2009年4月29日

人間の究極の本性

ありがとうございます。すごくおかしかったのが出産経験者は産んでからの方がもっと大変と。今は気持ち悪さだけなくなれば、どんな状況も受け入れます、と覚悟してますが、その時にったらなったでヒーヒー言っていることでしょう。ゆっくりできるのは今だけだそうです。今は本を読むこと以外なにもできません。ダライ・ラマ法王が「地球交響曲第二番」の中で「人間の究極の本性は、慈悲と利他の心である」と仰っています。まさにその通り。妹に、具合が悪くて妊娠してるかもしれないから病院に行きたい、と伝えたとたん、何かスイッチが入ったようです。自分もそうじゃないかなぁと思っていたと、病院でも大活躍し、家ではお洗濯はもちろん、部屋中を掃除をし始め、リンゴをむいてくれたり、食べたいものはないかと聞いてくれたり・・・。人生の楽しみができたのでしょうか、キッチンの主になってくれています。私が臭いがだめなのでホント助かっています。お買い物に行けないので、彼女に任せるとお釣りをちょろまかしてタトゥ(1週間くらいで消える)を入れて来た時はさすがに驚きましたが、少しづつ良い面が出てくるといいなぁと思っています。ツワリは人それぞれ状況が違うそうですが、なんでこういう状況になるのかなぁと考えてみました。人間の体の作用には無駄はないハズです。出産時の痛みがいきなりだと人間が驚くので、先に別の形で体験させるためなのでしょうか。母になる覚悟を持たせるためでしょうか。旦那さんは私が検査する前に気持ち悪いと言えば言うほど「タシはハッピー」と人が苦しんでいるのに妊娠の兆候を喜んでいました。帰ってきても料理作ってあげないから・・・って本当にしばらくは無理かも。彼に検査結果を伝えると開口一番「ブータンの病院で産んじゃダメ、信用できないから」と、とても現実的な反応が帰ってきました。でも相当嬉しいようで、メールではもうママへ、とかパパは元気ですとか。まぁホントのんきな感じである意味ホッとします。ネットで調べた私の計算だと12月18日くらいが予定日ですね。秋くらいに安定すれば、凱旋帰国(なにが?)をしようと思っています。タシさんは夏と冬は長くお休みが取れるので、しばらくは彼に行ったり来たりしてもらおうと思っています。産婦人科に勤める友人にさっそく情報提供をお願いしました。このまま無事にテンジン(仮称)が出てくることを願っています。秋以降にブータン旅行を計画されている方は連絡ください。

2009年4月28日

Kitchen of hell

ご無沙汰しております。(ちょっと空いただけだけど)あまりに船酔いがひどいので昨日病院デビューしてきました。我が家から歩いて5分も掛からないところにあります。人がワンサカいて、ディズニーランド並みの混雑です。想像中の妊娠は半でした。さすが勘だけで生きているだけありますね。そうでもなければ、こんな気持ち悪さは我慢できそうにありません。ブータンの病院ですので検査キッドがちょうど届いたので一応チェックしてみます。ブータンを勝手知ったるくらいになって、もう少し後と思っていましたが、早く世に出たい魂があったのでしょう。チベット死者の書よれば、人は死んだあと49日間バルドゥというところにいて、その後何かしらに生まれ変わるそうです。輪廻から解脱し涅槃に入る場合は別ですが。なので、誰かの生まれ変わりなのでしょう。高僧の生まれ変わりだったら、どうしましょう。ある時、お坊さんが何人かやってきて、同じ物を2つ見せられ偶然の確立で全部当たっちゃったら…。これもまた余計な想像ですね。この母から高僧はあり得ません。とりあえず、無事に出てきてね。ブータンにエコーはあるの?という心配の声も。ヤッホーと叫べばやまびこは返ってきます。この世のすべての母は凄い。みんなこんな気持ち悪いの我慢してきたんですね。アッパレ!!ずっと小笠原丸に乗ってる気分(乗ったことないけど)。早く島に着かないかな。友人から届いたばかりの素麺をがっついております。妹、リンジン(隣人)よ。申し訳ないがモモ(チベット餃子)を買って来ておくれ。私にはキッチンが地獄です。

2009年4月26日

春まっ盛り

彼と連絡が取れるようになりましたよ、ウフフ。3日間のトレッキングでしたが、その間ってお風呂に入れないのでしょうか?それだったら私は無理かなぁ。帰ってきたら聞いてみます。お客様はお腹を壊してしまったそうです。スイス人に唐辛子は似合わなそうです。日本はいよいよGWに突入ですね。メキシコの豚インフルには驚きました。これまた地球の叫びでしょうか。ブータンもインドの鳥インフルエンザの関係でインドの鶏肉と卵は禁止されています。
昨日は家の近くのお寺(尼さん達が住んでいる)に高僧がいらしているということで、大家さんのお婆ちゃんに連れて行ってもらいました。気持ち悪かったのでお布施だけと思いましたが、具合が悪いなら尚のこと行った方がいいと強制連行でした。カタを捧げ、私の肩に掛けていただきました。とってもお若いラマでした。昨日からベンツのジープがとまっていたので、特別な人が来ているのだろうとは思っていました。ブータン人に見えると言われました。
さて、昨年の今日、私は初めてタシさんに出会いました。ツアーに申込み、きっとオジサンのガイドさんが迎えに来るんだろうなぁと思いながら、飛行場を出ると、後ろからいきなり飛び込んで“Michiko?”と呼ばれ“Yes”と応えるとスーツケースをヨイショと運ばれ、身軽でサルみないだ、と思ったのが最初に印象でした。あれれ、ツアーって私だけ???といささか不安になりましたが、その後、車で自己紹介が始まり、ガイドとドライバーの若い男性2人と一緒で、ちょっとドキドキしたことを覚えています。というのはドライバーのドルジさんが福山雅治のようだったのです。あれから1年、なんだかあれよあれよと過ぎ、ここブータンに住んでいますが、迷いとか悩みとかは一切なく、一言でいえば“不思議”とそうなった…とでも言いましょうか。それまで私は毎年のようにGWはハワイ島へ行っていました。ああ、サーフィンがしたい!といっても、波に乗れたかと思ったとたんにザブンなんですけどね。ブータンは今、いろんなお花が咲いていますよ。我が家のフラワーポットにもようやく芽が出てきました。山向こうの高校では運動会みたいなことをやっていて、応援の声がここまで届きます。いただいた双眼鏡はこんな時にも大活躍しています。山火事の時にはジュミと取り合いでした。ありがとう。お隣のカルガモ一家のようなワンちゃんは全部で5匹です。3匹が茶色で、1匹が黒、そしてもう1匹が茶ですが、えらく太っています。他のワンちゃんが活発に走り回っていますが、その子はいつも車の下の日陰に避難しています。コロコロしているのでコロと名付けましょう。ところで王様、お体の割に“ゴ”が短すぎはしませんか?ミニスカートみたいです。でも、もしかしたら流行の最先端でカッコいいのかもネ。

