少し長くなってきました。いよいよ雨期に入った感じがします。先日は水が出ませんでしたが、大家さんは雨を大歓迎。アパートの水が出ないことにすごく責任を感じているようです。ブータンだから仕方がないんですけどね。こっちはインフラはまだまだ。「幸福の国」ですが、水が出ないくらで幸福を感じないところが日本人な私ですね。ブータン人は仕方がないと捉え、私なんかはどうにかできるんじゃない?なんて考えますが、この差が「幸福」かどうかを生みだすんだと思います。ブータン人は幸福と感じる度合いが日本人とはまったく違うから、幸せなのでしょうね。さて、先日妹の彼が長い休みを終え、インドの大学院へ戻って行きました。ずっと一緒に遊んでいたので、出発の時は涙が出そうになりました。彼もテンちゃんと別れるのがとても寂しかったようで、寝ているテンちゃんをずっと見ていました。一年後、卒業して戻ってきます。妹は彼氏の家族の家にやっかいになっていましたが、引越し先のアパートの完成が9月なので、それまでは我が家に住むことになりました。頻繁に兄妹ケンカをする2人なので少し心配ではありますが、テンちゃんの面倒を見てくれ、家事もたくさん手伝ってくれるので、大助かりです。彼女はタシセルという電話会社に勤務していて、夜勤なんかもあって仕事は大変ですが、まあまあなお給料をもらえるようで、末弟の学費も支払っています。妹は私が日本に戻っている間に、とても成長したなぁと感じます。彼氏がとても良い人で良い影響を受けているようです。付き合う人って重要だなぁと感じます。ところで、最近は日本人とブータン人のカップルが増えてきていますが、若干注意が必要です。ブータン男性は本当に優しいのですが、お金の面で問題があったり、ウソをつくことが悪いと思っていないこともあり、日本女性は被害に合いやすいように感じます。イタリア人のごとく、ガンガンに日本女性に声をかけ、日本女性もたくましくて優しいブータン人にほろっときちゃいますが、既に結婚して子供もいたりすることさえあります。前の国王は奥さんが4人いて重婚OKな国ですので、罪の意識はないのかもしれません。お付き合いをすすめていく上で、重婚とか嫌な場合は確認した方がいいかもしれませんね。


2011年5月11日

おもしろ~い



ブータンの国営放送を見ると、啓発というか、そんなこと「当たり前じゃん」的なことを放送しています。例えば、事故が起きた場合の救急車を呼ぶ方法とか、親のアルコールで子どもが学校に行けないのはダメだ、とか、そこらにゴミは捨ててはいけないとか。ブータンの人達は日本でいうところの常識をまだ知らないんですよねぇ。昨日、用があって銀行に行きました。えらい混雑ぶりであんぐりしながら壁に目をやると、掲示板のところにIDカードのようなモノが…。近づくと、まさに本物のIDがざっと20枚くらい。落し物でした。これがなくって困っている人も居ると思いますが、連絡とかしないんですね。もしかしたら連絡の取りようもないのかも。ブータンは日本みたいな何町目、何番地みたいな住所がありません。日本だったら悪用されるから…とか、重要なモノは落とさないように用心しますし、落としても、何かしら連絡がありそうですよね。だって、IDですよ。日本にはないけど免許証やパスポートみたいに、自分が誰か証明できるものって、かなり大切じゃないですかぁ…。ブータンの場合、悪用しようなんて考えもしないし、実際、使い用がないのでしょう。まぁ、お国違えば色んなことを考えさせられます。


最近はちょっとしたきっかけがあって、ブータンのGNH(国民総幸福量)について考えるようになりました。ブータンってGNHがあって「幸せの国」って多くの方が思われている気がしますが、GNHがあってもなくても、彼らは穏やかに、こころ豊かに居たと思います。幸せでない部分があるからこそ、ブータンという国が憲法にまでGNHを入れて、目標というか指針というかにして、目指すのであって、ブータン人が皆な幸せって訳でもないかなぁと感じます。ただ、彼らは「自分が幸せか」なんて、少し前まで考えてなくって、ただ仏教の教えに従って生きてきたから、執着を持たず、施しをして、情報量も少なかったから欲望も少なく、というか、どんなことしようがお金が入る訳ではないので、強い物欲を持ちようもなく、なので家族や親戚、友人との語らいを大いに楽しみ、深い欲望がないので焦りもなく、計画性もあまりなく、“いま”を生きているんだなぁと、感じます。日本人は頭が良すぎて、これって生きるのには、返って面倒なことが多いのかなぁ。無邪気に、自分の気持ちに純粋にいるブータン人は、いいなって感じました。(まとまりのない文だけど、これでいいのだ。)

