2009年3月31日

ぜひ、来てね!

蕎麦をホットケーキみたく焼いた料理を“クレ”と言うそうです。クレープの語源だったり…。蕎麦打ちに使う棒としてゴマすりのすりこぎ棒を代用しようと準備に入りました。卵を加えてクレープを作ったところ舌ざわりがザラザラしていたので、蕎麦職人のアドバイスもあって、ふるってみました。まぁ驚くことに蕎麦の実の殻がたっぷり入っていました。だいぶサラサラになって蕎麦粉らしくなりました。すごい量だったので部屋中、粉だらけ。今日は“ふるい”で力尽きてしまいました。白いふきんが黄色く染まったので、もしやこれは韃靼蕎麦なのでしょうか。カレー並みの染色力です。蕎麦打ちをした時には報告しますね。
まったく不要な情報でしょうが、日本以外のお米を美味しく炊く、炊き方を伝授しちゃいます。同じ白米でも普通に炊くとやはり少し日本よりドライな感じがします。まず籾がいっぱいでますのでよく研ぎ、水の変えは多めです(たまにヘンテコリンなお米が混じっているので取り除きます)。その後、1時間くらい浸水させておきます。炊く際の水分量は1.2倍にしてサラダ油を少し加えます。いくつか方法を試しましたで彼が“日本のお米?”と、ひっかかりました。モチっとした食感になります。こちらの主食である赤米は炊飯器から出血か!と思って驚きました。研いだ水も赤くなるですね。 写真の男性が持っている白い物はお弁当箱です。
コーヒーや日本茶は日本で飲んでいたものと同じものを飲んでいますが、全然味が違います。水のせいでしょうか。それとも沸点のせいでしょうか。水は硬めのように感じます。ブータンのご家庭ではスジャかミルクティをよく飲むようです。両方とも美味しいですよ。コーヒーはどう入れても美味しくならないので、ちょうど止めたいなぁと思っていたので、うまく卒業できました。
昨日は彼が8日ぶりに帰ってきました。取り合えず2日間はツアーはないそうで、その後3つ連続のツアーになります。まさしく書き入れ時ですね(ちなみにこれまで、カキイレドキを「柿入れ時」と思っていました、バカです)。彼のアレンジで昨夜はJICAの方とお食事しました。“肉なし月”解禁で久々の肉です。JICAの方は中南米を希望したけどブータンになったとか。それもそれで大変でしょうね。担当はブータン観光局だそうです。不況でキャンセルが相次ぎ、中でも彼の会社は休みなくお客さんが来るので、ほとんどのツアー客を彼の会社が持っていっていると思えるほど。旦那さんがいい会社で良かったですね、と仰っていました。
彼が久々に帰って事件が起こりました。それはまた次回。(ヒント:ブーツ)

2009年3月30日

響き

ブータン人の恋愛は計算があまりなくってストレートなのでしょうね。この国の人は無邪気という表現が一番あっている気がします。私は無邪気な人が大好きです。なのでブータンも大好きです。
昨日はとてもいいお天気で、聴いたことない鳥のさえずりがたくさん聴けました。カッコウにも似てる声ですが、いろんな歌を歌います。双眼鏡を片手に窓辺にずっとへばりついています。鳥マニアにはたまりませんな。ウソみたく素晴らしい歌です。お天気予報は雨でしたが、予報は予報ですね。日本だってはずれることはありますね。妹は自分自身をベランダで干して、結局、彼が帰って来るまで“お兄ちゃんのベッドで寝る”と我が家に泊まっていました。
彼の両親がトンサから車で6~7時間掛けてやってきました。今回は彼が仕事中なのでバスできたそうです。とても疲れているでしょう。お母さんは体が弱いので、今回も病院で検査をする必要があります。直接に親戚の家へ行ったので会えませんでしたが、もうすぐ会えるので、すごく楽しみです。親戚の家は家の中まで水道が引かれていないので不便と思うのですが、両親の家は電気がない家なので、私が考えるほど苦ではないかもしれませんね。
さて、ブータンのテレビについては以前に少し紹介しましたが、ニュースは国の言葉「ゾンカ」と英語版の2つあります。英語版のキャスターは明るい感じで今っぽい女子アナ風で、毎日の衣装を見るのが楽しみです。ゾンカ版のキャスターはいかにもブータンといった感じで保守派なイメージです。ゾンカは響きだけ聞いていると、少し怒っているように聞こえます。携帯で話している時は、まるでケンカしてるんじゃないかと感じるくらい勢いよく話しています。「ゾンカ」は私にはまだお経のようです。
(写真:キッチンからカワイイ山が見えました)

2009年3月29日

ブータン人のノリ

おとといまでの雨が止み、たまったお洗濯を一気に干しています。気温は20度くらいで朝晩は10度くらいでしょうか。風が強く吹く時はちょっと寒く感じます。ブータンの気候は日本の長野に似ているそうです。7~9月くらいが雨期ですが、昨年の8月にブータンへ来た時は、たまに降る程度で、山の緑かとても濃く、車から見える山の景色を見て、ここは天国かと思ったほど美しかったです。ブータンを歩いていると子供との遭遇率がとても高い気がします。東京ではたまに見かける程度ですが、やたらチビッ子率が高いです。小学生くらいの子はハローと声を掛けてきたり、手を振ったりします。声を掛けてくるのはやんちゃそうな男の子が多いですね。きっとタシさんも小さな頃はそうだったのかと想像します。女の子はシャイな子が多いですね。ブータン人は外国人の私をジーっと見て過ぎ去りますが、インド人はウィンクしたりニコッとして、ちょっと軟派な感じです。ブータン男性は声を掛けたりはしませんが、車に乗っているとそのまま走りされるので、すれ違う時に何か叫んだりしています。ブータンにもmixiみたいのがあり、妹と遊び半分で載せてみたら反響がやたらあって驚きました。恋に落ちた…みたいなことを平気で送ってきます。mixiというより出会い系サイトのイメージなのかもしれません。ブータンの人は表向きキチンとしてそうな雰囲気を出しますが、結構、軽い感覚の恋愛しているようにも感じます。恋愛については日本よりも米国的なイメージを持ちました。私も彼のそんな言葉にまんまとひっかかりましたね。妹も恋の話ばかりしています。
昨日は大家さんの家でプジャ(法事・祈祷)があったので、お邪魔させていただきました。ブータンではよくあちこちの家でプジャが行われています。何の目的か聞くと、家族を守ってもらうためだそうで、今日はみな集合していました。朝8時前に始まり、終了したのは夜の7時です。お坊さんの仕事も大変ですね。朝昼晩と食事の用意をします。それ以外はずーっとお経を読み続けています。途中、一番上のお坊さんは携帯電話で話をしてたりしました。一人やたらと軟派なお坊さんがいます。写真を撮ってくれとか、私がお経にあわせ祈っていたら、イヤホンをつけた携帯で音楽を聴かせてくれました。帰り際には、街で今度会おう…日本語を教えてくれと。人それぞれでしょうが、ブータンの都会に住む人は軽いノリのようですよ。

2009年3月28日

かなり楽しんでます

別名“雷龍の国”ブータン。ここの所、少し雨が降っています。乾燥が続いたので大地が喜んでいます。昨日の夕方に雷が鳴りました。龍のお出ましかと雲に覆われた山を探しながら、遠くガンテに居る彼へメールしたら、すぐに電話が掛ってきました。テレビと冷蔵庫のコンセントを抜いて、と。のんきに龍を探す私と違って現実的です。ブータンでは、よく雷が落ちるそう。日本の知り合いの家で雷が落ちた時、やはりすべての電化製品がいかれてしまいました。雨の影響かわかりませんが、昨日は長い時間ネットもつながらず、テレビも映りませんでした。供給元で何か起きたのでしょう。部屋から望む山の頂上は雪で覆われています。
小雨の中、無心にメモリアル・チョルテンを回っていたら“望むな”という言葉がポンとやってきました。それを考えて歩きました。他のことは祈っても、自分についは欲するな、ということだなと思ったら気持ちがスーッと変化しました。直感的なことは意味があると思っています。“望むな”を神の声だとは思いません。たぶん自分の無意識なものが顕在化しただけでしょうが、私は都合よくこれを仏さまからのメッセージと受け取ります。その後に浮かんだのは“楽しめ”でした。生きることの喜びを味わって、多いに楽しもうと思っています。 さて、今日は近くにある親戚のお宅と、ちょっと離れたところにある親戚のところへお邪魔しました。ブータン流のランチと手作りお菓子をいただき、話に花を咲かせました。ブータンのお宅をたくさん訪問していますが、どの家も女性は織機で素敵なキラなどの織物を作っています。