2009年4月25日

希望を持って

彼が仕事中で離れていても日に何度も電話をくれたりメールが出来たりするので寂しくありませんが、今は森の中のトレッキングで連絡が取れないので、さすがに寂しい…。昨日は東京の友人とスカイプでチャットができたので、とても良い気晴らしになりました。日本では江頭、じゃなくって剛の話題でもちきりでしょうね。大阪でまた児童虐待死が…。絶対に周囲に聞こえていた筈です。隣の家の人は程々に関心を持って欲しいです。前に妹のことが少し心配と書いたので、皆さんから色々とご意見やアドバイスをいただきました。彼女が他のブータン人と何が違うのかが、わかりました。ブータンの象徴ともいえる“仏教”が全く感じないのです。彼女が寝ている部屋にはタシさんが買ってくれたタンカ(仏教画)が掛っています。彼女はいつもそれを閉じてしまします。夜だけならいいのですが、ずっと閉じたままなのです。“閉じてもいいけど日中は開けてね”と言ってもやりません。私はチョルテンに祈りに行きますが、彼女は祈りません。後からやって来た時、気持ちが変わって来たのかなぁと待っていると、“Go”と他へ行こうと誘いに来て、自分は全く回らないのです。ブータン人はチョルテンのそばを通る時、何かに付けてはチョルテンを回ります。ブータンの各家庭では大きな仏壇があり、お水を取り変えたりする時にわざわざ民族衣装に着替えたりするお家もあります。自分が仏教徒であることを少し誇らしげにいろいろと教えてくれ、とても信心深いのです。たぶん妹は仏教に帰依していないんだなぁと気づきました。なので仏教的な教えが足りずにいるのかと思います。欲望のまま行動し、社会は人との関係性で成り立つますが、これがおざなりになってしまうんでしょう。妹の友人が何人か遊びにきますが、みな年齢並みに“お邪魔しています”とか、きちんとご挨拶できます。パソコンのスキルが違っていたのには驚きました。履歴書が急に必要になったお友達がいてパソコンを貸して欲しいというので、彼の使っていないパソコンを貸したのですが、ものすごいスピードで表も組み込みこみレイアウトされた履歴書を作っていました。コンピュータ学校で同じクラスだそうです。妹は入力さえままならずにいます。友人はスキルも資質もあるので就職できるでしょう。なので急に履歴書が必要になったのでしょう。妹は宿題を丸うつししたり、人にやってもらったりしています。人に頼むことは得意で、困ったときには誰それ構わず、声を掛けます。この国の人は親切なので、みな喜んでやってくれます。いつもこんな感じで自己解決してこなかったのでしょうね。兄も手助けをし過ぎたのかもしれません。大家さんの一家がたまに様子を見に来てくれますが、妹は横になってテレビを見たまま、何を言われようが顔を向けず“うるさいなぁ”といった態度をあからさまに取ります。私はそんな時オロオロしてしまいます。根本的な要因がわかってきたので、いつも妹に怒鳴って怒っている彼ですが、ツアーから戻ってきたら彼女のこれからを話し合ってみようと思います。法王様が中国に対して “子どものような…”と表現されましたが、彼女はまだ子供のままでいたいのでしょうね。食事の面からも体調の悪さが投げやりな生き方に影響しているとも思うので、基本的な部分をちゃんとしていけたら、きっとまだまだ若いので変化があるでしょう。せっかく幸せの国に生まれたんだから、もっと丁寧に生きてもらえる、と信じたい。
(写真:ブータンの仏壇)

2009年4月24日

朝の目覚め

皆さんはどのように朝をお迎えでしょうか?ブータンでは小鳥のさえずりならぬ、上の階に住む大家さんのお婆ちゃんがトイレで力む声で目覚めます!? そうとう苦しそうです。たまに我が家へ胃腸薬をもらいに来ます。いろいろと症状を聞いて慎重に生薬を渡します。その後はすごく調子がいいそうですが、ずっとは続きませんね。かなり体は重そうで、チョルテンを回るくらいで、それ程の運動もしていないので、どうしても便秘がちになってしまうようです。なので水分をたくさん摂って、お野菜をなるべく食べた方がいいですよ、と言いますが、なかなか生活は変えられるものではありませんね。その他、大家さんの一家は何かあると、我が家の薬棚病院を尋ねてきます。口に入れるものは毒にもなる危険があるので慎重に、よっぽどの時に渡すことにしています。プジャ(祈祷)も大切ですが、薬を飲めば絶対に治るとブータンの人は思っているようです。やはり衛生管理や医療面は、程々に進んでいた方がいい気もします。関係ないけど、剛よ、苦しみはずっと続く訳ではないから、ガンバレ!!
(写真:映画館。中はまだ謎)

2009年4月23日

ただいま想像中

昨日のダライ・ラマ法王の記者会見の模様は、こちらのニュースでもやっていました。“チベットに行き、真実を見て下さい”と強く仰っていました。これに響いてくれるジャーナリストがいるといいのですが・・・。中国は子どものようだとも仰っていました。まさにその通り。テレビも雑誌も新聞も企業スポンサーがあって成り立っていて、今や中国なしでは生きられない立場にあり、“おたくの国おかしいよ”とは言えない状況になっています。櫻井よしこさん位、力のあるジャーナリストが行ってくれるといいんだけどなぁ。昨年の記者会見は急遽仕切ることになったので、今年はその時やったことを思い出し、姉に託しました。法王様はこの後、カルフォルニア大学、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(MIT)に呼ばれているそうです。MITでは法王様の為に建てた「ダライ・ラマ・センター」の落成式が行われるとか。9.11以降、米国にはチベット仏教が必要とされているように思えます。
さて、ただいま私は想像妊娠中です。気持ち悪くって仕方がありません。匂いがダメでキッチンに入るのさえ嫌なくらいです。エマ(唐辛子)に開眼して胃がやられているという噂や、単に太っただけではないかとも言われていますが、テレビとかで見る妊婦の感じがとてもするのです。なので今日は長い髪を三つ編にして、いかにも妊婦さん気分です。大好きだったミルクティが飲めずに、いまは緑茶かお抹茶しか飲めません。あんまり好きではなかったマヨネーズがとても美味しく、マヨチュッチュしたい気分です。音楽はアコースティックギターの佐藤正美さんが、森の中で演奏し、野鳥が一緒に歌っている「Live in Forest」しか聴きたくありません。なんだかわがままです。友人が今週末に検査キッドを送ってくれるので、半か丁か楽しみにしています。彼は今日から3日間、ブムタンでのトレッキングで森の中に入ってしまうので、連絡が取れません。私が妊娠してるかもよ、って言ったら、どうやってわかった?と聞かれ、“勘”と言ったら笑っていました。でもいつか本当にそういう時が来たら、ブータンでは産めないと思ってしまいました。先日、新聞にブータンで初めての外科手術が成功…と。医療面ではまだまだ問題がありそうですね。先日、ブータンに住む日本人の知り合いがバンコクで出産しました。そういう手もありますが、英語も“勘”で理解している私には無理でしょうね。いざとなれば日本に帰るしかないなぁと、想像ばかり膨らんでおります。
(写真:妹はよく近所の子を誘拐してきます)