2011年4月26日

ジェームズ・ラブロック博士の言葉

人は地球の主人ではない

地球はタフで優しい生命体である

 環境の破壊について、危機感を募らせながらも、自動車を手放すことはできないし、チェーンソーで木を切って資源にすることを急にやめるわけにもいかない。牛を育てるより大豆の方がエネルギーを使わないからといって、ベジタリアンになれるわけでもありません。しかしこのままの生活では地球の荒廃を招くと、多くの人は意識するようになりました。 

 でも、地球をどのように管理し人はこれから何を選択していけばいいのかと考えた時、実は私たちは地球そのものについて、あまりにも無知であったのではないかと思うのです。地球は火星や金星などと大きく異なって、単なる岩石の塊のような存在ではなく、自らが生き続けようとする生命力を持っています。その決定的な違いは大気の成分ですが、40億年もの間、地球だけが二十数%の酸素を維持し続けているのです。

 この酸素量がわずかに変化しただけで地球上の生物は決定的な打撃を受けますが、長い地球上の歴史の中で、どのような気象変化や変動が起きても、酸素量は神業のようにバランスを保ち続けてきました。また、人類が地球上に現れてさまざまな侵害を続けてきた以上に、もっとすさまじい攻撃――たとえば隕石(いんせき)が落ちるとか、気温が下がって氷河期に入るなどの激しい変動にも十分に耐え生き延びてきたのです。

 おそらく、地球上のすべての生命が大きな自己調節システムのような働きに関与し、生命の流れを維持するように存在しているのです。ですから、いま地球環境が悪い方向に向かっているから、地球を何らかの方法でコントロールしようなどと即物的に「治療」したり、科学的な方法に奔走すべきではありません。常に地球の大きな生命の流れに沿って決断をすべきなのです。

災害に立ち向かえる文明の力を磨く

 地球の資源に限りがあり、しかし手に入れた生活を過去に押し戻すことはできない。そう葛藤(かっとう)する時代にあって大切なことは、どのようにして人類と文明を保存するかです。まず、向こう100年の間に人類を襲うであろう大きな災害や不幸に対して、どう予想し、いかに対応するか。どのようにして立ち直るか。それができるのは高い文明があるかどうかにかかっていると思います。

 私は、日本という国が築いてきた文明が、世界に対して規範になれる可能性を感じています。海に囲まれ、土地が狭くさまざまな制約がある中で、高い文明を築き、経済的に成功し、人々の暮らしは豊かである。資源がなくても1億人を超える人々が飢えることなく、生命を全うしていく。その知恵を伝える使命が、日本の仕事のひとつでしょう。

 たとえばIT技術の発展への寄与は間違いなく地球環境への負荷を減らします。また、日本の伝統工芸や製品作りの技のように、ひとつの品を大切に愛し、息長く生活の中で使い続けることの合理性や、すぐれた知恵は確実にエネルギーの消費を減らします。私は、生物物理学者として地球や人類生命への負荷を理論的に考える時、人間の知恵は、必死でエネルギーの効率的な使いこなしを判断するのではないかと予想しています。

 私たちの暮らしに欠くことのできないものは数多くあります。それを放棄したり、あきらめたり、感情的に抑えこむのではなく、替えられる方法を探し求めること。蓄えてきた文明の中から発想して、新たな100年の可能性を人類に与える仕事をあなたの立場で考えるべきではないでしょうか。

都市を離れて、感じよ、考えよ

大人は、子と自然を巡り合わせよ


 たった今この世に生を受けた子供も、20年たてば成人します。その子供が、もし地球や自然、他の生命の営みについて、それが大切なものであると実感して成長したら、これはすばらしい方向をめざして歩いていくでしょう。 

