2008年9月30日

至難の業なのか

来年からブータンに移り住みますが、まだおうちが決っておりません。
ブータンでおうちを手に入れるのはどうやら至難の業のようです。彼によれば住宅情報は週一回発行される新聞に掲載されます。詳細は書かれてないので、電話をして値段や場所などを聞くそうです。新聞への掲載件数が少なく、首都のティンプーは元来、家を建てるに適した平地が極端に少なく、おまけに都市化の集中もあって、家探しに苦労をしています。宅地開発やインフラは首都でさえ、まだ先のようです。そんな事情もあって価格は高騰するばかりです。家の情報があっても適した大きさがなかなか登場してくれません。彼が写真を送ってきてくれた家は3階建で、9部屋もあって、お掃除が大変そうですし、そんなに部屋があっても使い途がありませんね。私は家を探すにあたって条件を設けています。金額はもちろんですが、どんな場所にあるかということを気にしています。周りに急激な坂がないこと、それと川がないことです。地球温暖化の影響でヒマラヤの雪が融けはじめています。東京に居れば地球が温まっていることを肌身に感じますよね。
週一回の新聞情報にみんなが飛びついているような状況なので、このままだとずーっと家は難しそうなので、ここで作戦を変更。土地を買って家を建てる計画を考えています。「ブータンに住み、様子を把握してから家を考えても遅くはないのでは・・・」と、先人からのお智慧もいただきました。まずはアパートなどを借り、実際ブータンで生活をして、住宅事情など観察しながら、2人でおうち計画を立てていこうと思っています。すべて事の運びはブータンタイムです。お家が見えてくるのはだいぶ先になりそうですね。でも、それもまた楽しみ!

2008年9月29日

もってこいの日

今日は健康診断でした。これほど不健康なものはありませんよね。前日9時から水さえ飲めず、空っぽな胃にハミガキ粉を解いたような液を大量に飲むんですから。しかもゲップ禁止。レントゲン機械の上で、あっち向いたりこっち向いたり。最後には頭が体より下になって、これじゃあタイムショックです。下剤を飲んで早く出さないとだめなので、今日は仕事が辛かった。
さて、ブータンでは医療費が無料だそう。でもなんとなく程度が想像ができるので、今のうちに治せるところは治しておきたいと思っています。前にブータンでサラダは見なかったと書きましたが、熱を加えない料理よろしくないようですよ。年間わずかですがA型肝炎の感染リスクがある地域になっています。なのでブータンにお越しの際、お水はミネラルウォーターを飲んでくださいね。水はブータンの言葉ゾンカで“チュ”といいます。川は○○チュ(○○は地名など)です。覚えやすい単語ですね。山から流れ出る水を上手く使い、頭を洗っていたり、お洗濯していたりする光景をみかけます。私も夏に頭を洗ってみたいです。うちのパパさんは大雨の日、外でシャンプーして、天然シャワーを楽しんでいたところ、脇にある車庫に雷が落ち、すっ飛んで家に逃げ込んできました。天然シャワーに興奮しちゃうのは“血”なんですね。
人は100%死ぬ存在です。自死でない限り、その日はいつ来るわかりませんね。その日まで健康的に楽しく生きたいです。インディアンの古老が言う“今日は死ぬのにもってこいの日”をいつも心に、時間の無駄しないよう瞬間をベストにしたいと思っています。やりたいことはやり、嫌なことも解決のために最善を尽くします。よく「自由に生きてていいね」と言われるけど自由に生きるも枠をもうけるのも自分次第でのでね。“考えは無限大”という方が人生楽しいです。

2008年9月28日

どうやって・・・

タクツァン僧院を眺めるCafeでランチをして、下山することになったはいいもの、登りと同じくらい下りに苦労しました。土が乾燥しているのでツルツルと滑ってしまいそうで、体重を彼にほぼ預け下ってきました。小学校の高尾山遠足で、下山する時に6回滑りころんだ程、坂を下りるのが苦手なんですね。こう書いているとスゴイ険しい山なんだろうと思われるかもしれませんが、Cafeには欧米からおばあちゃんも来ていましたので、ご安心を。
それにしてもどうやってあの建物を建てたんでしょうかねぇ。ブータンを旅していると山の斜面のあっちこっちに家が建っています。どれも似た感じのブータン調の建物で、山によく合い絵になる風景です。「どうやってあんな所に家を建てたんだろう・・・」、彼曰く「簡単だよ。回りに材料になる木がいっぱいあるでしょ」と。木は下から運んだのではなく、その場の木を切り、乾燥させ、製材し、建てるんだとわかりました。日本でも内装に木を使い、ナチュラルテーストにしている家もありますが、ブータンの場合は、日本のように建材がすべて揃う訳ではないので、普通にナチュラルテーストになるようです。下の写真はホテルのレストランです。それにしても、タクツァン僧院の周りは岩だらけなので、やはり下から木を運んだのでしょう。いや、もしや虎が運んだのかも。