2009年4月21日

“和”もいいですね

こちらのNHKで「美の壺」が見ることができます。とても好きな番組で日本にいた時から見ていました。今日はそのせいか、干しシイタケを戻して切干大根を煮たり、お抹茶を楽しんだりと“和”な気分です。日本ではそろそろ筍が顔を出す頃でしょうか。実家の庭には筍がたくさん出ますので食べ放題でした。鶏肉と煮るのが一番おいしくって好きです。ここら辺の山には竹はないようです。もうちょっとリサーチしてみましょう。食い意地がはっています。山火事の方は2日間でおさまりました。山が黒くなってしまいましたが、あまり拡大しないで良かったです。妹が干していた牛肉が食べられるようになり、唐辛子と料理しています。基本的にいつも味付けは同じで、唐辛子にバター、塩に、チーズです。唐辛子オンリーではないので、少し安心しています。たくさん食べてちょうだいね。ブータンは風が強いので、妹が細っこくって風に飛ばされないか心配です。ツアー中の彼からさっきブムタンに着いたと電話がありました。明日から3日間はトレッキングのキャンプだそうです。私は体育の授業以外ではキャンプをしたことがないので、いつか体験してみたいですね。スイス人夫婦は2週間、ブータンを満喫することでしょう。ニュースによれば、日本人の有給休暇の消化率は主要11ヶ国で最低だとのこと。平均すると1年間に8日だそうです。えっ~、8日しか休んでないのぉ…と思ってしまいました。私は20日間あった有給休暇は毎年すべて消化していました。会社にしてみれば、非常識な人間とされていた訳ですが、何のために生きているか…って考えると、私の場合は多いに遊び人生を楽しめ、という方が会社の目よりも勝ったんですね。でも仕事を一生懸命にやっていて、それはそれで楽しいのであれば、無理に休まなくってもいいと思います。嫌々やっている仕事なのに、他の目があるので休まない…こういった状況は何もいいことを生まない気がします。多いに休んで、どうぞブータンへお越しください。熱くお待ちしております。
(写真:白川郷)

2009年4月20日

山が燃える


昨日、サブジバザール(野菜市場)へお買い物へ行き、街で妹とお茶をしました。写真のような今っぽいカフェもあります。しかし、ほとんどは昔ながらの小さなお店がブータンには山ほどあります。写真のようなショップではインドから入ってくるお菓子などたくさん売っています。昔からの習慣でブータン人はドマという刺激的な実を噛む習慣がありますが、健康面からも問題視されており、若い子たちはガムなどをよく噛んでいます。こういったお店で1個から買えるので、駄菓子屋のような感覚ですね。家への帰り道、ふと山を見ると、モクモクと煙が上がっています。山火事です。傾斜のある山で、遠くから見る限り道はありません。当然に消防車が駆け付けるなんてことは無理なので、自然と消えていくことを待つしかありません。雨が都合よく降ってくれるといいのですが、一日経った今も煙を上げています。昨夜は火の勢いがとてもあり、それがあまりに美しいので、私は寝ずにずっと見ていました。少しおさまったかなぁと思うと、いきなり火の勢いが強くなったりしています。昼間見た時は2ヶ所から煙があがっていましたが、夜見ると火の気は数え切れないほど見えました。山火事は乾燥するこの時期に頻繁にあります。ブータンでは習慣として松の葉を毎朝焚いているところもあったり、プジャ(祈祷)の時には焚火が欠かせません。プジャはどこかの家庭で毎日のように行われ、いつもどこからか太鼓や笛の音が聞こえてきます。実は今日は彼のお母さんの具合が相当悪いとのことで、プジャを行うと連絡がありました。祈りには煙が欠かせないようです。他にゴミを家庭で焼いている光景もよく見かけます。山の国なので火事になってもすぐに消火ができませんので、火の元には気をつけなければいけませんね。

2009年4月19日

情報がもたらすもの

昨日のNHKニュースではダライ・ラマ法王が米国訪問前の22日に日本に立ち寄り記者会見を行うとのこと。インドに会いに行くよりも成田の方が確実に法王様に会えそうですね。あぁ行きたい…。
彼は昨日から2週間、スイス人ご夫婦のガイドで出かけました。人数が少ないから楽チンと言っていました。逆に途中で飽きが来ちゃうとも。まぁ、夫婦喧嘩しないように見守ってあげてくださいよ。彼と暮らすよりも断然に妹と暮らしている方が長くなっています。彼女は頻繁に具合が悪くなり、病院でチェックしてもらって薬を飲んでいます。貧血だそうです。病院に行ったすぐ後は先生に言われるのだと思いますが、野菜や魚を食べるのですが、すぐに唐辛子オンリーな生活へ戻ってしまいます。お兄さんが言っても、その時は“わかった”と返事をしますが、食べ物と体の関係がイマイチ理解できていないでしょうね。この6月に学校を卒業するので就職先を探していますが、なかなか見つからない模様です。ただでさえ失業率の高いこの街で、同じ時期に卒業生がドットでるので難しいんでしょうね。それよりも体が不安定なので働けるかが心配です。妹を見ているとこの国の抱える問題が少し垣間見れた気がします。ブータン女性のたしなみともいえる織物ができる訳でもなく、英語は話せるけど特にこれが得意という技術を持たず、渋谷に居る子と全く変わらないような感じで、自分の欲望以外には興味なく、体を労わることさえ面倒くさがります。私が思っていたブータン人とは違って、生き方自体がとても“雑”な感じなのです。彼女はまだ若いし、特別なのかもしれませんが、見ていると将来に“不安”という文字が浮かんできます。両親ともとても優しく、子供たちに気を使っていますが、女の子ということで可愛がり過ぎてしまったのでしょうか。甘え上手は愛嬌のうちですが、望みが叶わないと不機嫌になり、いつも何かしらに怒っていて、携帯の怒鳴るような声は外に居ても聞こえてきます。私はこれまで見てきた(といってもたくさんではないけど)ブータン人は穏やかでどこか心に余裕があります。大家さんもお婆ちゃんも妹のことをけげんな顔しています。ジュミが怖いお婆ちゃんが居ない日に、ゲームを見せて上げるから家においでというので行ってみると、ちょっと古めのパソコンで戦争ゲームを始めました。音もリアルでピストルでどんどん人を殺していきます。血も吹きだしジュミは興奮して、次から次へと倒していくのです。私は久しぶりにこういったのを見て気持ちが悪くなりました。テレビやインターネットの解禁で、外から情報が入って今年でちょうど10年です。ジュミのお母さん(28歳)はずっとカタカタと織物を織っていますが、家事のすべてをやる立場です。見ていると、とても所作がきれいです。無駄なく、力強く、そして丁寧です。第4代国王が “情報量と欲望は比例する” 仰っていますが、ちょうどこの10年に教育されてきた妹(21歳)は、ある意味、この国の抱える問題の形のような気がしてきました。
(写真:チョルテンで祈る人。祈りの内容も変わってきたのかも・・・)