 私も自然の中で育ちました。森の木も水も、動物も昆虫も生物として人間の仲間であることを体で分かるには、子供時代の経験が非常に大切です。都会にいて机上の学習をする時間を削り、子供を森や川や海へ連れていく努力をいとわないで欲しい。自分はナマの現実の世界の住人で、その中の一部であると感じられる体験が、必ず子供たちの生き方に反映され、環境へ取り組む思想に変化が現れます。私の父はいつも私を外へ連れ出し、4歳の時には、自然界を知るための道具は自分で作ればいいと、工具を与えてくれました。子供の心は自然界とつながっています。自分の生命が躍動するのを生き生きと感じる能力が備わっています。私は多くの調査機器を自分の手で作り、国際的な特許も数多く取りましたが、すべての原点は、大人である父の自然への畏怖(いふ)や愛情であったと思います。あなたがするべき大切な仕事のひとつはその実践です。環境への配慮ができる成人を育て、人間が地球を支配したり、コントロールしたりするのではないと体で分かる存在を送り出してください。

 人間が生命体として自然の一部であることを知れば、子供は直感で、していいことと、してはいけないことを判断していきます。現在の大人たちが、今日明日に何ができるかと日常を右往左往することより、子供を育てる仕事を分かって欲しい。バトンを託しなさい。

産業は悪という時代錯誤に陥るな

 かつて私たちは、フロンという物質を大量に大気中に排出し、オゾン層まで破壊する所業を行いました。自動車のクーラーや冷蔵庫という文明の快適さと引き換えに。これからは、排出しない技術開発と同時に、すでに大気中にあるフロンの処理技術開発が重要なことは明らかです。日本をはじめ各国が企業努力を続けている点です。 

 ただ、こういう状況の中で、だから産業は環境破壊の最たる存在だと主張する偏狭な環境主義者に、私はくみしません。彼らは言います。産業とは救いようもなく悪であり、利潤と権力を追求するあまり、有害な汚染を撒(ま)き散らしている。止めなければ、と。しかし冷静に現実を見るべきでしょう。工業生産を打ち切り、田園生活や昔の暮らしに回帰するべきだという主張は単なるおとぎばなしに過ぎないのです。

 もし産業文明を放棄すれば、恐らく地球上に生きる人類のごく一部しか生き残れないのが現実です。また、今日のあなたの生活から産業製品を無くして十分に暮らしていけますか。60億人を超える人間が、これからも共に生きぬくことを考えなければならないのです。

 産業文明は人類の糧です。しかも自己改革を続け、汚染を出さない低消費構造の謙虚な文明の必要に目覚めています。感情的にならず、昔はずっとよかったなどと懐古的にならず、そしてすぐに何とかしようなどと短絡的にならないで欲しい。しかし、向かう方向を間違えてはならない。日本はその役割を担っている一国です。

直感こそ、真実を捉える

私たちは、細部に隷属してはならない


 私が最初に、「地球は生命体である」とするガイアの考え方を発表したのは1972年です。その当時の科学の世界は、微生物学にしても、生物地球科学にしても、専門的で非常に狭い分野の研究に向かっており、さらにその中でも細部や過程を追い求める努力がなされていました。

 私には、それが問題を抱えつつある地球の全体を捉(とら)える研究には思えませんでした。医学者として経験を積んできた私にとっては、細分化した科学で地球を捉えるより、生命体のシステム科学としての地球生理学の視点こそ必要だと直感できたのです。つまり地球という惑星は人と同じ生命体であり、現在どのような病気やケガを抱えているのか診断することから始めよう、と考えたわけですね。温暖化という熱を持ち、酸性雨を処理できずに消化不良をおこし、フロンでオゾン層にケガをしている。これは死に至る病なのか。それとも、心して養生すればやがて良くなる疾患なのか、正しく診断しなくてはならない。その全体の生理を見極める主治医こそ不可欠である、と。

 科学が細分化研究に夢中になっている30年前に、私のこのガイア理論は賛同を得ませんでした。ただ一人の地球生理学者が、何やらロマンチックな理論を唱えていると、学術界も科学メディアもまともに取り合うことをせず、さらに多くの反論も受けることになりました。しかし、私は自分の直感が正しいことを理解していたのです。