2008年9月27日

虎さん、また何でそんな所に

これはタクツァン僧院というお寺です。なんでまだこんなに険しいところに建てちゃったんでしょう。8世紀、ブータンに仏教を広めたグル・リンポチェが、虎の背中に乗ってチベットから飛んできて、この場所で瞑想をしたんだそう。ブータン人が一番信仰するのが、このグル・リンポチェです。タクツァンとはタイガーネスト(虎の穴)の意味で、ここはブータン仏教最大の聖地だそうです。一度、この僧院は不審火で全焼し、後に再建され今のようになっています。
平らな所を歩くには何とも感じませんが、タクツァン僧院に向う山道はヒーヒーでした。最初は何でこんなにしんどいか分からず、だいぶ老けこんだもんだと落ち込み気味に歩いていましたが、そっか、ここは標高が高いからしんどいんだ、と気づいてからは気持ちを切り替え、のんびり楽しく10歩進んでは休み、その繰り返しで途中にあるCafeを目指しました。荷物はもちろん彼が持ってくれていますが、私はCafeで力尽きました。写真はCafeから見える僧院の眺めです。彼が申し訳なさそうに、これより先は今日は止めておこうと。オフコースですよ。私はこのCafeで瞑想とお祈りをすることにしました。ここまでは歩きではなく、お馬さんに乗って来ることもできるようです。馬の背はかなり目線が高くなります。ガタガタの道を乗っていくにはかなりの勇気が必要です。虎の背中に乗って一気に行ってみたい気もしますが、またがるのに別の勇気がいりそうです。

2008年9月25日

はなむけの言葉

ハワイ島へ勉強をしに行く友人が、旅立ち前に会いに来てくれました。会ったことはわずかですがブータンの子どもと同じ目を持つ彼女に、とても近いものを感じています。そんな彼女は私の「悩まない」発言にとても驚いたそうです。私は悩まないというより、悩めないのです。頭が軽目というのもひとつの理由ですが、迷っている段階は本気で欲していないように感じるのです。なので物を買う時も時間はあまり掛かりません。ブータン人と結婚することも、ブータンに住むことも悩んだりしていません。悩んでいる時間は何だかもったいと感じます。でも、こんなこと書いていますが、塩にするか味噌にするかは、若干悩むところです。

かけがえのないもの

まだ一週間経っていませんが、家族の一員である寅次郎(犬)が天に昇りました。気づいたら・・・という感じでとても安らかな最後でした。16歳4ヶ月の大往生でした。その日は大好きな姉に櫛ですいてもらい、お耳も掃除して、大好きなチーズを一枚食べ、お水も飲んでいました。お年寄りなので、目はほとんど見えていないと思っていましたが、その日に限って私のことを目で追っていたので、あら、見えてるのかしら、と感じたくらいでした。年を取ると犬も鼻が薄くなったりしますが、寅の顔は小さい時と全く変わらず、死に顔さえ、超カワイイままでした。
ブータン人との結婚で、私がブータンに移り住むことを、うちのママさんは100%は納得していません。何かがあった時に飛んでこれる距離ではない、という理由からです。私はいつか誰でも死ぬんだし、その時は仕方ないじゃん・・・と思っていました。死は冷静に受け入れることはできますが、今回、寅ちゃんから、とても多くを学びました。「死んじゃったことは仕方がないけど、やっぱりしんどい」と会社の同僚に話したところ、「神様じゃなくって人間なんですから、当たり前ですよ」と。そっか、この心境って普通なんだと、少し心が落ち着きました。自分の子供が遠くへ行ってしまう、ママさんの気持ちが少しわかりました。一緒に住む家族が居なくなる経験は今回初めてでした。せつなさは徐々に癒えていくのかもしれませんが、悲しみは一生なくなりませんね。生まれたからには、必ず全て死の時がきます。なので家族がいる以上、こういう思いはこれからもっとすることになります。それは私だけのことではなく、この世の全ての人が同じ思いをするだろうし、既にしているかもしれないと思うと、通りゆく一人一人が、かけがえのない存在なんだと素直に思いました。寅と相思相愛であった姉は、その後、クマの縫いぐるみを何体もつくり続けています。パパさん曰く「寅は我が家をたくさん楽しませてくれたし、あいつも幸せだっただろう」と。近所の方々もお別れに来てくれましたが「寅ちゃんは人間として生まれ変わるわね」と、みんなが言うので今世でも来世でもいいので、また会いたいです。寅ちゃん、また会おうね。ありがと。