2009年4月17日

下世話な話ですが

昼間は夏のような日差しに感じます。ブータンの女性たちも傘を日傘の代わりにしています。空の青と山の緑の色合いがハッキリとしてきたような気がします。彼は車で2日掛かり両親を送り、家に戻らずにそのまま会社へ行きました。明日からの準備で、8時になってもまだ帰ってきません。明日からのツアーは5月まで。体を休める暇もありませんね。ガイドの仕事は朝から晩までで、気を遣う職業です。なので彼はとても気が利くので私はとても助かります。
さっき大家さんのお婆ちゃんが家庭菜園で採れたお野菜をたくさんくれました。そんなに食べれないよ、って言いたいのですが、なんせ言葉が通じません。お婆ちゃんは私がご飯をたくさん食べないのを心配しているようで一生懸命になにか言っています。ブータン人みたく、大量にお米は食べれませんよ~。
こっちのテレビでKAT-TUNを久々に見て大人になったなぁ…と。すごくミーハーですが、私がブータンに来るにあたり、唯一残念に思っていたことは、Gacktをテレビで見られないことです。あそこまでお笑いを極めた美しさ、彼は元気でしょうか…。不況で韓国公演が中止と。韓国の方、かわいそうに。絶対、Gacktはブータンには来てくれないだろうな。 宜しくお伝えください!
(写真:惜しい“s”がないadida。ニセモノ天国です)

2009年4月16日

お肉物語

パパ&ママが彼の見送りでトンサへ帰りました。ママはだいぶ状態が落ち着いたようですが、日によって調子がまちまちです。根本の治療は出来ていないのでしょう。会えて嬉しかったと何度も言ってくれました。それは私もです。笑えたのが最後に彼が居ないところで、彼にお金を上げてはだめ、ゲームで全部使うから・・・との忠告がパパからありました。アーチェリーもですがゲームとなると、ものすごく熱中するので、フムフムと納得してしまいました。そういえばよく賭けて、どれだけ稼いだかと自慢しています。どうやらギャンブラーと結婚してしまったようです…。
先月は“肉なし”でお肉屋さんはシャッターが下りていました。その間はお店は国から補償金があるようです。お店が開き、やっとお肉が買えるとお店に向かったら入口の脇に、毛むじゃらの牛足が山積みになってました。ランナウェイ…猛ダッシュで店から逃げました。悪夢を見てしまい、しばらくお肉はいいと感じました。パックに入ったお肉しか知らないひ弱っ子はダメですね。そして昨日、彼がお肉を買って予定より早めに帰ってきました。大きな塊なので、やっぱりヒーと声を上げてしまいました。彼が小さくカットしてくれましたが、怖いもの見たさでのぞくと、鶏肉から血がたっぷりと、それを見てまたヒー。牛や豚、鶏と同じ物を食べてきたのに、こっちは原型がアリアリと想像できるので、何か違います。日本では元を想像はせず、麻痺して食べてきましたが、こっちでは味もしかり、そういう訳にはいかないようです。いろいろあってブータンに来てお肉の摂取量が減りましたが、私にはあんまり必要なかったみたいで大丈夫です。肉を食べないと…という変な観念に侵されていたようです。魚は三枚にどうにかおろせますが、鶏は初めて。ブータンは龍の国なので竜田揚げにしたら彼も妹も喜んで食べていました(なんで竜田っていうのかなぁ)。妹がベランダで牛肉を細長く切って、洗濯物と並べて干しています。ドライビーフが美味しいのだそうです。まぁたくさんのハエさんが味見に来ていますが、こちらではそんなことお構いナシですよ。
(写真:ベッドからの眺め)

2009年4月15日

Free Tibet 緊急アクション

チベット自治区内における逮捕者の「死刑判決の撤回」とダライ・ラマ法王認定の「パンチェン・ラマ釈放」を目的とした緊急アクションが始まりました。ぜひ、署名の協力をお願いします。4月24日(金)必着です。集まった署名は中国大使館へ直接投函されます。4月25日(土)には「アピール&ピースウォーク」が行われます。詳細はサイトをご覧ください。

4月25日(土)
●中国大使館前アピール
11:00 集合(中国大使館近辺駐車スペース)
11:10  アピール(大使館前に5人づつ交代)
12:00 終了
●ピースウォーク  三河台公園(六本木4-2-27)
13:00 集合(六本木駅4番出口より徒歩3分)
13:30  集会開始
15:00  ピースウォークスタート(六本木通り)
15:40  笄公園到着・シュプレヒコール
16:00  解散

2009年4月14日

生と死

この3日で田口ランディの「キュア」を読みました。ガンという呪縛を人それぞれの価値観で受け止め、死んで逝く様子が描かれていました。主人公は外科医、ただ普通の医者とは違ってシャーマンの血が入っているので特殊な方法で患者を治していきます。けど、この先生は現代医学の科学者として、目には見えない世界を素直に受け入れる訳にはいきませんが、自分が進行性のガンだと分かり、これまでとは逆に、告知してきた患者の立場になることで、ガンに対する考え方がいろいろと変化していきます。あんまり書いちゃうと面白くないので、ぜひ読んでみてください。ランディの本は好きなものと、まったく嫌いなものと両極端です。この「キュア」は彼女独特のエグサがほとんどなく、当たり前のことが言葉として表され、ひとつひとつ私も確認をしていく、そんな感じで読みました。ただ、目に見えない世界を全く受け入れないタイプの人には、狂った本に思えるかもしれません。
先日、姉が録画してくれたDVD「風のガーデン」(別の人のために録画したものだけど/ゴメンナサイ)を見たところでした。緒形拳の遺作ですね。同じように若い医者がガン末期とわかり、別れていた家族に会いに行き、家族の元で死んで往きました。共通して言えるのは、ガンになったからこそ、人生を立て直していき、最後まで自分らしく生き抜く姿でした。
ブータンに持ってきたウクレレを練習するたび、年頭に亡くなったウクレレ仲間のことを思い出し、お父様が電話で、娘はガンに関する本をすべて読み、一生懸命に戦って、戦い抜いたというお話でした。告別式ではご両親とも悲しみはもちろんですが、やり遂げた安堵のような表情にも見えました。
ガンって何なんだろう・・・と、ウクレレの手が止まってしまい、考えを巡らせていました。ブータンで治療といえば、僧侶によるプジャ(祈祷)です。ただ、ブータンの若い人は薬さえ飲めば治ると、逆に薬信仰にもなっているように思えます。いま、撮影真っ只中の「地球交響曲第七番」は自然治癒力がテーマです。どう描かれるのか楽しみにしています。前から私は病と気の関係は絶対的と信じ、気功で破裂していた盲腸が再生し、お医者さんから栄養状態がイイと母が褒められた経験があります。私は半日、痛みと戦いながら気を送っていました。手術して開けてみたら、破裂し再生された状況でした。ここのところ不思議とガンについて考える機会が多く、堂々めぐりでしたが、自分の中で病気って何なんだろうという応えのようなものが見つかった気がします。価値は人それぞれです。ランディは小説の中で“宿業”という言葉を使っていました。人は100%死にますが、どう死ぬかはすべて違っているんですね。
(写真:ジュミママ。ちょくちょく進行を見に行きました。もうすぐ、織り終わります。自分の羽は抜いてませんでした。足も使います。)