2009年3月27日

短命な訳

彼はツアー真っ只中、繁盛期はホテルが満員になるので車の中で寝袋を使って寝るそうです。ハードな仕事ですね。逆に空いている時期はホテルに泊まれて、お客さんによってはゴージャスなホテルに泊まる方もいるので、そんな時は楽しいそうです。寝袋だったので昨日は早々に起き、朝6時キッカリにSMS(携帯メール)をくれるのは勘弁してちょうだいね。
先日食べたエマ料理をまた食べたい気がしています…。恐ろしい。あれを食べ続けたら完璧に痔ですね。彼は食事する時に野菜をほとんど食べてくれません。ブータンの食文化はエマを使った料理と、それによってご飯が進み大量のお米を食べます。かつてはいろいろな野菜やお肉が手に入らなかったので、唐辛子でご飯が進むような食文化になっていったのかなぁと想像します。このエマ料理はバターも入り、塩分もきつめです。日本のお医者さんがこの食事状況を見たらレッドカードを突き出すでしょう。彼は野菜炒めなど、気持ち一口を義理で食べる程度で困りましたが、スープがとても好きなようなのでミネストローネや具だくさんのお味噌汁を作ることにし、野菜率は上げられました。しかし、妹はエマ以外が全く駄目ですね。しかも妹の方が彼よりエマ率が高い…。困ったものです。何か対策を考えねば。妹は今日もやってきました。トックパを作ってあげる…と、チベットのうどんだと思って楽しみにしていたら、インスタントラーメンでした。作っているのを見ていたら、袋の中の調味料はすべて入れた上、味見をして更に塩を小さじ一杯入れていました。お湯の量は少なめです。この子の舌はどうなちゃっているんでしょう。たまに頭痛がしたり、倒れちゃったりするのはメガネのせいではなく、もしかして高血圧ではないかと心配になってきました。
街には大勢の親戚がいるので、みんな紹介してくれると言っています。彼に妹が親戚めぐりをしてくれていると伝えたら、病気になるから連れていくな、と妹が言われてしまいました。彼はちょっと心配しすぎです。ブータンの家は決してキレイとは言えない所がたくさんありますが、家に行ったくらいで病気になりません。彼に楽しいから心配はいらないよ、と伝えるとお茶を出すカップをよく洗うよう妹は言われていました。ブータンは汚いのは苦手という方は、ちょっと難しいかもしれません。高級ホテルだけに滞在するなら大丈夫でしょうが、ゴミも多く、においも結構きつくて混沌としています。私は古い味のある家やにおいも、生きているって実感がアリアリなので好きです。彼は以前にイギリスに留学していて、日本にも来ているので、きれいな街を知っていて心配してくれているのでしょう。妹は小さな国、ブータンしか知らないので、私の生活や行動が面白いようで、“これはナニ”と聞いてきます。ドライヤーを始めて使ったそうで癖っ毛がいつもと違いサラッとして嬉しいとニコニコしています。豆を挽いたコーヒーをみて、これがコーヒー?と目を丸くしていました。自分の国ではインスタントコーヒーをコーヒーというんだ、と言っています。妹は自分のブログに書き込みがあり、それを読んでキャーキャー言っていました。私はマッサージに行くので妹が帰らないかな・・・と思っていましたが、一緒に行きたい、とついてきてしまいました。彼にマッサージ(1,500円)は月に一回と約束したのに、今月は2回目。今度は私がお兄ちゃんには内緒でね、と。弱みを握られ携帯代100円を支払う羽目となりました。2日連続でやられました。
(写真:ゴミ回収車に札幌市と。車もリユースです)

2009年3月26日

自由

SONG FOR TIBET FROM JAPAN』が昨日発売されました。チベットの自由を支援するアルバムです。たくさんのアーチストが参加しています。音楽という重要な文化も消されようとしているチベット。音楽を自由に聴くことができる私たちにできる支援のひとつです。私の大好きなMONGOL800も参加しています。
さて昨晩、めずらしく遅く12時まで起きていたら、どこからか鐘の音がしてきました。除夜の鐘のようです。煩悩の108つではなく3度で終わりました。ブータン人の煩悩の数かもしれませんね。昨日は早くから妹がやってきて、シャワーを貸してくれと。今の家はお水がチョロチョロしか出ないそうで、お湯はもちろん出ません。“ここはあなたの家でもあるんだから好きなようにしてね”と言ったら喜んでいました。一緒に住めばいいのですが、彼が嫌がります。静かな空間がいいそうです。私と住む前までは、親戚の家を渡り歩いていたくせに、よく言いますね。いつか広い家に住んだ時、家族も親戚も、住みたい人は一緒に住めたらと私は思います。義妹の話を聞いていたら視力が相当悪く、メガネの度が合わずに頭痛やひどい時は倒れちゃったりするそうです。メガネは高くて買えないと言うのでビックリし、度の合ったメガネを早速作りに行きました。5,000円くらいでフレームと度入りレンズも作れました。これで勉強に身を入れて、と約束をしてもらおうとしたら、4月に入ったら、とのこと。相当勉強は嫌いそうです。私も大学はほとんど行かなかった方なので、よく気持ちはわかります。何かにつけお兄ちゃんには内緒でね、と言われます。よっぽどウルサイ兄なんでしょうね。彼は頻繁に妹へ電話しています。この妹だけではなく、いろんな兄弟・姉妹へ電話したり、掛かってきたりします。彼の携帯は休まる暇がありません。彼のお父さんからも毎日のように掛ってきて、それをいつもウルサク思っているようで、同じことを妹にしているんですね。彼の家族だけ特別なのかわかりませんが、家族の絆がすごく強いんだなぁと感じます。彼は5人いる男兄弟は放っておいて平気といいそうで、3人いる姉妹はとてもケアしています。尼さんの妹からも電話が掛ってきます。携帯は持っていませんが、やはり家族が恋しんでしょうね。彼を見ていて私の家族愛の薄さに反省しています。妹はメガネ屋の帰りに私が好きそうなお店にいくつか連れていってくれました。最後に私には必要ない靴屋さんに入りました。ブーツを試し履きしています。ずーっと欲しくて、何度もお店に通っていたようです。お兄ちゃんは買ってくれないと言っています。さすが妹です。私と同じ、おねだり上手でブーツを買わされました。
●シャモ(椎茸)ダツィの作り方●
生しいたけを適当なサイズカット(妹は手でちぎる)。唐辛子を縦に割り、たまねぎ・トマトはうすくスライス。これらにバターとチーズと塩、水を材料のかさ半分くらい入れ、15分くらい中火で煮こみできあがり。(ニンニクやショウガを足しても美味だそう)

2009年3月25日

開眼!?

ブータンのオンラインニュースを見ていたら、アルコールや薬物中毒のリハビリセンターが設立されるとありました。今月8日にはブータンの学生が薬物乱用で大勢逮捕されたそうです。インドから簡単に手に入れられるため日本同様、ブータンでも深刻な問題になっています。就職するのが難しいということも日本と同じです。こっちは日本よりも貧富の差があるような気がします。差といっても政府や軍・警察関係者や土地を持っている人、観光業でうまくいっている人などの一部が益々リッチになる仕組みに思えます。まだ詳しくわかりませんが、国民の9割である農家が多くの日本人が思い描くブータン的な生活をしているのかなぁと思います。彼がブータンにはホームレスはいないと言っていましたが、物乞いをする人が街にいました。ブータンは変化している最中なのでしょうね。
さて“寂しくなったら電話をくださいね”と言っていた彼の妹が、電話もしないのに毎日のようにやってきます。こちらは一向に構わないのですが、ちゃんと学校に行ってね!昨日はお姉さんにスペシャルな料理を作ってあげる、と台所で手際良く作ってくれました。、ものすごい量のエマ(唐辛子)を入れようとしているので、思わず声をあげてしまいました。3本ほど減らしてくれましたが、鍋の中が真っ赤です。辛さにはそんなに強くない方ですが、せっかく作ってくれているので少しは口にしようと恐る恐るいただきました。最初は“からっ”と思って、どうなるかと思いましたが、“あれれ、もしかしたら美味しいかも”と、お漬物のような感覚でご飯と一緒に食べると、止められないのです。普段、自分で作るペペロンチーニも鷹の爪を2本で辛いと感じていたのですが、ブータンに来てエマの美味しさに目覚めてしまったようです。結局、すべて食べきってしまいました。鼻の上に薄らと汗が出て、しばらく体がポッポとしていました。唐辛子もコーラと一緒でクセになる美味しさなのかもしれません。コンピュータの学校に通っているという義妹ですが、さほど詳しくなく、学校もサボっているので、これはイカンとパソコンに強くなるよう、ブログを作ってみました。何でもいいから書けばいいんだよ、といっても最初は浮かばないようでしたが、授業中の書いた詩のようなものノートから写して書き込んでいました。失恋日記のようです。21歳で若いんだから大丈夫だよ、と言ってもまだまだ引きずっている様子でした。お兄ちゃんには決して言わないで、とだいぶ恐れているようです。15歳も年が離れていれば、彼も親のような心境なのでしょうか。彼は9人兄弟のボス的存在で、両親も彼にかなり頼っているそうです。そして、その彼のボスは私です。本人が自分のボスは妻である私、といっているので間違えないでしょう。ブータンでは奥さんの言うことすべてを旦那さんが聞くのだそうです。私は強いつもりで言ってる訳ではないのに、何気なく言ったこともちゃんと守ってくれ、あまりの素直さに驚きます。ボスなんてちょっと気分がいいです。ヤッター。(写真:我が家よこの伝統的なお家)

2009年3月24日

犬のコンサート

先日のプジャの時にカメラをジュミ君に預けていたので、その間にたくさんの尼さんを撮影していました。プリントしてさしあげると皆すごく喜んでいました。お金を払うので、もう一枚くれないかと。家族に送るのでしょうね。尼さんからお代なんていただけません。17歳くらいのカワイイ尼さん達です。最初は恥ずかしがっていたのに、打ち解けてくると一緒に写真を撮ってくれ、と人気者になってしまいました。色白がこの国では珍しいんでしょう。
彼の妹がまたまた来てくれました。授業が始まる時間になっても居るので聞いてみると、ベーシックのクラスだからいい、とサボっているようです。ブータンの学生もサボりは同じですね。よくよく聞けば、彼女の学費も生活費もタシさんが出しているそうです。他の兄弟の面倒や親への仕送りなど、ぜんぶ長男がやっているようです。彼がお金にとてもシビアな理由がわかってきました。私は3人姉妹の末っ子なので、妹ができてすごく嬉しいです。気が利く良い子で食器洗いや洗たく物をたたんでくれたりします。いいのよ~、と言ってもお姉さんのお手伝いをするのが妹だといいます。彼から電話が来た時“シー”と自分が来ているのは言わないでくれと仕草で言っています。お兄さんはとても怖い存在だそうです。お兄さんのらしき車が止まっていると、友人にナンバーを確認してもらい、彼の車だった時は即座に逃げるそう。私も姉妹の一番下なので、気持ちが少しわかります(お姉ちゃん、ゴメン)。
さて、ちょくちょく登場する犬の話題です。オープンエアーも去勢手術も驚きですが、半端でないですよ。夜は犬の合唱コンクールです。大声コンテストなのでしょうか。まるで野性のようにあっちこっちにいて、ところ構わず気持ちよさそうに寝ています。犬好きにはイイ国ですね。狂犬病の犬がいるので近寄ってはいけないそうですが、彼曰く、変な感じの犬には近寄らなければ大丈夫だそうです。ワンちゃんたちも車には気をつけてね。
彼が出張中で一人なので夜はちょっと心細いと思いきや、ブータンの方々は歩く時は歌ったり、足音も、話し声も大きく、周りに人がありありといるとわかるので、ぜんぜん怖くありません。この国に来て怖いと思ったのは、ライフルを背にしながら子供と遊ぶおまわりさんぐらいです。