2008年9月23日

伝統の継承


ブータンの美術学校を見学させてもらいました。手に職をつけるために各分野ごと、研鑽を積んでますね。お人形なども作っていました。伝統工芸が今なお大切にされ、文化を守っているんですね。新しいことも取り入れられステンシルを学んでました。それを袋に加工し、観光客向けのおみやげ商品にするそうです。JICAの方が指導しており、少しお話しを伺いましたが、ステンシルがキレイにできても商品にする時に角が揃っていなかったり、糸の処理がきちんとされていなかったりしてしまうそう。日本では角が合ってなければ商品にならないのは当たり前です。こういう感覚を指導することが難しいとおっしゃっていました。
染織物は究極の美といえます。伝統の物は、糸が植物で染められています。この染織の技術は母から子へと引き継がれていきます。仏教と美術が一体となったブータン美術は伝統的であり、かつ新鮮です。

2008年9月22日

民族衣装のひみつ


またまたアーチェリー大会の写真です。彼らが着ている衣装は“ゴ”といいます。デザインはみな一緒ですが、柄は違うのがわかりますか。運動中なのでスニーカーに薄い色のソックスを履いていますが、普段は黒のハイソックスが多いようです。この“ゴ”は、公の場で着用しなくてはいけません。これまでも紹介した「文化を守る方法」のひとつですね。法律に着用義務は明文化はされていませんが、着てないとお巡りさんに注意されるそう。でも、外国人は大丈夫ですよ。彼はゴを68枚持っていると言っていました。ちなみに女性の民族衣装は“キラ”といいます。ブータンには染織文化があり、女性の立派な職業として確立されています。何日も掛かって織り上げられる布は大変高価な物もあります。キラについてはまた後日。日本の着物少し似た“ゴ”は、仕事に行く時はもちろん、お寺に行く時も着用は必須です。学校の制服も男の子は“ゴ”を着ています。ウエスト部分に着物の伊達締めのようなもので巻き、縛っています。これをはずせば丈は足首くらいまであります。着る時に裾をたくし上げ、ウエスト部分に弛みを持たせ着付けます。後ろのスカート部分に左右対象の折り曲げをつけるので、着るにはコツが必要です。ブータン人でさえ、5分以上は掛かるでしょう。(写真をクリックで拡大)
車で走っている途中、学校帰りの子どもに出くわしました。小学1年生くらいの子で、途中で帯がとれてしまったのでしょう。まるでパンツのゴムが切れちゃったような感じで、抑えながら歩く姿が可愛いくって、彼と大笑いしてしまいました。
世界を自転車で旅する坂本達氏がブータンを旅した際、学校を訪問し、ちょうどその時は身体測定だったそうです。子ども達が服を脱ぐ時、ウエスト部分からは勉強道具やお弁当など、次々出てきたそうです。最後には子猫が・・・。なんでも出てくるドラえもんのポケットみたい。

2008年9月21日

食べることで作られる

ほんと、カワイイ子供ですね。日本の子供も同じでしょうが、ブータンの子供たちは実に子どもらしくて、見ていてなぜか安心です。私たちを見つけ、駈けよってきました。後ろの男の子はお皿を持って走っています。食事中だったのでしょうか。ご飯がたくさん入っていました。
前にブータン料理は「世界で一番辛い」と書きました。舌が日本人とは全く違った構造になっているんじゃないかと思います。おいしいと感じる感覚も違いそうです。日本人は味に敏感ですね。聞くところによれば、ブータン人は、料理の“甘さ”を美味しいとは感じないそうで、素材そのものが持つ甘みや、お出汁の旨みを求めていないみたいです。ブータン料理は辛い上、しっかりと塩味も利き、バターも多用していますので、健康面ではやや疑問です。バターやチーズと一緒でない野菜は目にしませんでした。さっぱりとサラダ、なんて見ませんでした。ブータン人の平均寿命は60歳強なので、日本より男性は10歳、女性は20歳ほど短命です。これには医療の問題もあるでしょうが、あの料理を思えば、それもそうかなぁと感じます。私はブータン人の生活を変えるのは好みません。ただ、唐辛子の多用する料理は一品程度にし、彼の嗜好を激辛から、旨み(甘み)を感じるものに徐々に変えていければと思っていますが、どんなもんでしょうか。否応なく年は重ねますが、“健康的”に生きたいですね。