2009年4月13日

ベランダ族

彼はツアーの真っ只中ですがお客さんの案内先がティンプーだったので、着替えを持っていくために久々に戻ってきました。11日ぶりで、あと5日は帰ってきません。妹や大家さん一家がいるので全然寂しくありません。ほんとに有難い存在です。昨日は上の大家さん家からいつものミシンと違う音がしていました。ジュミに聞くとお母さんが織物をするために糸の準備をしているとのこと。さっそく見に行き、織物講座です。ブータンの民族衣装である“ゴ”を作るために、糸巻きをしていました。その後、糸を織機に設置するために縦糸の準備しました。これをやるのに2時間位掛っていました。お婆ちゃんと大家さん、ジュミママと3人掛りの作業です。指揮はお婆ちゃんが取ります。お婆ちゃんは一家の長で皆、お婆ちゃんの言うことを素直に聞きます。ジュミはお婆ちゃんが相当怖いらしく、家に遊びに来る時も見つからないようにそうっとやってきます。見つかったら“勉強しなさい!”と言われてしまいます。縦糸の色彩は、まぁなんとキレイでしょう。縦糸の準備ができたら、織機にセットし、横糸を通す作業です。3日くらいで出来てしまうそうですが、今日は一日中、カタンカタンと織機の音がしていました。手織物は高いのですが、これだけ手間が掛っていれば高い訳ですね。いったいいくらで売って、末端価格はいくらでしょう(麻薬じゃないって)。良い稼ぎになるといいのですが・・・。ジュミのお母さんは国王と同じ28歳で、計算からいくとジュミを17歳で産んでいます。お父さんはいません。大家さんの家はほとんどが女性で男性は少しです。結構、こちらでも離婚は多いようで、この国は女性の方がもしかしたら強い…と、印象を持ちました。
最近は私も妹のベランダ干しの気持ちよさを体感し、ブログも読書もごはんも、ベランダでする機会が多くなりました。フラワーポットから全く芽が出てこない…、赤い土だからかなぁ…。

2009年4月11日

パルデンさんにお手紙を!

今日から公開されるドキュメンタリー映画「雪の下の炎」。この映画の監督はニューヨーク在住の若き日本女性、楽真琴(ささ・まこと)さんです(このブログにコメントを下さっています)。映画を学ぶために渡米、初めてのニューヨーク暮らしになかなか慣れない辛い時期に、パルデン・ギャツオの自叙伝「雪の下の炎」に出会いました。チベットを守ろうとし、中国の監獄に33年間投獄されたチベット僧パルデンさん。どんな過酷な状況におかれても、信仰心を失うことなくチベットの未来をそして地球の未来を祈るチベット僧の生きる姿に勇気づけられ、映画を撮る決意をしたそうです。この映画がいよいよ封切りです。映画を公開するにあたり、「パルデンさんに手紙を書こう」キャンペーンを開催しています。映画をご覧いただき、その思いをパルデンさんに届けましょう。この映画の一般公開は世界でも日本初となります。ダラム・サラに住むパルデン師に日本から手紙が届けば、もっともっと日本を身近に感じてもらえると思います。また彼の生きてきたストーリーに、励まされる人もあると思います。映画をご覧になる場合は、ぜひ事前登録でご予約下さい。予約いただくと映画の公開時期が延長され、インディペンデントで自費を投じて映画を製作した楽監督の支援にもつながります。

●事前登録の予約はこちら

ブータンに来たと実感

いいお天気かと思えば、雨が降ったり、この国の天気予報はかなり難しいでしょうね。いま、この部屋からは山の緑と空の青、そして向こうの山の頂上には雪が見てています。強風が15秒に一回くらいの割合で吹きます。洗たく物がバタバタ音を立てています。お隣のお庭に小さなワンちゃんがたくさん遊んでいます。お母さんの後についてカルガモ一家のようです。犬に鎖をしない国なので、子犬ちゃんとの遭遇率は結構高いですよ。犬好きにはたまりませんな。
さて、前にブータンのハエが巨大と書きました。でも、すごく鈍感です。存在は確認してませんが、どうやら今度はダニエルが登場したようです。全部で10箇所くらい、やられました。蚊に刺された時よりも痕が巨大ですが、痒みは日本のにっくき蚊の1/5くらいでしょうか。痒いのは足の裏くらいで、他は忘れているくらいです。キンカンの中和作戦が功を奏したのでしょうか。それともご年配のダニエルだったので威力が弱かったのでしょうか。前に人からブータンで虫に刺されて大変な思いをした、と聞いていたので、ブータンに住む唯一の心配がこれでしたので、あらゆる対策を練って色々持って来ていました。寝ている間に痒くなるぼが一番嫌なので、子どもがよく貼られているアンパンマンの掻かずにハッチを貼っていたのも良かったのでしょう。対策として効果があったと思われるのが、通販生活で購入した“ダニ捕りマット”ですね。殺生はタブーの国ですが、まぁ勘弁してください。レモングラスもいいそうです。アロマオイルを持ってきていたので助かりました。今回、ダニにやられてブータンに来たんだ!と実感しました。ハエは大きいのですが、簡単にキャッチできるくらいのんびりしています。といって触りませんが外に追いやるのは簡単もう何匹もリリースしたことでしょう。うちには網戸がありません。大家さん曰く、窓の大きさを測って、お店で作ってもらうのだそうです。夏は蚊が心配ですが、大家さん曰く、ブータンの南は蚊がいるそうですが、この辺りは心配いらないと言っています。でも、網戸作ってもらった方が安心です。だって、蚊をバチンとやらないお国ですのでね。今日からロードショーが始まったチベット映画「雪の下の炎」のバルデン・ギャッツォ師は、昨年来日された時に“ゴキブリを憎たらしく思う”という質問に、“このゴキブリにも親が居て家族があるんだ”と考えなさい、と仰っていました。実践は難しいです。
さっきまで、お隣のおうちのお兄ちゃん(高校生)が来ていました。妹はなんと、今日のプレゼンテーションに使うシートを、お隣さんにさせていました。私も宿題を何度が人にやってもらっていましたが、この妹はある意味“スゴイ”のかもしれません。デザインも完璧に仕上がって、うまく出来すぎです。