出来ることはする

4月2日にG20サミットのロンドン会議が開催されます。 昨年の洞爺湖サミットでもアクションを起こしましたが、要求は決して叶わなくとも、毎年アクションを起こすことが重要です。ムーブメントを作るためには、数が必要です。方法は簡単なので、皆さんもご協力ください。

●アクション1   中国国家主席への要請
このURLから胡錦濤に直接メールを送ります。英文の要請書がデフォルトで書かれていますので署名して送信するだけです。

●アクション2   麻生首相に要請
下記の雛形文を使い麻生首相へ向けて要請書をメールします。 (コピー&ペースト)
麻生内閣総理大臣殿
4月2日のG20サミットにて、中国国家主席胡錦涛に対し、チベットの深刻な現状に関して言及していただきたく手紙を差し上げます。 ご存知のように、チベットは現在、動乱の鎮圧を試みる中国により、事実上戒厳令下にあります。 そのような警備の強化にあっても、1月以降少なくとも8回の抗議行動が行われていることは、チベットの人々の深い不満を克明に表した行為であり、驚きに値することではありません。その不満はチベットの置かれている現状はもちろん、中国の60年間にも及ぶチベット支配の中でダライラマの平和的解決に対する努力に対して前向きに反応してこなかったことが大きな要因です。 チベットのすべての世代のチベット人が、ダライラマを亡命に追い込んだ日の50年目の記念日として追悼の意を称している不安定な時期に、中国の当局は昨年起こった抗議行動から何も学ぶことなく取り締まりを強化しているのです。 私たちが昨年目撃した虐殺を防ぐためには、国際社会の迅速かつ一致団結した行動が必要不可欠です。よって、以下の点を多国間協議のもとで、日本国として訴えることをお願いします。
*G20にて多国間、または一国から胡錦濤に対してダライラマまたはその特使団と会見し、チベット問題の解決に向けた真剣な話し合いがなされるよう強く関与する。
*G20にて、武器を持たない民間人に対して、破壊武器の使用を含む、中国政府の行き過ぎた武力弾圧を中止する保証を胡錦濤から直に取り付ける。
* 昨年3月の一連のチベット地域における騒乱に関して、国連拷問禁止委員会による完全で独立した調査を受け入れるよう、中国政府に対して要請する。(2008年11月拷問禁止委員会ジュネーブでの中国代表団への最終勧告に基づく) 首相におきましては、G20サミットの参加国首相として、リーダーシップを発揮し、サミット参加国の首脳陣に働きかけ、上記項目を実行に移すことを中国政府に強く要請していだきたくお願い申し上げます。
敬具
(日付と自分の名前を書く)
*送付先に内閣府・外務省をチェック

●アクション3 (G20とは関係ありませんが)
ノーベル受賞者たちが中国に対し,ダライ・ラマ法王の誹謗中止を求めています。名前とメルアドは必須ですが、それ以外は任意です。

(方法がわからない場合はメールくださいね)

2009年3月23日

ブータンの胃袋

春の強風がおさまってきました。先日のプジャの途中から寒くなってきたので風邪をひいてしまいました。彼は友人が亡くなり忙しくしているので、妹を呼び寄せてくれました。寝ていた方が楽になる気がしましたが、せっかく来てくれたので片言の英語でいろいろとお話ししました。彼によく似ていて、おめめパッチリでキュートです。21歳でコンピューターの学校に通っているとのことで、“さみしくなったら電話をください”と、ほとんど彼が不在なので気を使ってくれました。おかげさまで風邪は一日ですっかり治りました。彼は8日間出張で、今度はフランス人のガイドです。これが一番難しいのだそう。彼曰く、フランス人はアメリカ人より“タフ”だそうです。大人数を一人で相手にするので、それは大変でしょう。日本人をガイドをするのが一番楽しいと言っています。文化が全く違う西欧より、少し似ているところがあるのからでしょうね。
さて、昨日はサブジ・バザールという市場へ行ってきました。街にも少しは野菜など売っていますが、新鮮さではサブジ・バザールが一番だそうです。金~日だけやっていて、たくさんの農家が売りに来ています。街中の人々が買いに来るので駐車するスペースを探すのが大変です。場所によっては駐車料金を取られるらしく、取られたお金はどこへいくのでしょう。今度、彼に聞いておきます。市場で売っているのは、ほぼブータンで採れた野菜です。仏教国で殺生をしないため農薬は使っていません。一番多く売っているのは何といってもエマ(唐辛子)です。大きな籠にドッサリとエマが積まれています。量り売りするのですが、自分で良いものをチョイスして計ってもらいます。日本のように細かいグラム数まで測らず、天秤で測ります。計量はアバウトな感じで、袋に入れるときにいくつか落ちようが、売る方も買う方も気にしていませんでした。持参しているサブジバッグに野菜をそのまま入れていきます。このバッグはかなり頑丈なエコバッグです。野菜の種類はエマの他に、じゃがいも、小さな紫色の玉ねぎ、にんじん、トマト、キャベツ、いんげん、カリフラワー、ナスなどあります。形は不揃いで日本よりサイズはどれも小さめです。乾燥している上、赤土が多いので、土地は肥沃とは言えないようです。野菜は若干、日本よりも苦味があって、味が強い気がします。作った人と直接にいろいろと会話しながら買っていきます。買い手と売り手がコミュニケーションをとりながら、自分でチョイスし、農薬なしの物を包装はせず買えるので、今、日本が求めている理想的なスーパーマーケットと言えそうです。
マーケットの横に小さな建物があり、ちょっとのぞいてビックリ仰天しました。たくさんの犬が網の中に入って眠っています。オープンエアーの去勢手術です。犬に鎖をしない国なので犬が増える一方だそう。夜は犬が怖くて出かけられないほどです。犬が嫌いな人は絶対に住めないところですね。ブータンの電灯がベストとは言えず、室内は暗いところもあるので、炎天下の手術はかえって明るくって良いのかなぁと感じました。ブータンはスゴイって思えることがいっぱいあるので面白いです。ちなみにブータンのハエは巨大です。ガラスに頭をよくゴツンとしています。痛そう。身長は2センチはありますね。(身長っていうのかなぁ・・・)

2009年3月22日

隅々までしみ渡ります


忙しい日が続きます。彼は平日の日中はもちろん仕事で不在なので大家さんがあちこちへ連れていってくれます。昨日と今日はお寺のプジャに行きました。プジャとは法要や祈祷のようなものです。昨日行ったお寺では、年に一度の大きなプジャの日だったようで、たくさんの人が訪れていました。車のナンバープレートがBHUTANと書いてある車とすれ違いました。他のナンバーと違うので聞いてみると、国王か高僧のどちらかの車だそうです。帰り道、大家さんの友人で旦那さんが日本人、奥さんがブータン人という珍しい方とお会いでき、またまたそこで長いお茶タイムとなりました。とても日本語が上手でしたが、日本の生活で病気になってしまったそうで、戻ってきていたとのこと。ブータンはすごくいい国だと切々と語っていました。日本で暮らすよりブータンで暮らしたいそうですが、旦那さんのお仕事のこともあり、年末には日本へ行くそうです。日本人は忙しすぎるでしょ、と仰っていました。家に帰りガイアシンフォニーを彼と見ていたら、大家さん一家が来てミニ上映会となりダライ・ラマ法王篇を見ました。彼らは面白いことに同じシーンでみんなして感嘆の声をあげ、ブータン人は黙って映画はみないのでしょう。チベットの苦しみにみな同じように嘆きの声をあげていました。すごく良い映画だと言っていました。それを聞きつけて大家さんのお婆ちゃんもやってきました。英語がサッパリ通じませんが、映画を興味深げに見入っていました。驚いたことに映画を見ながらダライ・ラマ法王に映画が終わるまでずっと祈っていました。
今日のプジャは尼さんがたくさんいる、我が家のすぐ横のお寺であったので、興味本位で軽い気持ちでのぞきにいきました。途中にお茶タイムが入ったものの、なんと5時間祈りが続きました。昨日のプジャはお坊さんの読経でしたが、今日のプジャは一般人です。皆さん仏具を持参し、金剛鈴や太鼓を使って祈ります。途中でワンちゃんが入ってきて、太鼓などの大きな音がしているのにまったく構わぬ様子で、人と人の間にちょこんと座っています。前世は仏教徒の犬でしょう。日本のお経のような感じではなく、歌を歌っているように聞こえました。鈴や太鼓の音が体中にいきわたり、祈りが染み入りました。ほんとこの国は祈りが濃いんだなぁ・・・と5時間飽きずに見たり聞いたりしていました。聖水のようなものをいただき、隣のおじいちゃんが飲むんだよ、と所々をしぐさで教えてくれ、本当にこの国の人は親切のかたまりのような人たちです。ブータン人は祈るために生きているんじゃないかと思えるほど祈ります。この国に来て20日間ですが、幸せだなぁと感じることが実に多くあります。国民の97%が幸福である、と応えたのはもしかしたら本当なのかもしれません。(写真:レストラン&バー。ブータンにはこんな感じのお店がたくさんあります)

2009年3月20日

もうすっかり

ブータンは春一番のような風が毎日のように吹いています。どこかで雷のような音がしました。屋根飛んだのかと思って、思わずベランダに見に行きました。風の音なのでしょう。こっちの生活にすっかり慣れたと友人に言ったら“ちょっと早すぎ”と。適応能力はある方です。お買い物の帰り道、かわいい学生さんがニコッとするので、思わずこちらも。観光ですか?と聞かれ、拙い英語で説明したら、家のすぐ横にあるお寺に寄宿している子たちでした。偉いお坊さんがいらっしゃる寺院だそうです。そこには若い尼僧がたくさんいます。いつもゲストがたくさん来て賑わっています。寺院の中を見てみませんか?と誘われたので、気になっていたので拝見させていただきました。五体投地(一番丁寧な祈り)の仕方を教えてくれました。色彩が美しい寺院をあとに、帰ろうかと思ったところ、お茶を飲んでいきませんか?と。これまたずうずうしく頂きました。事務所にはスタッフの方がいましたが、仕事をとめ、そこでもニワカ日本語教室を開催しました。スタッフ曰く、ブータンは仕事に来て、おしゃべりして、お茶を飲んで帰るんだよ、と。どこへ行ってもおもてなしをしてくれるお国なんですね。学生さんは明日、我が家へ遊びに来るそうです。
メモリアル・チョルテンでは、お祈りしている最中に笑っちゃうことが多々あります。マニ車を持ってグルグル回っているお爺さんが持っているカバンがカワイイのです。キティちゃんもどきなどのキャラクターのカバンを肩から掛けていたりするのです。民族衣装にキティちゃん、アンバランスなのが、かわいらしくって仕方がありません。メモリアル・チョルテンには日中はお年寄りが多くてまわる速度がゆるやかで、夕方は仕事帰りの人や学生さんが多いので、2倍速くらいの速さでグルグルしています。高校生くらいでカッコウつけたい盛りのお兄ちゃんたちも、オシャレな格好しながらグルグルまわっています。ブータンも日本と同じなのか、男性よりも女性のおばあちゃん率が高いですね。小さな子供も親と一緒にグルグルまわって、最後におじきの仕方など教えられています。子供にはまだわからない世界かもしれませんね。ジュミ君に3回まわるよ、というと、小走りで先まわりし角っこで待っていて、まわる回数をカウントしてくれたりします。マニ車を回しながら、自分も右に回れば、祈りの効果は倍増するんでしょうか・・・。大家さんがお友達に私を紹介してくれるとのことで、いくつかお宅を訪問しました。家の中でもお爺さんはマニ車をクルクルまわしていました。時間があれば祈るんですね。

2009年3月19日

必需品?