 ほとんどの場合、直感は真実です。ただ、それをボトムダウンして一般の理解を得るには、具体的な実証がいる。10年でも20年でも、その実証には時間がかかりますがあきらめることはない。一人から出発することです。

俯瞰(ふかん)と緻密(ちみつ)さ。両方の知を備える

 地球はひとつの生命体である、ひとつの環境の中にあると捉えると、自分が現在住んでいる場所でおきている汚染が、たとえば地球の反対側に影響をおよぼしているのだろうか。たとえば自国の農薬の蓄積が、数千キロも離れた国々に何かの影響をもたらすのだろうか。

 私には、それが確かな事実に思えました。それを証明する機器として発明したのが電子捕獲検出器(ECD)です。たとえば英国の私の裏庭で、一定量の農薬を使ったとしましょう。ほんの数日後には、電子捕獲検出器を用いて、日本のここで、我が家の農薬を検出することができるのです。これはまぎれもない事実であり、私たちはひとつの国やひとつの地域で区切られて暮らしているのではないことを明確に教えてくれます。

 宇宙開発技術の発達によって私たちはついに地球を俯瞰することができました。本当に美しい姿です。そしてこの地球が、実は人の目には見えないほどのバクテリアやその他の多くの生命によって生きていることも知らなければなりません。人間の文明社会を俯瞰しながら、それを守るための知恵を企業も、一人ひとりの生活者も考え抜く。人間はそれができる存在です。

日本の環境技術を伝えよ

その叡智(えいち)を生かし始めて欲しい

 日本に何度も来て、こうしてインタビューを受けると、必ず「私たちは環境問題に取り組むために、さらに何をすればいいのか」と質問されます。環境に負荷のかからない製品を作りたいという企業の思い。環境を守る生活をしたいという人々。それに対しての私の返答は、閉鎖的にならないで欲しいということです。日本人は勤勉で、もっともっとよい製品を作ろうと一丸となろうとします。しかし、現段階で、日本はもう十分によくやっている。環境に考慮する製品作りにおいては世界のトップレベルですから、その尖(とが)った先をさらに尖らせる方向に走るのではなく、広げる、伝えるという方向に進むことを考えて欲しい。環境技術や理論をこれから他の地域や国々に生かして欲しいと願います。

 技術知識は、後発の国々が今から一つずつ開発していくには難しい。需要は大きいのです。日本の技術ブランドを世界の市場に送り出して行く方法論を考える時ではないでしょうか。

 私の住んでいるイングランドに日本の企業が進出し、複数の製造工場を建てていますが、10年、20年とたっても、ただの一度も労働争議が起きていない。また、小型で高度にエネルギー変換率の高い自動車は、西欧諸国の信頼を勝ち得ています。

 英国も日本も、自分の力を声高に宣伝するのが得意な民族ではありませんから、いい製品を作れば分かってくれると信じる。その奥ゆかしさが私は好きですが、しかし、次は何をすればよいかと問われるとき、もっと技術と理論をアピールせよと言いたい。その叡智を世界に、と。

目先の反論を恐れるな

 科学者というのは、自分の新しい理論を発表すると、多くの反論と障害に出合います。ひとつの仮説を唱えると、それを検証する世界中の科学者が、さらにさまざまな理論を発表する。こうして何度も何度も検証され本当にその理論は正しいのか試され続けます。その間、20年、30年とかかり、間違った理論はだいたい排除されていきます。

 科学の世界ほどではないにしろ、どのような仕事においても反論は避けて通れないと私は思います。さまざまな人が反発し、受け入れることを拒みます。しかし、本質的に正しい仕事は必ず残っていきます。大切なのは、自分がどういう方向を見つめて進もうとしているかなのではないでしょうか。科学もビジネスも、そして政治も、何のためにという視点が抜け落ちれば、その場しのぎの弱さを持ちます。

 反論や非難は決して心地よいものではありませんが、それがあるからこそ、自分一人では考えが至らなかった視点を与えられる。検証することで自分の理論や信念の正しさを確信できる。生き残る仕事は、必ず反論を乗り越えます。自分の仕事はどうか、自分の生き方はどうか。忙しい毎日でも、踏みとどまって確かめて行ってください。