2009年4月10日

ぜひ、ご協力を

NHKワールドで取り上げられていましたので、日本でもニュースになっているでしょう。中国は4月8日付けで、昨年3月の騒乱に加担した罪で、チベット人のLobsang Gyaltsen さ んと Loyakさん2人に死刑宣告し ました。他2名 Phuntsokさんと Kangtsukさんも2年の執行猶予付きの死刑を宣告しました。ウソばっかりの中国は死刑率がとても高く、世界で問題視されています。こんな国を相手に絶対死なせる訳にはいきません。緊急にネットにて署名を集めています。ぜひ、ご協力ください。
いよいよ、今週末より渋谷のアップリンクにて「雪の下の炎」と「風の馬」のロードショーが始まります。チベットの問題は知ってるけど、何もできない・・・とお思いの方、そんなことはありません。まずは「真実を知る」。それが最初の一歩であり、最大の一歩です。

2009年4月9日

たまには迷います

車を買おうか考えています。彼は私に“車があった方がいいんじゃない?”と言います。環境を考えできる限り車は乗らずにいたいと思うのですが、彼は街中を四駆で走るのは効率的ではないといいます。ガソリンのことなど考えればそうでしょう。彼は自分の四駆を会社にレンタルします。そうするとかなりの稼ぎになるそうです。なので彼は四駆は必要な時だけに乗り、可能な限り貸し出し、普段は小さな車で過ごしたいと思っているようです。これって私に車が必要というより、彼が必要なのでは???う~ん、考えちゃいます。先日、親戚の家に行くのにタクシーに妹と乗りました。同じ方面に行く人が何人かの乗り合いのような感じで、乗り心地はそりゃー、もうジェットコースターと同じ感覚です。
交通事情をいえばマナーはあんまり良くはないでしょう。この国に“お先にどうぞ、ありがとう”という交通標語はありませんね。小さな子供が通りを横切るのに、道路の真ん中で立ち往生しているのに、車はビュンビュン過ぎ去ります。私は気が気でなくオロオロしていても車は止まってくれませんね。街中でもスピードはゆっくりというより、出せる場合は出す、みたいな感じです。人よりも断然車が優先です。普段はこんなにノンビリしているブータン人なのに、車に関してはまったく別人格です。面白いですね。ゴミの問題もですが、車も歴史が浅いので、マナーを持つというレベルまで達していないのでしょうね。でもブータンの人は車をとても大切にします。彼も毎日のように洗車しますが、洗車風景はあちこちで見かける光景です。砂ぼこりがするので頻繁に洗車する必要があるのでしょうが、車を買うことは彼らにとって大変なことなのでしょう。ブータンの人は物を触る時、とても丁寧にふれます。なんでも大切に扱いますね。“モノがない”ということは精神的にはイイことのようにも思えてきました。
(オーロラ切手で環境保護/日本)

2009年4月8日

天気とネットの関係

昨日はネットの繋がりがあまり良くありませんでした。雨の日はそんなことがよくあります。お天気次第なんて面白いですね。今日の場合はインドとブータンを繋ぐ道で木が折れ、その影響だと彼から連絡が入りました。彼は私にとってネットがとても大切だと思っているようです。家族や友人にずっーとメールが出来なければ、寂しくなって日本へ帰ってしまうと思っているのでしょうか。ネットでどこでも繋がるのでほんと、便利な時代でよかったです。こちらでは雷が来そうな時と雨の日は、インターネットより読書をした方がいいようですよ。
今日もタシさんの弟のお坊さんが来てくれました。彼は香港、台湾、北京などに行ったことがあるそうです。海外にも信者さんが多いので、その関係で行ったのでしょう。彼も英語は少しなので、私とちょうどよく会話ができました。弟が尊敬している17世Gyalwa Karmapaの写真を車の中に貼るようにくれました。お守りになるようです。こっちの人は車の中に、ラマ(高僧)の写真を山ほど貼っています。日本人にそっくりだったので、ブータン人か聞いてみるとチベット人だそうです。ご利益ありそうな聡明なお顔です。
NHKワールドで伊勢神宮の特集をやっていました。ちょうど昨年の4月に母と2人でお伊勢参りをしたのを思い出しました。桜が満開でその頃はなんと別の人と結婚するかも、と心ひそかに母との旅を楽しんでいましたが、まぁ人生なにがあるか分かりません。昨年の今頃、ブータンにでも行ってみようかしら・・・と考えていました。
(写真:昨年の伊勢神宮)

2009年4月7日

続々登場

彼は9人兄弟なので続々と家族との対面が実現しています。今度はインドのダージリンで修業をしているお坊さん(ブータンでゲロといいます、覚えやすいでしょ!?)の弟が遊びに来てくれました。名前は警察をしてる弟と同じカルマだそう。なんで兄弟で同じなのぉ~と突っ込みたい気もしますが、ブータンでは僧侶に名前を付けてもらうそうなので、仏教的な意味合いで名前の数に限りがあるのかもしれませんね。名前は男女共通する名前とそうでないものがあるそうです。タシは旦那の名前のおかげで男っぽいイメージを持っていましたが、女性でもタシさんはいるそうです。ちなみに大家さんの弟の赤ちゃんは、まだ名前がなく、みんな“ベイビー”と呼んでいます。何歳になったら名前がつくんでしょう。
弟のお坊さんは洗濯機を貸して欲しいとたくさんの衣類を出し始めました。お坊さんなので服の色は、エンジかオレンジばかりです。街にはお坊さん専用のお洋服屋さんもあるんですよ。セーターが入っていたので、それは手洗いと思って洗い出すと、まぁびっくり。何度洗っても黒い水が出てきます。ずっと洗っていなかったのでしょうね。こっちでは洗濯機がある方がまだ珍しいので、みんなよく外でジャブジャブ洗っている光景を見ます。しかもブータンの服はゴといいキラといい、かなり大きめなので、お洗濯は大変そうです。前にタシさんのセーターを洗った時も3回洗ってやっと汚れが落ちたことがありました。そのセーターは私の父がユニクロで買ったけど小さくて入らないからとオレンジのカシミヤセーターでした。1月に日本でそれを土産にもらい、気に入ったので私が来る3月までずーっと来ていたらしく、しかも石田純一のようにシャツも着ず、肌にそのまま着ていたので真っ黒な水でした。実に洗い甲斐のあるセーターです。
(左から2番目が弟、お母さんはだいぶ回復)