彼のツアーが終わりました。といってもまたすぐに始まるのですが・・・。私はお風呂の代わりをプールでと彼に話たら、かわいいタライを買ってきてくれました。試してみると案外快適で♪いい湯だな~と感じましたよ。さて、彼はテレビが大好きです。まだテレビを見れるようになって歴史が浅いからでしょうか。家に居るときは必ずっていうほど付けています。我が家の大画面テレビは46チャンネル映ります。但し、ブータンのチャンネルは2つだけです。ほぼインドのテレビでNHKや韓流、BBCやCNN、アメリカの映画なども見れます。久々にイ・ビョンホンのドラマも見ちゃいました。米国の女子プロレスには驚きました。きれいでかわいい人がレスラーなんですね。ブータンでこんな発見するとは思っても見ませんでした。インドのテレビはかなり笑えます。これこそ、まったくの異文化で、展開が読めません。シリアスなもの、お笑い、歌や占い、お偉い方のご説法まで、そりゃ~もう様々です。インド女性はお人形さんのようにキレイです。映像では先進国の情報がガンガンにみれますので、ブータンの人たちはどんな心境でみているのでしょうね。遠い国の関係ない話なのか、それとも自分たちもああいう暮らしをしてみたいなぁ~と思うのでしょうか。ブータンの2つのチャンネルはBBSという国営放送と、あとは映画やエンターテーメント、不動産などのコマーシャルチャンネルです。BBSは国の考え方を国民に浸透させたりと、教育的な使われ方もされています。放映の時間がきまっているようで、ニュースなどは何度か繰り返しの放送です。情報過多より、これくらいでちょうどよさそうです。内容はさておき、映像クオリティは低めで音声マイクが入ったり、カメラがユラユラしてます。前に放映された中田ヒデの特集もやっていました。ブータンチームと試合をして、お得意の英語で楽しそうにインタビューに応えていました。日本に居るよりブータンに居る方がヒデに会える確率は高いかもしれませんね。こんなに楽しそうなヒデを見るのは初めてです。ニュースでは国王が地方のお宅訪問し、国民の希望や問題などと聞きに回っています。ご自身のプロマイド写真を国民に配っています。みなさん有り難くもらっていました。ブータンの家庭では国王の写真を当たり前のように掛けています。もちろん我が家も第1代~第5代の現国王までお写真を飾っています。テレビでは国王が腰が深く折れ曲がったお爺さんを心配し、杖の具合を聞きながら、そっと頬に触れて話を聞く姿に人間性の豊かさを感じました。就任演説にあった「みなさんの息子であり…」を実践しているんですね。ブータン映画の宣伝では、暴力的だったり、女性をナイフで脅したり、案外と普通に流しちゃってるんのだ、と変な感想を持ちました。良いことしかない幻想の国は、人間ですからありませんね。日本の放送はNHKの世界版で、海外向けに日本を紹介していて地元や吉祥寺、有楽町など出てきて、遠くにいるとはあまり感じません。さすがに紀香の離婚はやってませんけどね。彼はインド映画が大好きなようでゲラゲラ笑いながらみてます。ブータンの番組ではダンスシーンをよく見ます。フォークダンスのようで女性は似合うのですが、男性がクネクネ踊る姿はおかしくてたまりません。テレビに出るブータン女性はやや化粧が濃いかなぁ・・・。日本人に似て和風な顔ですが、メイクはインド輸入なのでちょっとケバク仕上がっています。HIVの特番もやっていて、結構、この国でも深刻なようです。第4代国王のお妃さま達が各地に周り、国民と触れ合っていました。王族は国民に近い存在のようです。

2009年3月18日

食事情

日本人のご夫婦を空港で見送った時、奥様は泣かれてしまったそう。その気持ちとてもよくわかります。それを聞いて涙もろい私はウルッとしてしまいました。チーズをお土産に彼が戻りました。触ると柔らかくて、味はほとんどなく、ちょっと酸味があります。カッテージチーズに似た感じです。調理方法を研究してみますね。私もちょっとづづ辛いものに挑戦と思ってトウガラシ(エマ)率を上げています。作ってから辛すぎて食べられず薄めたりなんてこともあります。辛い物って中毒になりますね。ちょっと辛いものが食べたい、といつも思うようになってきましたよ。ティンプーの街にはパン屋さんがあり、たまにそこでお茶をします。ブータンはドライなので、そこで喉をうるおし、ついでにスイーツをいただきます。スイスロールとかエクレアなんかがあります。ここのクロワッサンは中身がぎっしりでスコーンのようでした。ブータンのOLさんたちがペチャクシャとランチなんかしています。この光景は丸の内となんら変わりませんね。彼がいない時は私は大好きな麺類をよく食べます。やはり調理方法は日本と勝手が違いますね。パスタはアルデンテが美味しいので茹で時間をちょっと短めにしますが、こちらでは2分は長く茹でないとダメですね。うどんが大好きなので日本から持参の稲庭うどんをブータンで噛みしめています。私が麺好きだからと彼がインド経由の品を買ってきてくれます。ヘンテコな漢字が使われていたりして、食べて大丈夫かなぁ…なんて物もありますが、この国ではそんなこと気にしてられません。やはり40年近く日本食を食べていますので、すべてをブータン流にチェンジという訳にはいきませんね。この国のスイーツは“すご~く美味しい”とは言い難いので、日本から持参のホットケーキを作って大満足し、ホットケーキ屋さんをやったら儲かるかなぁと下世話なことを思っています。彼曰く“ちょっと太ったね”と。ヤバっ。

2009年3月17日

有ったものがないから

ブータンに来てどんな生活をしているのか、みんな興味があるようですよ。彼の実家の牛が虎に食べられてしまったと書いたので、どんな所か心配ですよね。私だってガイドブックに書いてあったように窓にガラスはなくて、段ボールを貼って凌ごうと考えていたくらいです。街を歩けば民族衣装の人たちが歩いているので明らかに異国ですが、家の中にいるとさほど感じません。強いて不便さを挙げてみるなら、まずはネットのつながりが遅いことですね。それと日本からの電化製品は変電圧の安定器を通すこと。それにバスタブがないことです。日本は世界で一番生活がしやすい国と言えるでしょう。手に入らないものはないですね。有ったものがないことに、不便さを感じるのではないでしょうか。ブータンの人たちにとっては元々ないので、こんな思いはしないですね。工夫次第でできるものはやってみようと思い、いくつか発見しました。ネットがつながりにくい時は、つながるまでをパソコンの前で待つのではなく、他にひと作業することにしました。するとイライラはしません。かえって、その間になにか済ませるぞ、と思うとゲームのようです。この方法はネットをやっていたことを忘れてしまうのが玉にキズです。電化製品は便利な道具があるので、それにプラグをさせば済みます。バスタブはインドで買ってくる方法もありますが、これからは季節がよくなるので、まずは子供用のプールで試してみようと思います。肩までつかることはできないけど寝そべれば充分温まるでしょう。日本の家族が送ってくれるそうです。ビニールなのでお湯を入れたら臭うかもしれませんね。実験して報告します。お風呂はなくて平気と思っていましたが、神経痛が若干出てきました。東京生まれ、東京育ちの都会っ子にはお風呂は重要そうです。他に違いを探すなら停電があります。アパートだけの停電と、周辺一帯が停電の時があります。アパートだけの時は上の大家さんが騒がしくなりますが、カーテンを開けこのアパートだけが停電でない時は、回復までちょっと時間が掛かるのでろうそくを用意しています。携帯電話やパソコンで充分明るいので今の所、ろうそくは使っていません。他に日本との違いと言えば、やはり“風”ですね。コンクリで全てがおわれていないので、歩く時に顔を背けるほどの砂ぼこりがたまにします。なのでお風呂は夜ではなく、外出後すぐに入ります。あえて書くならこんな程度で、たぶん皆さんの想像しているようなタイヘンな生活ではなくて普通ですよ。不便といっても贅沢をしたいだけの悩みですから。ここは首都で、アパートも築1年なのでこんな感じですが、お外では大きなタライを出して洗濯しています。ブータンは新旧入り混じって面白いですが、ブータン人は“物を大切にする”と、とても実感します。私も“ありがたいなぁ”と思う回数が日本に居た時よりもとても多くなりました。
先日、お食事を一緒にしたツアー中のご夫婦より昨晩ご連絡をいただきました。ガイドの彼とドライバーさんの4人で旅の最後の食事をしているとのことでした。私はランチで小1時間、ご一緒させていただきましたが、出会えたことを喜んで下さり、嬉しい言葉をたくさんいただき涙がでました。ご主人からはお友達にブータンの話をして、ブータンへ行きたいという人がいたら、あなたを紹介してもいいか、とのこと。私は来るものは大歓迎、去る者は拒まずです。ガイドという仕事は何日間か一緒に旅をし、お別れの時が来るので、私にはとても不可能な仕事だと感じました。彼はホント良い仕事をしてますね。ブータンは旅の満足度ランキング(イギリス調べ)の第4位だそうです。ご夫婦も大満足してくださった様子でした。無事のご帰国を祈ります。
(写真:キッチンをお掃除中のジュミ君)

