2009年6月29日

支援の形

インドのテレビはすべてが大袈裟な感じがするのでコントを見ているようで楽しいです。顔が派手だと表現も派手になるのでしょうか…。インドは行ったことありませんが、テレビに出てくるのは綺麗な衣装をまとい宮殿のようなお家に住んでいる人が多いのですが、実際のインドはもっと混沌としているのでしょうね。貧富の差が激しいような気がします。ブータンのチャンネルに切り替えると、なんだかほのぼのとしています。演技は学芸会のようで、国民は歌と踊りが大好きでクネクネと踊っています。テレビなのですが、知り合いが出ている学文化祭を付き合いで見ている感じです。

さて、以前のことですが、長年支援活動をされている方とお話をして、アレレ…と考えてしまうことがありました。タンカ(仏教画)の絵師を支援されていて、日本に紹介し、購入希望者を募って絵を制作してもらう、販売を通じての支援をされています。売上が生活費になり、一家はこれで生計が成り立っています。このことは素晴らしい支援の方法だと思います。その絵師が“米国へ移住したい”と言い出したそうで、米国に行かせるために支援をしてきた訳ではないから“ダメ”と言ったそうです。私はそれを聞いた時、アレっと思ったけどに何が変なのか、すぐにはわかりませんでした。絵師のお金が貯まり自由の国へ旅立ちたいという夢を持ったのでしょう。タンカを描くというのは普通の画家とは違います。仏教画ですので僧侶と同じような勉強をする必要があります。米国には今、チベット仏教が求められているととても感じます。腑に落ちないと感じたことは支援をして来たからといって、人の自由を奪ってはいけないな、と感じたことでした。他人の夢を奪ったり、人生をコントロールすることはレベルは全く違うけど、自由を奪うという意味では某国がやっていること同じなのです。支援をすることの難しさをとても感じました。私は前に仕事で社員にボランティアに参加してもらう企画などしていました。多くの方がボランティアするきっかけを作っていました。皆さん最初は“して上げている”という意識が強く、不満ばかり訴えます。相手に有難いと思って欲しい訳です。最初の段階で感謝してくれないなら“ツマラナイ”、と止める人もいますが、文句を言いながらも続けていく内に変化があります。不満だったことなどをただ訴えるのではなく、自分で工夫したりして、心も自分がどうかではなく相手側に移っていきます。感謝を求めていたのに、続けていく内に感謝の気持ちが自らに湧いてきて、両者が幸せな状態に変化していきます。支援の方法も色々あるし、継続することはとても重要で、尊敬すべきことではあるけど、見返りを求める行為より無償であることに真の崇高さを感じます。

(写真:大家さんの息子の顔が分からんとクレーム?があったので。ジュミカメラマンはまだイイショットが難しい。お誕生会はあゆTを着ている子が主役)

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