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ジェームズ・ラブロック ●1919年英国生まれ。生物物理学博士、医学博士。英国国立医学研究所、米国ハーバード大学医学部、米国イェ―ル大学医学部、英国オックスフォード大学医学部などで研究員及び教授を歴任。地球がひとつの生命体であるという「ガイア仮説」によって全世界の注目を集めたフリーランスの科学者。地球環境科学への貢献で大英帝国名誉勲位を受けたほか受賞歴多数。』

2011年4月22日

ご加護





昨日は風はそれほど強くなく、日差しは夏のようでした。日本よりはブータンの方がこの時期は暑いみたいです。うちの大家さんは何かとどこかへ連れて行ってくれます。先日はサブジを買いに行きがてら、話をしに来ていた尼さんを家まで送りに行きました。山の上の方に独りで住んで修行しており、お部屋を見せてくれました。たくさんのリンポチェやラマの写真が貼ってある小さな部屋にお経を読む時の座布団が置かれていました。キッチンもベッドルームも質素で小さく、全体として家というより、小屋のような感じでした。瞑想をするための家と言った感じで、久々に別世界に来たんだなぁという実感が湧きました。昨日は近くの尼寺にリンポチェが来ると言うことで、テンちゃんと私を連れていってもらいました。前にもお会いしたことのある方で、若くて奥さんも子どももいるリンポチェです。みんなキラを着ているのに私は普段着だったので、すぐに外人とわかったようで“こどもは何人?”、“テンちゃんは何歳?”など、お話してくれました。大家さんも他のみんなは頭を下げたままでした。リンポチェのご加護でしょうか、テンちゃんも私もその後、晩ご飯も食べず、お風呂も入らずに爆睡してしまいました。


ブータンは“幸せの国”と言われ、GNHで国をアピールしています。観光客はわずかな期間の滞在でそれを実感し、みなブータンやブータン人に魅了されますね。でも、仕事をしたり、ブータンに住んだりすると幸せばかりを感じる訳にはいきません。まっ、こんなこと当たり前のことですが…。様々な問題がありますが、問題の捉え方がブータン人と日本人ではまったく違っています。日本人なら不満、ブータン人は仕方がないと受け入れます。そこがこの国は幸せと言われる大きなポイントだなって感じます。度量です。ここで幸せに暮らすことはブータン人を見習って、度量を大きくする必要がありそうです。日本人は既に色んな事を知り、持っています。第四代国王は“情報量は欲望に比例する”とおっしゃったそうです。既に知っていることのレベルを下げることは非常に難しい・・・。仕方がないと受け入れられる器を私もすこしずつ持っていければな、と思います。


テンちゃんは自分で何でもつかんで食べるようになってきました。ブータンのおやつであるシップ(コーン)を切りなく食べているので虫歯にならないように気をつけたいのですが、最近、歯ブラシは舌でブロックされてしまい、なかなか難しいですね。大好きなザウ(日本のポン菓子みたいな)は、気づくと家中にまかれてしまって、後が大変です。でも、たくさん食べて元気でいて欲しい、それだけが私の願いです。

2011年4月18日

四十九日法要

ダライ・ラマ法王が東日本大震災の犠牲者のため、4月29日に護国寺にて、法要をしてくださるそうです。私も同じ時間に祈りたいと思います。

2011年4月1日

前に進む



ブータンに戻る準備がほぼ終わりました。VISAが間に合わなければバンコクで待つ計画でしたが、1日で取れました。ブータンもやれば出来るんですね。エマージェンシーということでやってくれたのかもしれません。震災後、私に友人の多くから“罪悪感”という言葉を耳にします。被災者はあんなにも苦しんでいるのに、普通に生活出来たり、支援したくても出来なかったり…。悲惨な映像と想像を絶する死者・行方不明者の数で、被災していない人も心的ストレスで苦しんでいますね。この罪悪感は優しさの現れなのだと思います。しかし、罪悪感は持つなかれ!前に進むことの妨げとなると思います。この巨大な地震は人間の責任はなく、自然現象です。原発のこととは全く別です。原発については多々反省すべきことがありますね。これを教訓に生き方をチェンジする必要があるのでしょう。放射能で苦しんでいる人々のためにも、変わらなければいけないと思います。私達が幸せになっていけないなんてことはない。幸せを追求しながも、苦しみにある人と共に、生活を豊かにすることばかりの幸せではなく、助け合い・励まし合いながら、人間が本来あるべき心の幸せを作っていければなって思います。そのことを祈りながら、可能ならば苦しみにある人のために動けるといいですね。私達は生かされている存在であり、普通にいきていることに感謝を忘れずにいたいです。