2009年3月16日

すっかり慣れました

10日は中国の侵攻に対しチベット民族が蜂起した記念の日で、今年が50年目でした。ネパールでもチベット国旗を揚げられる状況ではなかったそうです。中国の力が及んでいるんですね。近くの国なので気になります。さて、大相撲が始まりましたね。生放送という訳にはいきませんが大変な15日間が始まりました。昨日は久々に彼に会いましたよ。というのはツアー中、日本のお客様がランチをぜひ一緒にと誘って下さいました。私にブータンのことを色々聞きたかったようですが、まだ来て僅かで新婚ホヤホヤと知り驚いていました。彼との馴れ初めなど、インタビューにお応えしました。ご夫婦曰く、ブータンはハンサムな人が多い、と仰っていました。私もキムタクを超える人など見かけ、イイ男率が高いなぁと感じます。ご夫婦と私の仕事の話になり、いまは何もしていないし、しばらくは何もしないと話したら、もったいない…、きっとあなたは何かするわね、と言われましたがどうでしょう。奥さまはガイアシンフォニーを見たことがあるとのことでした。ブータンに来たら花粉症は治まると思いきや、かえってひどいと仰ってました。ブータンもティンプー周辺は針葉樹ですので、一度、木を切って、その後から日本のように杉を植えたのかなぁと想像しました。これだけ首都に家があるのですから、多くの木を製材したのでしょう。アジアなどを旅されることが多いご夫婦と素敵な時を過ごしました。彼とはそこでお別れでした。その後は大家さんと手芸店にお買いものに行きました。大家さんはブータンの布でお財布やカバン、ポーチなど様々なものを作っています。さすがに民族衣装の国だけあって多くの布を扱う手芸店はあちこちにあります。日曜の街は“ここはインド!?”と思えるほど、インドの方がたくさんいました。労働がお休みだったのでしょうね。インド人の洋服はとても興味があり、今度はこっちがガンミしちゃいます。暑い時でもマフラーをしていたり、素敵なシャツを着ていたりオシャレな人が多いんですよ。帰りにメモリアル・チョルテンで3度回りました。私は思い当たる人のことを願い“南無妙法蓮華経”と唱えます。ブータンの仏教はマントラが違うのでしょうが、私は小さな頃から何かあると心の中で“南無妙法蓮華経”と唱えていまいした。なので、このままでいきます。(写真:大家さんにいただいた実。ウルトラすっぱくビタミンCたっぷり)

2009年3月15日

ゴミ王国!?

風はかなり強く、ティンプーでも屋根が飛んだそうです。彼が「風が強いときは屋根が飛んでくるよ」という忠告は冗談ではなかったんですね。さて、ブータンのピザは美味しいの?という質問が多々あったのでお応えします。普通に美味しいですよ。なんせチーズの国ですから。ただ日本のようなフワフワのパンピザではありません。上の階に住むオーナー一家のお姉さんが、今度ピザの作り方を教えてくれると言っています。お菓子を作る仕事をしているそうです。ご近所づきあいもあって、ブータンの生活にはすっかり慣れてきました。結構、遅くまでお話していきます。首都ティンプーの方は、夜型のようです。いつか困ったときに助けてくれる存在があるのはありがたいことですね。さて、ブータンの美しい自然とあたたかな人間模様から、どんなに良い国かと想像がふくらんでいることでしょう。人間のよさはやはり仏教を柱として、個々も仏教を学び、そこから実践しているところが大きいでしょうね。今日は夢を崩してしまう現実をお知らせします。実は街がゴミ箱状態なのです。前にも書きましたが、これは仕方がない面もあります。これまでは自然に還るものしかゴミとして存在しなかったので、そこら辺に捨てても循環していきます。しかし、主にインドからさまざまな物が入るようになり、ブータン人は同じような感覚でゴミをそこら辺に捨てるのです。街にゴミ箱はありますが、数は多いと言えないでしょう。環境キャンペーンでみんなでゴミを拾う時もあるらしいのですが、新宿の歌舞伎町の10倍くらい汚いと断言しちゃいます。これは首都ティンプーだけの問題かもしれません。ほんと、これさえなければ素晴らしい国だと言えるのですが…。王様どうすればいいですか?清潔という概念も日本とは大きく違いがあるでしょう。日本人はほとんどの人が毎日お風呂に入りますね。これは環境の問題があるので仕方がないと思います。しかし、ゴミ捨てのマナーは大人も子供も国をあげて行う必要がありそうです。禁煙国(一応)になったのですから、やればできるんではないかなぁと感じます。とりあえず私は家の周辺のゴミ拾いから始めてみますか。(写真:ゴミ収集車がクラクションを鳴らす合図でゴミを持ち寄ります。分別は、ほぼナシ)

2009年3月14日

この国の魅力

強風は続きます。地方のあちこちで屋根が飛んだりし被害が出ています。すべてがコンクリにおわれた国ではないので、砂ぼこりがかなり上がります。きっとこれも春の名物なのでしょう。さて、この国の魅力は何といっも“人”ですね。人間がとても可愛らしいのです。すれていないといえば表現が合うのか分かりませんが、見てるだけで微笑ましくって、こちらにもそれが伝染してきます。アパートのオーナーのおばあちゃん、61歳がたまに訪ねてきてくれます。おばあちゃんと言っても私の母より若いのですが貫禄がとてもあります。家族がおばあちゃんを尊敬し大切にしていることがよく見てとれます。英語は一切話さず、現地のゾンカなので言葉はサッパリわからないのですが、何かを一生懸命言って行きます。ここは高地なので4階まで上がるのがしんどく、3階の我が家で休んでいるのかもしれません。私でも階段と坂はヒーヒーです。孫のジュミ君を仕えにブータンのお菓子などをくれます。何か差し上げると必ずお返しをくれ、借りをきちんと返すブータン人の品位を感じます。メモリアル・チョルテンでの光景もしかり、ニュースで見るチベットの人々が懸命に祈り、何かに託す姿を見ていると、メンツとか、体裁とか、名誉とか、肩書きとか、キャリアとか、そういった類と対極にあるように思えます。計算高さを微塵も感じさせません。中国政府のコメントを聞いていると、自分たちがいかに正しく、立派なのかを演出するハチャメチャぶりに、人の一番汚い部分がもろに露呈しているように感じます。この国にいると美しい魂に触れる分、世界の澱みにも目が行くようです。昨日は大家さんやジュミ君相手にニワカ日本語教室を開催し、遅くまで楽しみました。おかげさまで彼が不在でも寂しくありません。(写真:香ばしくて止められないおばあちゃんのお菓子)

2009年3月13日

春は風の季節です

ブータンの新聞「クエンセル」オンラインを見ていたら、マイケルJフォックスについて書かれていました。米国ABCのドキュメントの撮影で来てたようです。彼の患うパーキンソン病は薬で症状を抑えられても根本治療は開発されていません。この病気になって、もしかしたら“心”に興味が向くようになったのかもしれませんね。出来上がった番組をぜひ見たい気もします。さて、我が家のキッチンからは山が見えます。といっても山と谷の国なので、どこを見渡しても山です。私はキッチンからの眺めがとても気に入っています。お隣さんは立派なお宅です。ブータンは大邸宅が多いので驚きました。実家は10くらい部屋があって大きいのですが、彼が来日した時に“普通”と言っていた意味がよくわかりました。お隣では運転手さんなのだと思いますが、車の前で何時間も待っています。たぶんこの国は待ちの時間が長いのかなぁと感じます。あまりに暇そうでお昼寝もしていました。ドライバーを職としている方が多いようで立派な職業として確立しています。タクシーも多いですね。キレイ目なタクシーとそうでないタクシーがあり、いつか乗る際にはどちらが当たるかな。お買い物で荷物が多ければタクシーになるといいよ、と彼はいいますが、いまのところ大丈夫そうです。そこまで大物も買いません。反対隣の大臣宅のお巡りさんは、警備の仕事といっても、日本と違いますので大臣宅を襲撃するようなことは考えられず、ある意味、忍耐を必要とする大変なお仕事だなぁと感じます。あらら植木の手入れまで始めちゃってますよ。そんな様子を見ている私もずいぶん暇とお思いでしょう。いえいえ、私はそんなブータンを観察するのに忙しいのです。いつになったら観光気分が抜けるのでしょうかね。昨日は突風が吹き、家が崩れるかと思いましたが、結構頑丈なようです。地方では風で家がたくさん壊れたとクエンセルにありました。風を恐れて外出を控えていたら、大家さんが「家に来ない」と誘ってくれスジャ(バター茶)をいただきました。大家さんの一家は大人数で住んでいて、何人いるのぉと思うほどで、まだ全員を把握できていません。 [お知らせ] NHK教育でガイア第三番に出演する故 星野道夫の番組があります。私は見られずに残念ですが、ぜひ、録画してでもご覧ください。「生命へのまなざし」3月火曜のpm10:25~10:50です。締め括りはナント池澤夏樹です。

2009年3月12日

インドカー!?