2008年9月20日

小さくても尊敬します

まぁなんと可愛らしい小坊主さんでしょう。ブータンには小さな僧侶がたくさんいます。ひと家庭から、ひとりは仏門に入ると聞いたことがありますが、定かではありません。経済面から子どもが減ることは助かることです。しかし、その意味あいより、仏門に家族が入ることを尊いことだからだと思います。彼の妹さんも尼さんです。尼さんは誰が決めたの?と尋ねたところ、「本人の意志」と誇らしげに応えていました。写真のお坊さん達は、ブッダの生まれ変わりでないかと思う程、賢そうなお顔をしていらっしゃいますね。懸命にお経を暗記しています。あれれ~、一人だけ場違いな感じの子がいますよ。お経よりライダーキックがお似合いです。経文もボロボロで、緑のテープで補強されています。中でも一番小さいみたい。きっとお寺に居る意味も理解できない年齢でしょう。周りのお兄さん達は、この小坊主さんに注意を払っていました。自らの意志でここに居るはずはないですね。こんなにカワイイ小さな子を出家させた親御さんの気持ちはどんなでしょうか。おうちで毎日、彼のことを祈っているでしょうね。
僧侶のお仕事は私たち(衆生)の幸せを祈ってくれることです。他人の幸せのために、生きていてくれるありがたい方々です。一生をかけお勉強し、経文を唱え、困った時の相談にも持ってくれる素晴らしい存在です。こんなカワイイお坊さんが、私たちのために祈ってくれていると思うと、とても嬉しくなります。

同じく空は美しい


いきなり新宿です。オフィスのベランダから手前に新宿御苑、奥に高層ビルが立ち並んでいます。新宿の駅周辺は人も多くワサワサしていますが、新宿御苑の近くまで来ると人がドッと減り、同じ新宿とは思えない程、静かな環境です。私は御苑の緑が大好きで、それを眺めに仕事へ行っています(半分本気)。そんな御苑の周辺にはホームレスの方々が多く生活しています。昼間は別の所にいても、夜は御苑側の静かな所を選んでくる人もいるようです。私はそういう人達を通り過ぎるたびに、少し心が痛くなります。特に冬場はせつないです。ブータンは経済的な面では貧しい国です。しかし、ホームレスは居ないと聞きました。本当かどうかは、まだ住んでいないのでわかりませんが、貧しい人には誰かしら施しをするようです。ブータン人はきっと、日本のホームレス人口にビックリ仰天するでしょう。

2008年9月18日

エコロジカルな国


ブータンでの結婚手続きは少し手間が掛かりました。国際結婚がゆえです。最初に高等裁判所へ結婚届け提出し、その後に彼の出身地であるトンサの地方裁判所へ出向きました。裁判所でのおもしろエピソードは、おいおい書きます。結婚届が受理された後、トンサからティンプーの町へ戻るには車で6~7時間かかります。帰りはのんびりと、写真のガンテという所に一泊しました。小高い山に囲まれ、少し開けた平野があり、空がとても近く感じました。ブータンは平野部分が少ないので、今まで見た光景とはまったく違った趣の場所でした。ここには絶滅が危惧される“オグロヅル”が飛来するそうです。名前の通り、北海道にいるタンチョウの尾っぽを黒くした感じのツルです。ブータンでは国全体に電気は届いていません。オグロヅルが飛来する地域に、電気を通す計画があったそうですが、ブータン人はツルのために電線を通すことを止めたそうです。ステキな選択ですね。写真のガンテにも、いくつか家があります。電線はありませんが、各々の家の屋根に小さなソーラーパネルが付いていました。トンサで泊ったゴージャス風なホテルでは、電気の流れる日が2日に1度だったので、キャンドルで過ごしました。さすがにおトイレには困りましたが、食事の時間や彼とくつろいだ時間は光がゆらゆらし、ロマンティックでしたよ。