日曜は晩の出発します。日曜の日中は家に居ますので、良かったら遊びに来て下さい。羽田では国際ターミナルに910時までいます。どうもありがとう。

2011年3月28日

お世話になりました



お水のことでテンちゃんの水は大丈夫かと、ご連絡をいただき、ありがとうございます。ミネラルウォーターは充分にあります。昨日は横浜に住むブータンの友達がタシさんに会いに来てくれました。遠いし、この辺りのことは全然分かんないだろうから、来れるのか心配していましたが、お連れのブータン人がこの辺りを知っているというので、すぐ近くのドトールに来てもらっていました。こんな辺鄙なドトールを分かるはずないと思っていたら、もう一人のブータン人は家からわずか3分のところに住んでいました。日本の大学に通う2人は日本語がぺらぺら。もうビックリです。タシさんは彼らと遊びに行って、朝帰りしていました。せっかく近所にブータン仲間が居ると分かったのですが、いよいよブータンに帰ることにしました。個々にご挨拶ができなくてすみません。当初、4月に帰ろうと思っていましたが、タシさんが日本で働いてみたいとのことで、夏に帰国を延ばそうと思っていましたが、こんな状況で外国人登録証も貰えそうになく、来月3()の晩に日本と発つことにしました。放射能は気になるところですが、調べてみるとブータンって宇宙に近いので、東京の値が高かった時が、ブータンでは毎日の数値だとわかりました。それでもブータンの人は甲状腺など病気になっていませんから、政府が言っているように健康には害のない程度なのかもしれませんね。今回の人災に対し、タシさんが“日本人は頭が良すぎた”と言っていましたが、ほんとその通りだと感じます。便利さを追求して、開発がどんどん出来てしまうのが日本人。ほどほどでよかったんだなぁと感じます。トイレだって便座が温まらなくても、カバーしていれば良かった訳だし、お湯だってガスで沸かして魔法瓶に入れておけば、それでも充分だったんですよね。オール電化の家は停電で大変でしょう。ブータンに戻る前に少し不便な生活が出来て、私は練習になりました。ブータンの水はそのままでは飲めないので沸かしたり濾過が必要です。買い占めで物がなくなっていますが、ブータンに比べれば何万倍もありますね。ブータンに戻りたいとずっと思っていたので、今がその時かなって判断です。運勢的に4月に帰るのが良いと教えてもらっていたので、話がトントンと進みました。まぁ、実家の家族はそれを話してから涙・涙・涙の日々です。本当にメールも送れずに申し訳ないのですが、少し急なこともあり、今回はテンちゃんが一緒なので、準備をしっかりとと思っています。向こうで落ち着いたら、ここに書きますので、これからもどうぞ宜しくお願いします。本当にお世話になりました。ブータンに着いたら、日本に平穏な日々が早く訪れ、みんなが幸せになれるように祈ろうと思っています。ありがとうございました。

2011年3月25日

ストレス対処

米心理学協会の提案する、災害時ストレス対処法だそうです。ご参考まで。
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1. ニュースを見続けない
際限なく災害のニュースを見続けることは ストレスをより悪化させかねません。もし大切な方々が被害にあっていて情報をアップデートし続けていたいと思っていても、途中で休憩 を挟み心身の負担を減らしてください。

2. 出来ることをやっていく
仕事や学校に行ったり食事を作るなど、普段どおりの生活をおこなっていくこと。そうした日常生活をやり続 けることは、地震について常に考え続けることを中断するのに役立ち ます。

3. 健康的な行動をする
バランスの取れた食事を取り、普段のエクササイズをし、しっかりとした休養をとること。身体の健康を強化する ことは、あなたの精神的健康維持にも役立ち、また、こうした問題を対処する際の能力を高めます。