田口さんのご家族がキム・ヒョンヒに会えてよかったですね。ほんとこの問題には涙がでます。キム・ヒョンヒは何人もを殺し、それが過ちだったと知って生きるのは本当につらいでしょう。運命ってすごいですよね。真実を語り続けることが彼女の使命なのでしょう。同時に私の使命ってなんだろうとも感じました。この国にいると世界で起きているこういった悲劇が、映画のストーリーのように感じます。マヒしてはいけませんね。さて、ブータンについてです。こちらは風がとても強く、特に春はすごいそうです。午前中はそうでもないので、お買いものなどの外出は早い時間の方が良さそうです。彼曰く、午後は屋根が飛んでくるから危ないよ、と。ホントそれくらいありそうな強風ですよ。首都のティンプーはたくさん車が通ります。駐車スペースが足りないほど、車は増えているそうです。種類は大きく分けて2つのみ。山の国なので四駆が多いですね。街だけを運転する人はSUZUKIの“軽”に乗っています。日本の田舎でも軽自動車の率って高いですよね。みんな笑えるほど同じ“SUZUKIの軽”に乗っています。でも、ブータンの人はこの車を“インドカー”と呼びます。「SUZUKIは日本の車だよ」と教えても信じてもらえませんでした。なので、そういうことにしておきましょう。昨日はメモリアル・チョルテンの中を見させていただきました。あまりの素晴らしさに鳥肌が立ちました。中は暗いのですがブータン仏教の芸術は、極めていますね。人間業とは思えません。ブータンにいらした時はチョルテンの中、必見ですよ。それと超豪華インド系ホテル「タージ・タシ」も見てきました。ブータンではお店などスタッフの愛想がゼロですが、このホテルのインド人スタッフがとてもサービス旺盛で驚きました。スパとかレストランとか見せてもらい、こちらのホテルもある意味極めていましたが、お客さんが少なすぎで採算は取れるのかなぁと余計な心配をしております。となりにはこのホテル経営のショッピングモールができるとか。世界同様にブータンも2極化が激しいのかもしれません。(写真:桜と住んでいるアパート)

2009年3月11日

祈り

アパートからメモリアル・チョルテンが見えます。ここには首都ティンプーに住む多くのブータン人が訪れ、右に回りながらお経を唱えています。日陰にはお年寄りがごそっと座っていて、集いの場にもなっています。若い方は仕事に行く前などに訪れているようです。目が回るんじゃないかって思えるほど、みなグルグル回っています。私もせっかくブータンへ来たので、同じことをしてみようと毎日通います。まだよくわかなないことが多くありますが、ここに来てグルグルしていると余計なものは吹っ飛んでいきます。ブータンの人は人を観察しているのか、よくわかりませんが、座って何かを見ている人の率がとても多いですね。何かを待っている時間が長いのでしょうか。暇なのかもしれませんが、時間の流れがゆるやかですね。アパートの斜め前に大臣の家があり、警察の人が銃を持って警備していますが、ワンちゃんとおっかけっこしたりしています。お巡りさんが街にはとてもたくさんいます。セーターの上のベルトをして、ベレー帽を斜めに被る服装のせいなのか、日本のような厳しさが感じず、なんだか微笑ましいくみえます。時間がゆったり感じます。彼は50歳まで一生懸命に働いて、それからはのんびり暮らすと言っています。日本の50歳といえば、働き盛りのような気もしますが、暮らせるのであれば、それもいいなぁと思います。彼は一週間、お仕事で不在です。日本人ご夫婦のガイドで、リハーサル通りうまく日本語の自己紹介ができたかな?

2009年3月10日

ダライ・ラマ法王の声明

チベット民族蜂起50周年記念日におけるダライ・ラマ法王の声明

本日は、チベット民族が中国共産党のチベット弾圧に対する平和的蜂起を行なってから50周年にあたります。昨年3月以来、チベット全土で平和的な抗議行動が湧き起こりました。抗議に参加したチベット人のほとんどは、1959年以降に生まれ育ち、自由であった頃のチベットを知らない若い世代でした。彼らが強固な信念に突き動かされてチベット問題のために力を尽くした事実、さらにはそのような信念が親の世代から子の世代へと引き継がれているという事実はじつに威信の問題であり、チベット問題に鋭い関心を寄せてくださっている国際社会にとりましても、勇気の源となるかもしれません。我々は、昨年の危機において命を落とした同胞、拷問を受け、測り知れない苦難に苦しんだ同胞、さらには、チベット問題が始まって以来、苦しみ、命を落としたすべての同胞に敬意を表し、祈りを捧げます。

中国共産党部隊がチベットの北東部から東部(カム、アムド)にかけて進駐を開始したのは1949年頃のことでしたが、1950年までに5000人以上のチベット人兵士が殺されました。情勢を考慮して、中国政府は平和的解放の政策を選択し、1951年には17ヶ条の協定とその付属文書の調印に至りました。以来、チベットは中華人民共和国の支配下となっています。しかしながら、17ヶ条の協定にはチベット独自の宗教、文化、伝統的価値が保護されるとはっきり述べられています。

1954年から1955年にかけ、私は北京において毛沢東国家主席が率いる中国共産党政府や軍部のほとんどの幹部と会する機会を持ちました。我々は、チベットの社会的および経済的発展を遂げる方法について話し合い、同時に、チベットの宗教や文化遺産を維持する方法についても話し合いました。その際には、毛沢東をはじめとする幹部全員が自治区の履行に向けて道筋をつける準備委員会を設立することに合意したのですが、それは軍部管理委員会の設立というよりはむしろ17ヶ条の協定のなかで約束されているような委員会でした。しかしながら、1956年頃からチベットにおいて極左政策が敷かれ、それにより状況が急転しました。その結果、上層部との確約が履行されることはありませんでした。カムおよびアムド地域におけるいわゆる「民主的改革」の強硬履行は、当時の一般的な情勢と合致しておらず、測り知れない混沌と破壊をもたらす結果となりました。中央チベットにおいては、中国人役人が強制的もしくは故意に17ヶ条の協定の条項を破るなど、圧政的な政略は日ごとに濃さを増していきました。このような絶望的な成り行きはチベット人に選択の余地を残さず、1959年3月10日、チベット人は平和的蜂起のために立ち上がることとなりました。中国指導部は先例のない武力をもってこれを処し、それから数か月のうちに何万ものチベット人が殺され、逮捕され、刑務所に入れられました。結果的に、私は何人かのカロン(大臣)をはじめとするチベット政府役人の小さな一行と共にインドへ逃れ、亡命することとなりました。以後、10万人近いチベット人がインド、ネパール、ブータンへ逃れ、亡命しました。そのような脱出とその後の数か月間にわたって直面した想像を絶する苦難は、いまもチベット人の記憶に生々しく焼きついています。

チベットを占領した中国共産党は、弾圧的かつ暴力的なキャンペーンを繰り広げ、“民主改革”をはじめ、階級間の闘争、集産主義化、文化大革命、戒厳令の施行へと続き、最近では愛国再教育や犯罪撲滅運動を強化しています。そのような苦難の深淵に追い詰められたチベット人は、まさにこの世の生き地獄を経験しました。このようなキャンペーンによる即刻の結果は、何十万人ものチベット人の死でした。僧院、尼僧院、寺院などは跡形もなく破壊されました。歴史的建造物も取り壊されました。天然資源は見境なく搾取されています。今日、チベットの壊れやすい自然環境は汚染され、大規模な森林破壊が進められています。ヤクやチベットレイヨウなどの野生動物は絶滅へと追いやられています。

この50年間は、チベットの大地と人々に、ことばにできないほどの苦しみと破壊をもたらしました。今日もなお、チベット本土のチベット人は絶えず怯えて暮らし、中国指導部は常にチベット人に嫌疑の目を向けています。今日、チベット人が世代から世代へと受け継ぎ、命よりも貴いとかんがえてきたチベットの宗教、文化、言語、アイデンティティは絶滅しようとしています。チベット人は死刑に値する罪人のごとくみなされているのです。チベット人の悲劇は、1962年に故パンチェン・リンポチェ(パンチェン・ラマ)が中国政府に提出された7万字の覚書においても述べられました。1989年、パンチェン・リンポチェは亡くなられる直前にシガツェで行なわれた演説のなかで再度これを言及し、中国共産党の支配下で我々が失ったものは得たものよりもはるかに重いと語られました。懸念したチベット人の多くもまた、チベット民族の苦難について堂々と意見を述べました。当時の共産党書記であった胡耀邦でさえも、1980年にラサに到着した際には、それまでの過ちをはっきり認め、チベット人に許しを請うたのです。道路、空港、鉄道など、インフラ整備の多くはチベット地域に進展をもたらしたように思われますが、実際にはチベットの自然環境とチベット人の暮らしを犠牲にしてチベットを中国化するという政治的な目的のもとになされたのです。

難民となったチベット人におきましては、最初のうちこそ気候や言語の大きな差異や生計を立てるための困難に直面しましたが、亡命下で自分自身を立て直すことができました。難民となったチベット人が恐怖を抱くことなく自由に暮らすことができますのは、我々を寛大に受け入れてくださったインドを中心とする国々のおかげです。我々は、チベット問題を解決するために献身できただけでなく、子供たちにチベットの伝統教育と現代教育の両方を提供してくることができました。おもいやりを強調するチベット仏教に対する理解が、世界中の様々な地域において深められることになったこともまたポジティブな結果といえるでしょう。

亡命生活に入ると、私は速やかにチベット人コミュニティにおける民主政治の推進に着手し、1960年には選挙によるチベット亡命政府を樹立しました。以来、我々は民主主義の階段を上り、今日、我々の亡命政府は独自の憲章と立法府を持つ完全な民主政体として機能しています。我々はみな、これを誇りに思ってよいでしょう。

2001年から、我々はほかの民主的制度におけるものと同様の手順を通して亡命チベット人の政治指導者を直接的に選出するシステムを導入しています。現在は、直接的に選出されたカロン・ティパ(主席大臣)の二期目が進行しています。それゆえに、私の日常的な行政責任は減り、今日の私は半引退の状態にあります。しかしながら、義にかなったチベット問題に取り組む責任はすべてのチベット人にありますので、命あるかぎり、私はこの責任を掲げていくつもりです。

私は、私の第一の務めはひとりの人間としての務めであり、人間的な価値を促進させることにあるとかんがえています。人間的な価値を促進させることが、個人、家族、コミュニティにおける幸福な人生の鍵であるとかんがえています。第二の務めは、宗教家としての務めであり、宗教間の調和を促進させることです。第三の務めは申し上げるまでもなく「ダライ・ラマ」という名をもつチベット人であることですが、それ以上に大切なのは、チベット内外のチベット人の信頼のうえに私があるということです。以上が私の主要な務めであり、私がいつも心においていることです。

中央チベット行政府は、亡命チベット人コミュニティが満足できる生活状態を確保できるように取り図らってきましたが、もうひとつの主要な仕事としてきたのが、チベット問題の解決に向けてのはたらきかけです。1974年、我々はチベットと中国の双方にとって有益となる中道政策を提示し、1979年にトウ小平が会談を提案したときにはこれに応じる用意ができていました。何度も会談が重ねられ、調停のための代表団が派遣されましたが、しかしながら、これらの会談は具体的な結果や正式な接触に通ずるには至らず、1993年に破局に到りました。

その後、1996年から1997年にかけて、我々は亡命チベット人に世論調査を行ない、チベット本土からは可能な限りを尽くして提案を集めました。チベット民族の自由を求める闘争をいかなる方向に進めるなら満足のいくものとなるか、その回答結果に基づいて我々の今後が決定されることになっていたのです。世論調査と収集した提案に基づき、我々は、中道政策の続行を決定しました。