2008年9月17日

優先順位


ブータンが文化を大切する理由は過去の背景があるんですね。いまもチベットの方々はとてもつらい思いをしていますが、そんな方々の存在があり、いまのブータンの幸せがあるんだなぁと複雑な心境です。
では、どのように文化を守っているのか、建築物に続き、第2弾です。写真はブータンのプリンスがアーチェリーするシーンを彼が撮りました。現国王に似ていらっしゃいます。実の兄弟か異母兄弟か私には分かりません。4代目の国王には4人の妻がいます。しかもその4人は姉妹だそうで、これにはちょっと驚きです。話がちょっとずれましたが、ブータンの国技はこのアーチェリーです。かつての戦いのなごりなんでしょう。的を狙って矢を放つだけではなく、そこに歌や踊りが入ります。7月中旬から始まった今シーズンの大会も、先日ようやく終りました。トーナメントなので試合が長いこと続きます。私もこの夏、実際に見てきました。平日だというのにギャラリーも多く、お仕事は?といった感もあります。アーチェリーとなると、仕事を休んで大会に出たり、見に来ちゃってるんですね。仕事そっちのけな感じもしますが「仕事があるんで・・・」みたいなことになっちゃうと、盛り下がってしまうんじゃないかと思います。これをサボりと取るのかはそれぞれでしょうが、私はこういった寛大な国民性だから、文化を守れるんだなぁと感じます。仕事はとても大切だけど、大切なものをちゃんと大切にしていきたいです。アーチェリー人気は今も続いています。

2008年9月16日

穏やかな国もかつては


めったにイライラしないのですが、今日はワサワサしています。ボスとの意見相違のせい・・・など、帰路考えながら、ふと空を見上げると驚きました。中秋の名月は14日でしたが、ワサワサは月の影響かぁ・・・と、狼男の気持ちを理解したのでした。さて、写真はジャカランタが満開のブータンです。“ゾン”と呼ばれるこの建物は役所とお寺が一緒になっている城塞です。
ブータンにチベット仏教が広まったのは8世紀頃で、それ以降、ブータンはチベット仏教圏に組み込まれますが、政治的・軍事的には谷ごとに群雄が割拠していました。17世紀初め、チベット仏教ドゥク派の高僧がブータンを統一していきます。その過程、国内勢力やヒマラヤを越えてくるチベット勢力との戦いの拠点とし、“ゾン”を建設しました。
19世紀末に内戦状態だったところを豪族が郡長として支配し、1907年に初代の国王となりました。今は第5代目、28歳のハンサム国王です。これまでの国王は隣国であったチベット等が大国に吸収されていくことに危機感を覚え、対策を講じました。文化を守ることは国を守ることに繋がります。ブータンの建物は民家もお寺も規模こそ違いますが、どこか似ていて仏教的です。近代風デザインの建物は作ってはいけないそうです。民族意識や愛国心が自然と生れていく訳ですね。ブータン人は国王以外、苗字がありません。なので私は結婚しても名前が変わりません。変更手続きが要らず、ズボラな私にピッタリな結婚といえるでしょう。

2008年9月15日

境目

前にもふれましたがブータンでは牛さんが、道の真ん中にデンとしております。面白かったのは、ちょっと広めの道に、3頭が斜めに行進していました。クラクションを鳴らしてものんびりと歩いています。まさに牛歩戦術です。よーく見るとつぶらな瞳をしているので、牛とすれ違うたびに目を見つめるようになりました(走る車から撮ったのでピントずれの写真)。ブータンは人間と動物との境がゆるやかに感じます。人間も動物の一部なんですけどね。さて、私たちの結婚をブータンに住む先人(奥様が日本人)に伝えたところ、とてもあたたかい言葉をいただきました。すべて自分が選択した道ということを忘れてはいけませんよ、っと。肝に銘じていきたいと思います。
私は人から少し変わっているとか、個性的だとよく言われます。私も自分で他と考え方が違うなぁと感じることが多いです。表現は難しいのですが、私の場合、ブータンの動物と人との関係のよう、自分と他との境目がゆるやかです。なので争いにはなりにくいと思います。ただ、壁を持っている人の壁を乗り越えようとは思いません。なので相手次第で私もゆるやかに変化してゆきます。自分が面白いと感じます。