4. 事実を正しく捉えておく
地震で恐ろしいほどの困難と損失を被るとしても、あなたの人生における良いことに意識を向け続けることを 忘れないでください。困難に屈せず、先にあるさまざまな困難に立ち向かえる自身の能力を信じてください。

5. (可能ならば)有効的に援助する方法を見つける
多くの機関がさまざまな方法で被害者を援助する方法を提供しています。そうしたものに貢献したりボランティアをすることはあなたが何かをすることを助ける前向きな行為となります。


これらの方法をとることで多くの人々は現在の問題を乗り越えられるかもしれませんが、人によっては強いストレス反応が出るかもか もしれません。日常生活に支障を起こすような場合は専門家の助けを得て、前に進み続けられるようにしてください。

2011年3月17日

停電に思う

被災した方が、地震と放射能で悪夢をみているようだ、と仰っています。それに加えて雪が降っています。昨夜は一瞬の闇にビクッとしましたが、家族が揃っていたので大丈夫でした。テンちゃんが驚くと思って、近くにひとつだけ置いてあった懐中電灯をつけ、ハッピーバースデーを歌ってあげました。赤ちゃんだって、いつもと何か違うって感じているようです。パクついていたご飯がゆっくりになっています。停電に慣れっこのタシさんは、いつものように冗談ばかり言いながらご飯を食べ続けていました。どなたかのツイッターで「原発はこんなに危険」と「原発がないとこんなに不便」が同時に体感、とありましたが、まさしくその通り。原発は冷やすことが必要なので海沿いに作りますが、耐震面でどんなにつよい構造でも、津波は地震よりも断然に威力があるんですね。“TSUNAMI”は世界に通じる言葉ですが、日本発だけあって、津波の必ずやって来る国だったんですね。蓮舫は業務仕訳でスーパー堤防をバッサリ切りましたね。神戸大震災で目に焼き付いている建物倒壊で、地震の方ばかりに目が行き、津波についてはあまり考えていなかったように感じます。いま、命の危険にさらされる経験を東日本のみんなが感じています。それでも会社員は通勤していて、毎日がまるで人身事故のような混雑ぶりで、年度末も重なり、もう身体が持たないと、友人は嘆いていました。外資系企業はパソコンを持ち帰り自宅勤務もあるようですが、日本人の気質はこんな時でも一生懸命に働きます。これは素晴らしいことだけど、あまり無理をさせないで、もう少し勤務に緩やかになってもいいのではないかと思います。電車を間引くことで、かなりの節電になったようで、停電予定でも停電しない場合は、鉄道会社の努力が大きいと枝野官房長官が行っていました。地震の影響を受け、職を失った友人もいます。生きていかなければいけませんが、命があればきっと乗り越えられると信じています。福島原発の現場で作業するご家族のツイッターで、「お父さんが出て行く時、お母さんは今まで見たことがないくらいに泣いていた」と。東電を責める訳にはいきません。命をかけて収めようとしてくれています。そんな仕事嫌に決まっています。生きて家族といたいはずです。原発がある地は、その分、他に恩恵を受けているから・・・、という人もいますが、だからと言って、電気のために、その地に住む方々が被爆する可能性があるなんて、オカシイ。福島原発の電気を使っているのは東京方面だそうです。私達のために本当にごめんなさい。そして、今もこうして停電で騒いだり、物を買いしめたり、放射能から逃げようとしていて、ごめんなさい。今も、企業では普通に業務を行なおうとしているし、みんなもそう思っていると思うけど、もう少しペースを落とし、自然に近い生き方をして、もっと人間らしく生きることを、この震災から学ぶ、大きなことなのではないでしょうか・・・。利益、便利さのために、原子力で発電しないといけない世の中にしてしまいました。唯一、原爆が投下された国なのに・・・。放射能の恐ろしさを学校で学んできたのに・・・。エネルギーの問題と地球温暖化は、我々が作りあげたもので、その犠牲者は当事者とは限りませんね。