2002年にチベット・中国間の連絡ルートが再開されて以来、我々は、ひとつの公式ルートとひとつの議題というポリシーに従って中国指導部と8回の会談を行ないました。その結果、我々は、「全チベット民族が名実共に自治を享受するための草案」を提出し、中国憲法に記述されているような自治の条件が、自治の法律を完全に履行することでいかに満たされていくかについて説明しました。我々がチベットを中国の一部であると古代から認めているとする中国側の主張は、不正確であるばかりか理にかなっていません。良いことであれ、悪いことであれ、過去を変えることはできません。政治的な目的のために歴史をゆがめることは間違っています。

我々は、未来を見つめ、双方にとっての有益のために取り組んでいく必要があります。
我々チベット人は、自治ということばの意味をなす、法に則した自治を求めているのであり、中華人民共和国という枠組みのなかでチベット人が暮らしていけるような準備が整えられることを求めています。中国は、チベット人の望みをかなえることにより安定と統一を成就できるのです。我々の側から、歴史に基づいた要求があるわけではありません。歴史を振り返りますと、中国をはじめ、今日の世界に不変の領土を維持した国はありませんし、不変を維持することもまた不可能なことなのです。

我々の願いは、すべてのチベット人がひとつの自治政権の下に置かれることであり、これは、自治区の原理の目的と一致した願いです。これが実現されるならば、チベット人と中国人の根本的な要求事項が満たされます。この真なる願いは、中国の憲法、法律、規制などにおいてなんら問題を引き起こすものではありませんし、中国中央政府の指導者の多くもこれを受け入れてきました。17ヶ条の協定の調印の際、周恩来首相は、これがもっともな要求であることを認めておられましたが、しかしながら履行には時期尚早でした。1956年、“チベット自治区”に向けての準備委員会が設立されるにあたり、陳毅副主席は地図を指し示して、「もしラサが他県のチベット地域を含むチベット自治区の首都となるならば、チベットの発展のみならず、チベット人と中国人の友愛の構築に貢献できるだろう」と、パンチェン・リンポチェや多くのチベット人の幹部や学者のそれと共通の見解を語られました。中国の指導者が我々の提案に異議があったのであれば、異議を唱える理由を示して代替案を勧めることもできたのですが、そのようなことはありませんでした。私は、中国が自国の憲法に記述しているような、全チベット人が名実を共にする自治を実現すべく我々が尽くしている誠実な努力に対して中国当局の適切な対応がないことに失望しています。

現在の中国・チベットの対話のプロセスが具体的な結果に達していないことは別としても、昨年の3月以来、チベット全域を揺るがしたチベット人の抗議に対する残虐な弾圧が起きています。そこで我々は、今後いかなる道を歩むべきか民衆の意見を求めたく、2008年11月に亡命チベット人による特別総会を開催しました。チベット本土からも可能な限りの提案を集めるため、懸命な努力がなされました。そのような全過程を経た結果として、大部分のチベット人が中道政策の続行を強く支持していることが明らかになりました。それゆえに、我々は自信をもって中道政策を遂行していますし、全チベット人が名実を共にする自治を享受できるよう引き続き努力していくつもりです。

太古の昔、チベット人と中国人は隣人として暮らしていました。未来においても、我々は共に暮らしていかなければならないでしょう。それゆえに、我々にとってもっとも大切なことは、互いへの友愛の情をもって共存することなのです。

チベット侵攻以来、中国共産党はチベットとチベット人に関するゆがめられたプロパガンダを発表してきました。その結果、中国人の一般庶民のなかにはチベットについて正しく理解している人はほとんどいません。真実を知ること自体が、彼らにとっては非常に難しいことなのです。昨年の3月以降、極左派の中国人指導者が現れ、チベット人と中国人の間に敵意を作り出すことを意図した膨大なプロパガンダが喧伝されています。その結果、残念ながら中国人の兄弟姉妹の心にチベット人に対するネガティブな印象が生じています。それゆえに、これまで繰り返し呼びかけてきましたように、私は、中国人の兄弟姉妹に対し、そのようなプロパガンダに流されるかわりに、チベットについての公平な事実をみいだすよう努めていただき、中国人とチベット人の分裂を避けていただきますよう、再度、強く呼びかけさせていただきます。チベット人もまた、中国の人々との友愛の情を得られるように引き続きはたらきかけていく必要があります。

50年間の亡命生活を振り返りますと、我々には多くの浮き沈みがありました。しかしながら、チベット問題は生き続け、解決に向けての国際社会の関心はじつに高まっています。このような見地から、私は、我々が真実と非暴力の道を歩み続けていくならば、チベット問題の正当性が明らかにされると確信しています。

亡命生活50年の節目にあたり、もっとも大切なことは、我々を住まわせてくださっている国々の政府と国民に対し、我々の深い感謝の念を表明することです。住まわせていただいている国の法律を順守するだけでなく、その国の財産となれるような方法を自分に課していく必要があります。このような努力は、チベット問題の解決やチベットの宗教や文化を維持していくうえでも同様に必要であり、我々は、過去の経験から学ぶことにより未来のビジョンや戦略を作っていかなければなりません。

いつも申し上げておりますように、我々は、最善を望んで最悪に備える必要があります。グローバルな視点から見ましても、中国国内で起きている出来事の流れを見ましても、チベット問題の迅速な解決が期待される理由が見受けられます。しかしながら、我々は、チベット人の苦闘がさらに長く続く場合の準備もしておく必要があります。それゆえに、我々は、子供たちの教育を第一とし、様々な分野における専門家を養成していかなければならないのです。環境問題や健康についての意識を高めていくと同時に、非暴力に対する理解を深め、これをあまねくチベット人の慣習としていかなければなりません。

この機会をお借りして、数々の障害に直面しようとも、50年にわたって我々亡命チベット人に測り知れない支援の手を差し伸べてくださったインドの指導者と国民、ならびに中央政府と州政府に心からの感謝の念を表明させていただきます。測り知れないご親切と寛容をもって我々を受け入れてくださっていることに深く感謝申し上げます。また、国際社会の指導者や政府、そして一般市民のみなさま、さらには惜しみない支援の手を差し伸べてくださっているチベット支援団体のみなさまに、心からの感謝の念を表明させていただきます。


生きとし生けるすべてのものの平和と幸福を祈って

2009年3月10日
ダライ・ラマ

家宝にさせていただきます

観光シーズンに突入したので彼は目が回る忙しさです。忙しくなければ会社は徒歩5分も掛からないので、お昼を食べに帰ってきたりすることもあります。ガイドの仕事は地方に行くことが多いので、そういった時は泊りになります。新居に住んで2日目にさっそく出張で2日間不在といわれ、さすがに私も不安そうな顔をしていたのでしょう。他に頼んで1日で戻ってきてくれました。その後も出張が多く、彼が家で寝たのはわずかです。昨日、今日と朝7時には出勤し、昨夜はミーティングで10時近くに帰ってきました。ブータンでの仕事も日本並みの忙しさですね。これもオンシーズンの4カ月くらいで、オフシーズンになるとノンビリできるそうです。彼もあまりの多忙ぶりに喉がやられ、食事もできない状況でしたが、やっと復活して本調子になってきました。おとといはマイケル・J・フォックスを案内したそうで、彼がどれだけすごい俳優であることを知らず、お礼のお手紙とサイズがピッタリだとブーツを貰ってきました。私は小さい頃からファミリータイズが好きで見てたのでミーハー心が芽生え、バック・トゥー・ザ・フューチャーをネットで検索して、彼がどんなに有名かを熱く語ってあげました。大病を患っているとは知っていましたが、旅ができてよかったですね。観光客の第一位は米国人です。ただ、サブプライムから始まった世界大不況のため、ツアー客はかなり少なくなっているそうで、ブータンは航空運賃や滞在費(定額)を期間限定でかなり値下げしているので、旅をするにはいい機会ですね。本日のツアーゲストは日本人だそうで、彼は日本語での自己紹介をリハーサルしてから出勤しました。うまくできるかなぁ。1週間ほど帰ってきませんが電話を頻繁にくれるので“亭主元気で留守がいい”とポカポカ陽気で昼寝とかしちゃっています。まだ初めてのことも多いので頭を回転させていのので、ちょっと疲れて眠いのかなぁと思います。それとも桜が咲き始めているので“春眠暁を覚えず”なのかもしれませんね。

2009年3月9日

一足お先に

肉なし月ですが、ウィンナーの缶詰を発見しましたよ。鏡を見てびっくり。ハワイでもないのに日焼けしちゃっています。気をつけねば・・・。すごい幅広の帽子を通販生活で買ってきたのですが、ちょっとかぶるには勇気がいりますが、背に腹は代えられませんね。ただでさえブータンの方々は外国人がまだ珍しいようでガンミをするのですが益々注目の的です。遠慮ということなく、笑えるほど皆さんジーっと見ますのでこちらも愛嬌ふるまうしかありません。日中はポカポカで午後3時頃から風が強くなり、お洗濯物が隣の家の屋根に飛んでいきそうな勢いなので洗濯ばさみがたくさん必要です。桜は5分咲きくらいでしょうか。近寄るといい香りが漂よってきます。家の周りにもたくさんあるのでベランダでお花見が楽しめます。ただ、ブータンの今年の気候はかなり異常なんだそうです。ブータンに来て明日で10日経ちますが、面白いことばかりで今はまだ観光客気分が抜けませんね。こっちの警察官の格好ってかわいいんですよ。今度、写真を撮らせてもらいます。今日はこちらにお住いの日本の方とブータンのスタバ(風) でランチし、その後、女の子のサッカー大会をやってたので、のぞいてきました。みんなバッチリとユニフォーム&スパイクを履いていたので、ちょっと驚きました。民族衣装とのギャップがたまらなくイイです。