2009年4月6日

してやられました

昨日も具合が悪いと妹が寝ていました。本人は貧血と言っています。栄養が絶対的に足りないと思い、蜂蜜入りのロイヤルミルクティを飲ませようとしましたが、吐きそうで飲めないと言ってます。完璧なる虚弱体質で、養命酒が必要でしょう。行こうと思っていた市場はやめ、とにかくフラフラが取れるまでは寝た方が良いよと、取りあえず寝かせていました。3時過ぎ起きだし、市場に行こうというのでタクシーで行くことにしました。妹はとっととお買い物を済ませたい様子で、野菜に全く興味がないのか、もしや具合が悪いのを我慢しているのかと思って、必要最低限の食材を購入し帰ろうとしました。“シスター、向こうのお店に行ったことある?”と川向うの露店を教えてくれました。行ったことないよ、と応えると連れていってあげる、と具合が悪いのを押して連れていってもらいました。ブータンの衣装や仏具、洋服などがたくさん並んでいました。“シスターのキラを探してあげる”というので、私は露店の相場がいくらくらいなのかをチェックし、エンポリオ(国営店)で見た同じ物が1/5の価格で売っていると発見して喜んでいると、妹はジーンズを試着しているではありませんか。私は知らん顔をして、その場から去ろうとすると、“シスター、プリーズ”と。あんた具合が悪いんじゃないの…と私の心配をよそに、またワナにひっかかっちゃいました。何か買って上げるときは必ずタシさんに聞かないとダメだから・・・と言うと、“お兄ちゃんには内緒でお願い”と懇願するではありませんか…。具合が悪いところ無理して付いてきてもらったので、もう、しょうがないなぁ…とブラックジーンズをご購入です。タシさんが言った“妹には要注意”の意味がわかってきました。
(写真:民族衣装にバイクが面白い)

2009年4月5日

バクチ in school

妹は昨日、頭が痛いと寝込んでいました。やはり体を作るのは食べ物です。食べることが必死という状況で教育を受けてきたのでなかなか難しいですね。衛生や健康教育も最近なのでしょう。よくBBSでその手の番組をやっています。彼女に野菜を食べないと…といくらいってもダメなので、こういった時こそ、コワイ兄に登場してもらうことにしましょう。
さて、イギリスでのG20の後、チャールズ皇太子と胡錦涛が会談しましたね。50分近く「お互いの共通の関心について」話し合ったとか。内容は震災地域の復興、環境保護、そしてチベットだったそうです。ダイアナ妃やカミラ妃のこともあって、ちょっと苦手だったチャールズ皇太子ですが株価は急上昇です。
昨日は私の友人ジュミと彼の学校のフェデ(お祭りのようなもの)に行ってきました。ブータンの民族衣装は子ども達が着ていると大人のミニチュア版のようでとてもカワイイです。そんな子ども達が大勢いるのでニヤニヤして眺めていました。きっと変なオバサンと思われたでしょうね。1枚10ヌルタム(20円くらい)でチケットを買い、それでゲームが出来たり、ジュースなどが買えたりします。ゲームはうまくいけば商品がゲットできます。夏休み中の盆踊りを思い出しました。子どもにとっては最高な1日なのでしょう。各ブースも生徒たちが担当し、ゲームの進行やチケットの販売などしています。小学生くらいだと女の子の方がませているので、商売上手です。ジュミは女の子にコキ使われておりました。輪投げは思った以上に難しく、見事、数字の箱が輪に入ったら、その金額を貰えます。面白くって1時間くらい見てましたが、お金をゲットできたのは1人だけでした。ゲーム大好きな民族であることは確かなようです。
●ジュミもチャレンジ(目が真剣)
●ゲーム内容は至ってシンプルです
●ジュース釣り
●輪投げで現金ゲット ●輪投げ担当のすごく良く働く子は汗だくでした
●お片付けも自分たちで。すごいナイフで紐をカット。

2009年4月4日

ブータンならでは

お母さんは昨日から少し状態がよくなってきました。早く故郷のトンサへ戻りたがっていますが、大きな病院はこの街にしかないので、少し我慢してもらって静養して欲しいです。
さて、ブータンならではのことです。高地のせいでポテトチップスの袋がパンパンで、開けてみると少ししか入ってないのでガクっときます。でも、分かっているのに買ってしまいます。よく山の天気は変わりやすいと言いますが、まさしくそんな毎日です。たまにですが、モノ売りの人が家を訪ねてきたりします。キラ(女性の衣装)だったり、ネックレスなどの行商です。お巡りさんの格好をしでキラを売りにきた人がいて、私は最初、意味が分からずにビックリしました。きっと奥さんが作ったキラを売りにきたのでしょう。街にはエンポリウムという国営のお店の他、たくさんのお店で素敵なキラがたくさん売っています。ただこれは観光客用なので40~50%は上乗せしてあります。直接、作っている人から買えば同額で2枚も買えることもあるので、ブータンに来た時、買いたくなったら相談してくださいね。お巡りさんがみんな英語を話せる訳ではなく、どちらかというと稼ぎは良くない職業だそうです。やたらと数が多いので驚きましたが、隣国に中国や近くにネパールもあるので、警察が多いことでけん制している意味合いもあるのかもしれません。ネパール南東部では20年前にブータンを追われ10万人の難民がいるそうです(これには深い理由があるらしいのですが・・・)。日本も北がミサイル発射しようとしているので、まったく恐ろしいったら、ありゃしない。失敗し日本に落ちたらどうする気でしょう。
(写真:妹の朝食。トウガラシはお野菜)

2009年4月3日

祈ることしかできません

昨日から彼はツアーが始まり、立て続けに16日まで3つのツアーをこなすそうです。最初のお客さんは彼が苦手とするフランス人で、プジョーのお偉方の“研修”という名の旅行だそうです。フランス人の観光客がとても多いのですが、フランスは景気への影響が少なかったのでしょうか…。日本のニュースを見ていると、車の会社はトヨタをはじめ、本当に大変ですよね。フランス人ツアーの後はアメリカの団体旅行で、キャンプなどもあって彼は楽しみにしています。言葉が通じるのでアメリカのお客さんがいいのでしょう。
イギリスでG20が行われていますが、オバマ大統領は胡錦涛にチベットの人権問題を危惧し、この問題についてダライ・ラマの視察団との“対話”によって改善するよう勧めてくれました。さすがオバマです。ますますカッコイイ度が上がりました。イギリスのチャールズ皇太子はフリーチベット支持者なので、ぜひとも頑張っていただきたいですね。
実は今朝、彼のお母さんが吐血し、いま家族が病院へ連れていっています。妹にタクシー代など渡しましたが、たぶん、入院することになるでしょう。妹はお兄さんには言わないようにと。重要なツアーの最中なので、心配して仕事に影響しないように考えてのことでしょう。吐血は初めてのことらしく、これってかなりの重傷ですよね。私もネットで症状からどんな状況なのか、いま調べているところです。本当に心配です。近くのバンコクや日本にお母さんを連れて行ってちゃんとした医療を受けて欲しいきもしますが、車に乗ることさえ苦手としているので、難しいですね。
彼のお母さんの具合のこともありますが、ほんと家族がマメに電話をし合って、ものすごくファミリー団結力を感じます。生活が大変な方が家族力は高まるような気がします。一人一人が家族を思いやり、とても素晴らしい家族です。