経団連の米倉会長は16日、記者団の質問に答え、東日本大震災にともなう福島第一原発の事故について「千年に一度の津波に耐えたのは素晴らしいことだ。原子力行政はもっと胸を張るべき」と話したそうです。企業人のリーダーが、何を大切に生きるか、その方向性が間違っているように思います。天罰といった石原都知事が責められていますが、原発については、当たっているように感じています。

2011年3月14日

生きる

テレビを見れば涙が出ます。悲しみに覆われた日本です。そんな状況で、子どもに影響がないはずないので、映像ではなくラジオを聞いた方が節電にもなるし、良さそうです。友人から何をしていいか分からず呆然としてしまうと連絡がありました。子ども達を守れるのは大人です。心を強く持って、不安をうつさないように頑張りましょう。多くの亡くなった方の冥福を祈り、救助が必要な方が一刻も早く救助されるよう、そして被災されている方々が少しでも良い状態になりますよう、祈りながらも、こちらは日々の生活を淡々と、そして感謝をしながら生きていくしかないかと感じます。コスモ石油のチェーンメールや自衛隊が救援物資を集めているような、誤った情報もありますが、誰もが思っているのは“何か私にできないか・・・”、だと思います。救援物資はとりあえず、指示があった時に送れるようにしています。有難迷惑もありますので、正式な発表を待つしかありません。東京も、まだ余震が続いています。赤ちゃんがいたり、高齢者の被災者をうちに受け入れたいですが、まだ東京が安全だと限らないので、もうしばらく様子をみます。計画停電でワサワサしている感もありますが、地震がくれば原発に問題は起きることは明らかでしたので、電気の問題を真剣に考え、行動していなかった私達も、落ち着いたら、考えなおす必要がありそうです。電気がなければ生活出来ませんが、今回の節電のように、抑えることは出来ると思うし、危険がある電気を作るのではなく、安全を考えた電気の範囲内で生活していく必要があると感じます。タシさんは実家に電気が通っていないので、私ほど、動じていません。うちはトイレが電気で動いていて、気になっていたら、庭に穴を掘ればいいと、言っています。ブータンでは普段でもあり得る状況です。野菜なども手に入りにくくなっています。庭に色々と野菜を植えていきたいです。昔だったら、平気だったことが、一度手にしてしまうと、手放せない…そんな状況です。けど、出来ると思います。電気は二酸化炭素の排出から、地球の温暖化にも影響し、巨大な自然災害をもたらします。今回は地震が原因ですが、地震があるのは地球にとっては普通のこと。色んな事を考え直さなければいけないと感じています。いま、命があることに、家族が無事に生きているに感謝です。亡くなった命の分も生きようと思います。

(写真:昔の消防道具、ポンプ)

2011年2月27日

ブータンがらみ

少し前になりますが、タシさんのお友達、日本のお嬢さんがお2人遊びに来てくれました。お2人がブータンを訪れた際、タシさんがガイドをし、それからメールでやり取りしたり、インドを旅された時にタシさんが出向いて、結婚祝いをいただいたりしていました。前回、彼が日本に来た時には東京観光に連れていって下さり、私はずっとお会いしたいと思っていましたが、やっと叶い、とっても素敵なお友達ができて嬉しいです。旅をされる際は、その地の言葉を覚えるそうで、タシさんとはゾンカ?やネパール語でお話もしていました。スゴッ。昨日はブータンの方と3月に結婚されるという方が会いに来てくれました。ブータン人と結婚するにあたり、お国違えば色々ありますので、不安もあるようでしたが、問題はあるのは当たり前なので、“こんなもんか”と達観する感じでいけば、いいのではないでしょうかぁ。タシさんのことをここに書いているのでブータン人がみんな彼のように“いい加減な遊び好き”って訳ではないと思うのですが、国民性は基本的に“今を楽しむ”ことが中心で、計画性とかはあまりなく、彼らの言語に日本人が大好きな“努力”や“忍耐”はないのかもしれませんよ。昨日からタシさんは、ブータン仲間のお宅へ泊りに行き、今日は日本ブータン友好協会の懇親会に参加するそうです。ブータン人はタダだそうで、喜んで民族衣装の“ゴ”を着るんだと出て行きました。東京近郊在住のブータン人に会えると思うので、きっと喜ぶことでしょうね。

(写真:市役所にて)