2009年3月8日

ウィークエンド

日本でのデモの模様はNHKWEBニュースで見れました。土曜の良い時間帯のニュースだったので効果は大きいでしょう。参加者からは感動的なデモだったとの知らせがありました。さて、ブータンは仕事や学校がお休みのせいか、民族衣装を着ている人が少ないですね。街には若者があふれています。ジーンズなど来ていると、着くづしている訳ではないと思いますが、自然と着くずれちゃって、みんな色黒なので、ちょっとワルに見えちゃいます。民族衣装を着ている時との差が大きいですね。スキー場でみんなカッコよく見えちゃうパターンではありませんが、民族衣装には似たような効果があるのかも。ブータンの人は背があまり高くないありませんね。女性と男性があまり身長差がないです。女性はキラを着るときにサンダルを履いているので、ちょっと高くなるので、同じくらいに見えるのかもしれません。ビーサンを履いている人もいるくらい日中は暖かです。スーパーにお買いものに行ったら、お昼時間がお休みでした。店員が大勢いるので交代でお昼をとればいいのに、とも思いますが、これがブータン流ですね。お店がある街までは歩いていける距離なので、ちょうどいいエクササイズになります。しかし、帰り道は坂が多く、心臓破りの坂の最後はアパートの階段です。少し体力がついたかもしれません。ジュミ君がどこからか飛んできて、荷物持ちのお手伝いしてくれます。

2009年3月7日

ピザーラ

今月、ブータンは“肉なし月”です。宗教的な理由だそうです。なのでお肉を販売していません。といっても全く食べてはいけない訳ではなく、肉の販売をしてはいけないそうです。なので、この月に入る前に買いだめをしておくそうです。彼はこれまで友人宅に住んでいたので、肉のストックはありません。なので、本当に肉なしだ、と思うとむしょうにお肉が食べたくなります。でも心配しないでください。レストランに行けば食べれますので・・・。彼は観光シーズン突入で、目の回る忙しさで、まるで日本人並に仕事をしています。これから3ヶ月間は出張も多く、ハードだそうですが、オフシーズンが3か月くらいあるので、その時はのんびりできるそうですよ。留守がちなのでたくさん電話をくれます。いらないよ、というのにピザを買ってきます。チキンピザです。殺生をしないという国なので、本来であればずっと肉なしなのでしょうが、とさつするのはインド人で自分たちではないので、お肉を食べていいそうです。なんだか面白いですね。ピザを食べてると友人にいったら驚いていました。もちろんデリバリーではありませんよ。

2009年3月6日

明日のデモ(日本)

ブータンについてはネタがありすぎで書けません(笑)。ということで日本の情報です。明日、チベット支援の久々に大きなデモ「チベットの自由を求めるピースウォーク」が六本木であります。 ダライ・ラマ法王の中道路線を支持する「自由なチベットを愛する会(We Love Free Tibet)」が主催です。チベット問題に興味のある方、明日予定がない方、ぜひご参加ください。申込みは要りません。途中からも参加できます。(デモってすごく気持ちいいですよ)ブータンにはたくさんの亡命チベット人がいます。元々は同じチベット族から派生しています。他人事ではありません。

日時:3月7日(土) 13:00~
集合:三河台公園 (地図をクリックで拡大)
予定:13:00集合 13:30集会 14:30デモスタート  15:30笄(コウガイ)公園解散

2009年3月4日

いろいろと教えてくれます


カレンダーをまだかけていないせいか、時間の感覚がわからなくなりました。生活は順調です。日中は暖かくて日本ほど寒くないので、寒がりの私には助かります。日中はお年寄りがひなたぼっこして孫と遊んだり、お隣さんはベランダでランチしていました。私も椅子を買ってベランダでのんびり・・・なんて気もしますが、なにせ紫外線の量が違うので、要注意ですね。お片付けはあとは洋服ダンスの整理だけとなりました。彼は朝6時に起き、運動するのですが、私も物音で目を覚ますと外から聞いたこともない鳥の鳴き声がしちゃうと、どんな姿か見たくて結局、起きてしまいます。早起きは三文の得なのでいいのですが、東京では8時にも起きれなかったので、時差ボケのいい状態なのかもしれません。ブータンではいろいろな事柄の手続きが遅いと事前に聞いていたのですが、ネット回線もすぐ来るし、電気修理とか、水道の工事(洗濯機の取り付け)とか、とにかく何でも早いので逆に驚きました。夜になると犬の合唱が始まります。これはハワイ島に似たサウンドです。面白いのはこのアパートに住む人は階段を上がるとき、なぜか歌っています。これはこのアパートに限らないかもしれませんね。上階にすむジュミ君は学校から帰ると、すぐにやってきます。“宿題をしてから遊びにおいで”というと素直に聞いて、制服を着替えてやってきます。勝手知ったるもので私の双眼鏡でいろいろ見たり、私が説明した友人の名前など、一度言ったことをちゃんと覚えているので感心します。今日はグーグルアースでブータンまでひとっ飛びしたら喜んでいました。ブータンの街までクッキリ見えて私もびっくりです。大家さんが何かと手伝ってくれるので、ほんと助かります。ブータンの生地でバックとかを作っていて、かわいいキーホルダーをくれました。私がカーラチャクラの額を釘打ちがまだなので立てかけておいたら、人間の頭よりも上に置いた方がいいのよ、とテレビラックの上に飾ってくれました。いろんな心配をしてくれるし、興味もいろいろある大家さんで茶飲み友達がさっそくできました。明日は週2回のゴミの日なので、これまた初めての体験です。

2009年3月3日

ネット開通記念でまとめて報告

3月2日
今日、携帯が手に入ったので、さっそく家や知り合いの家にかけてみました。普通に聞こえるし、3分くらい話して2ドルしないくらいだったので、思ったより良いものですね。ただ日本の携帯番号には掛けられないので方法を探らないと。今日はアパートの掃除と、ちょうど日本から送った荷物が届いたので、その片付けをしました。彼は9時に出勤し、私はのんびりとやろうと思ったら、上に住む大家さん一家がお手伝いに来てくれて、あっという間にお部屋がきれいになりました。その後、日本語を教えて欲しいという大家さんと楽しく荷ほどきしました。ダライ・ラマ法王の本を見たり、着物の本を紹介したりしました。大家さんの妹の子供、11歳の男の子がひんぱんに遊びに来てくれます。ミルクテーをおいしいとほめてくれ、気の利くいい子です。

3月1日
彼の顔を見て、ホッとしました。ほんと見るだけでほのぼのするので助かります。日曜は仕事をキャンセルして、迎えてくれました。前日までアーチェリーのトーナメントだったそうで、声が少しかれていました。ブータンのアーチェリーはシーンとした感じではなく、歌や踊りも入ります。チームはトップだったそうで、喜んでおりました。初日は長旅で疲れているだろうからと、ホテルでシャワーや仮眠で私はのんびりでしたが、彼は大忙し。アパートに連れていってくれ想像以上にかわいくって大満足でした。家具などがまだ揃っていないので、彼は友人やバイトを使って、家具を組み立てたり荷物を運んだり、大忙しでした。ブータンも穏やかな人が多くても犯罪はあるので、防犯面が気になりましたが、ななめ横に大臣のお家があって、警察が2人立っているので、少し安心しました。でも、持っているライフルが怖い。それって本物ですかって、当たり前だけど聞きたい気分です。お部屋は3階なのでちょっと運動になり、すぐ近くにJICAがあるし、彼の会社の屋根が見える距離なので、場所がよかったです。町中なのでお買いものにも一人でルンルンいけそうです。とりあえず、あと何日かはホテル暮らしですが、日中にいろいろと用意しています。一から始めているようで面白いです。部屋は3つの他、キッチンとトイレ2個とシャワーがあります。アパートの内装に品の良いピンクでとてもかわいらしくて気に入りました。彼は他にいくつも見て回ったようで、私が快適であることをとても考えてくれているので、良い人だなぁとつくづく感じました。彼の携帯はしょっちゅう鳴っていて、携帯持つって大変ですね。私も人生初の携帯デビューしますので、少しウキウキと日本で携帯入れを買ったと、友達に報告したら、いまどき携帯は袋に入れないよ、と笑われました。

2月28日 ノートパソコンやウクレレがあって、いつもよりちょっと荷物が多く窮屈でしたが、バンコクへひとっ飛び。日本の夕方に出て、バンコクの夜中につきました。30度近くあって外は暑いですが、空港内は所々に空調の温度が違いました。乗継のDruk airの出発は朝6時頃なので、搭乗手続きが開始される4時までは空港内で夜を明かしました。到着ロビーは2階で、出発ロビーは4階まで上がります。その前に3階のフードフロアーを覗くとトムヤンクンや生春巻きがおいしそうだったので、夜食で本場の生春巻きを堪能しました。Durk airの搭乗手続きは“W”で一番右端です。ちなみにJALは“R”でした。同じ飛行機に搭乗する人は、欧米の観光客と日本人、そして一番多いのがやはりブータン人です。彼らはバンコクでお買い物を楽しむそうです。ブータンは物が少ないし、あっても高くなってします。多くの人がかなり大型(27~30インチ)のテレビを購入して搭乗していました。他には炊飯器やブランケット、スッチーはアイロン台を持ち込んでいましたよ。バンコクの空港は椅子がステンレスでクラーで椅子はキンキンなので、夏のバンコクでダウンジャケットが活躍しました。バンコクの空港はとてもきれいで、昨年、空港が占拠されましたが、何でも揃って快適だったことでしょう。いよいよブータン行きに乗り込みましたが独特な何かを感じました。気のせいかかもしれませんが、なんだかほのぼのしています。これまで飛行機にはたくさん乗りましたが、雰囲気が違うのです。ほんと不思議。ブータン人も穏やかそうな顔つきが多いし、ブータンに来る西欧人も少し余裕がある感じで、とても素敵な空間でした。ブータンまで直行ではなくインドのダッカに降り、そこでインド人が乗ったり降りたりし、ヒマラヤを眺めた後に、いよいよブータンです。ブータンは山と谷の国ですが、それを上手いこと降りていきます。近くに山や木などあって、突っ込みそうでスリル満点で神業のようにスーッと降りていきました。着陸した時に言いようのない安堵感に駆られました。無事着いたこともですが、いつもなら一週間や10日間と旅のタイムリミットがあるので、いずれ帰らなくちゃいけない、といった寂しい気持ちがするのですが、今回はリミットがないのです。それがとても嬉しくって、今、窓の外の山を見ながら、ブータンに来たんだと実感しているのです。(ちなみにブータンでは4,000m以上を山といい、それ以下は丘になるそうなので正しくは丘。ブータン流だと富士山も丘になっちゃうんですね。)