2009年4月2日

初対面

彼の両親が遊びに来てくれました。少し緊張した様子でしたが、2人とも本当に優しいお顔をしています。自分のところで採れた赤米や、手作りチーズとバター、それにお茶のお供になるザウというお菓子のようなものと、コーンをつぶして乾燥させた物、それとグリーンピースとニンニクをたくさんいただきました。まぁ、こんなに重いものを遠路はるばる持ってきていただき、大切にいただきます。彼はお父さんがビールを飲むからと、買いに出てったはいいけど、なかなか帰らずに結局、お財布を忘れたとか言っています。代わりにご両親が持ってきたブータンのお酒、アラを彼が飲んでいました。アラの飲み方はバターを鍋で溶かし、それにアラをいれ温めます。沸騰したらアルコール分が飛んでしまうので人肌程度です。お父さんは普段、声が大きくて口数が多いらしいのですが、帰ったあと、彼が“今日はお父さんが小さな声で優しく話していたよ”と言っていました。お父さんは我が家を“天国”と表現しました。電気がなく、すすで汚れた実家と、きれいで明るい家を比較したのでしょう。彼はお父さん似と思っていましたが、お母さんにもよく似ていました。お母さんは胃の具合が相当悪く、でも痛いとは言わないそうです。でもたまに表情で痛さをこらえているのが分かります。よっぽどの時に痛いというそうです。首都ティンプーには治療のために出てきたというので病院かと思いきや、さすがブータン。何日もラマ(お坊さん)の所へ通い、プジャ(祈祷)をしてもらっています。お母さんはお肉など食べられず、料理はブータン風とはいきません。野菜中心です。妹がお母さんの料理を作りましたが、大きな唐辛子は入るは、バターも塩も入り、最後にチーズです。私には十分辛そうで胃に負担そうだなぁと思っていたら、やはり翌日はダウンしてしまいました。ブータンの人は健康についての知識はまだまだ低いようです。胃に負担を掛けない料理とか、わからないんでしょうね。お母さんも長年、唐辛子を食べ続けているので、やはり刺激がないと美味しくはないんでしょう。それにしても心配です。これが日本であれば、検査して手術で治るのであれば即手術でしょうが、そういう訳にはいかないんでしょうね。お母さんはテレビのブータン放送を見ながらクスクスしています。実家は電気がないのでテレビが珍しくって面白いそうです。お父さんは写真で見ていましたが、本当に超イケメンで、でも性格は彼ソックリな感じで面白いことを発見してニコニコ笑っています。本当に仲良しの夫婦で、どこへ行くのも一緒だそうで、おトイレも一緒に入っていました。カワイイですね。ブータン流にご飯は上手に手で食べていました。妹も両親が来て喜んでいます。お母さんは胃潰瘍だと思うのですが、どうか痛みが取れますように。
(左は弟、首相の警備をする警察官)

2009年4月1日

気持ちも新たに

今日は4月1日、新年度の始まりです。彼は毎朝ウォーキングに出かけ8:30頃に戻ってきます。戻る10分くらい前に携帯メールへ“日本へ帰りたい・・・!?”と送ってみました。いつもなら人の迷惑も考えず、大声で歌って戻ってきますが、ちょっとシリアスな顔をしています。私はおもむろにカレンダーを4月に変え“エイプリルフール!!”と叫ぶと、Oh my goshとまんまと引っ掛かりました。やられる前に先手を打ちました。その後がすごかった。彼は兄弟や会社のボスなど、ひっきりなしに電話し、ひっかけてゲラゲラ笑ってました。家具屋に行く用事があってので一緒に車で出かけると窓を全開して、そこら辺の関係ない人にも“靴が左右違うよ!”とか声をかけ“ハッピーフール!”と、フール(バカ)なのは君ですよ。
さて、彼がツアーから帰って来た時、神妙な顔をして“ミコ、ノーグッド”とブーツのことを言い出しました。早々にバレタと思って、欲しいと言われて仕方がなく・・・と説明しました。今度は僕に必ず聞いてからにしてね、と。私のブロークンイングリッシュでは妹にまんまとはめられたとは通じませんでした。言葉が通じていないのに夫婦でよくいるなぁとオカシイのですが、結構楽しくやってます。彼はブーツのことで妹をすごく叱り、もう家には来るな!と言ったそうです。かわいそうに…。どうしてブーツのことを知ったのか聞いてみると、彼の会社の人が私と妹が2人で仲良く歩いているのを見かけ、ブーツを履いていたと証言したそう。すごい狭い世界ですね。この国の人は大変にウワサ好きだそうですよ。私はウワサとか一切気にしない性質ですが、気になる人には辛い国かもしれませんね。彼の会社では私をドコドコで見かけたとみんなが言っているそうです。
夜は外でディナーだったので寒がりな私はブーツを取り出し履いていると、“ナニ!?”といつもの変な日本語にイントネーションで驚いています。驚くのはこっちです。彼は妹が私のブーツをねだってもらったと勘違いしていたそう。自分の間違えに気付き“安心した”と言っています。何が安心だかよくわかりませんでしたが、彼の言い分としては、私のブーツは私は似合っても妹は似合わないし、日本の靴が高いことを知っていると。お店で妹がブーツを履きだし欲しいと言われたので買った、と言ったつもりが通じていませんでした。いくらか聞かれ1000ヌルタム(2000円)と伝えたらOKと。あれれ!そんな問題だったの?と笑えましたが、叱った妹に謝り連絡を入れたらといいましたが、直接話すのは嫌な様子です。携帯メールで“誤解でした、ごめんなさい”と送っていました。翌日、妹に会ったら、お兄ちゃんに怒られて泣いていて食事もできなかったそう。あまり強い口調で命令ばかりしていると反発ばっかりして彼女の人格形成に逆効果だよ、と言ったら少し考えて“そうだね”と。3人いる姉妹で彼女だけは少しユニークなので、心配なんだそうです。他はとても良い子らしいのですが、一人都会に出ている彼女は、日本の女の子と変わらなく恋愛やオシャレに興味があり、性格的にはタシさんそっくりなので、男であればいいのかもしれませんが、女の子なので心配なんでしょうね。たぶん、他の姉妹は学校をサボるなんて辞書にないのでしょう。ガミガミは止めてね、と言ったいくらか改善されました。彼のボスは私ですから。
(写真:ゲーム大好きブータン男)