2008年9月14日

世界で一番です

世界で一番幸せな国とも言われるブータン。幸せの価値観は人それぞれと思いますが、料理の辛さでは世界一番と断言できそうです。でも、ご安心を。観光客向けには辛くないお料理を用意してくれます。なぜ、ブータンが世界一辛い料理なのかと言えば、海がなく塩を手に入れることが難しかったので、唐辛子を使ったという説もあります。かつては海があった場所なので、岩塩がとれたような気もしますが、高級品だったのかも。まぁそれにしても最初は驚きました。唐辛子の中に少し他の野菜やチーズが入っているではないですか。唐辛子はブータンの言葉で“エマ”といいます。彼は朝からガツンとエマを食べます。一日三食、欠かせないご様子です。汗をいっぱいかいて、ヒーヒー言いながら喜んで食べています。その姿がおかしくて、笑ってしまいます。ブータンの家庭料理は、おかず数はそんなに多くなく、エマを使った料理と主食である赤米をたくさん食べます。日本のご飯とは炊き方が違うようでポソポソしています。しかし、ポソポソはブータン語ですごい意味だそうなので言わない方がいいです。7月はマツタケのピークになりますが、ブータン人は食べないそうなので、ブータンに移った折には思いっきりマツタケ三昧しようと思っています。

2008年9月13日

クラクション天国

ブータンの首都はティンプーと言う かわいらしい名前です。標高は2,400mありますが、普通にしていれば、酸素の薄さや頭痛など感じません。ティンプーにはお店やホテル、銀行や郵便局などがあり、一番の繁華街とも言えます。人が多くて昼間は車がひっきりなしに通っています。信号機はなく、警察官による手信号です。ダンスのようにリズムを取っていて、見ていると面白いですよ。車種は小型車か、四駆がとても多く、他には写真のようなタクシーやバスです(写真はティンプーではありません)。ブータンは九州より少し大きく、横長の国です。電車なんてありませんので、移動の手段は車になります。JICAの報告によれば、ブータンの農業を仕事としている人が79%ということなので、みんなが車を持っている訳ではありません。そこで多くの方はパブリックなバスやタクシーを利用します。ブータン人を一言で表現すれば、私はとても穏やかな国民性だと思っています。しかし、車の運転となると話は別です。ティンプーのホテルで少し休憩していた時、気づいたのですが、クラクションがプッ、プッ~と、なり続けているのです。たまに日本人でも車に乗ると豹変する人がいますが、あんなに穏やかな人達が、車となれば別人のようなのです。車は危険な乗り物ですので、真剣勝負なのかもしれませんね。もし、ブータンのような感じで日本でクラクション鳴らしていたら、きっと事件が起きるでしょう。車のマナーはインドの影響もあるのかなぁと感じました。もうひとつ驚いたことに、インドから来るトラックには“目”が付いているんですよ~。

2008年9月12日

海と山の関係

ブータンにお嫁に行くことを少しづつ友人にお話していると「ブータンに海はないけど大丈夫?」と多くに聞かれます。これまで本当に数えきれないほど、ハワイに行っていました。ハワイ島に住む大切なお友達のお家に、フィンやシュノーケル、衣類や洗面用具などの荷物も置かせてもらっているので、パスポートさえあれば手ぶらでも行ける状態です。イルカと泳ぐことは、何度体験しようと飽きがきません。毎回、大興奮で、知らぬ間にビックスマイルになってしまいます。そんな私がヒマラヤ近くの国に行くのですから、皆さんのご心配も無理はありませんね。ここ何年かは、海ばかりではなく山にも魅力を感じていました。海と山は恋人同士だそうです。お互いになくてはならない存在です。私は「あぁ、海に行きたいな~」と思った時、すぐには海に行けないので、そういう時は空を見上げます。同じ広い青さで、海が空にあると感じるからです。なので、山の国、ブータンに居ても、海を近く感じることが出来るので心配無用ですよ。「ブータンに住むなんて、すごく勇気があるね」とも言われますが、行かない方が私にとって勇気があることなのです。

2008年9月11日

ブータン広報大使

なんとなく良さそうな国のようだけど、どんな所だろう・・・。謎がゆえに行ってみたいなぁという気持ちにかられ、ぶらりブータン1人旅。そこで彼に出会うことになりました。ふだんはガイドブックを買ったりしないのですが、さすがに今回は違いました。旅は本当に素敵ですよね。自分の目で見て体感するのが旅の醍醐味です。ブータンという国の名前は聞いたことはあるし、きっとアジアのあの辺かなぁ・・・と、最初は皆さん同じような反応でしたが、最近、私のことがきっかけとなり、にわかブータンのご様子です。ネットで調べたりしてるんですね。こんなことがなければ、ブータンについて知る機会はなかったという感想もいただきました。これから私が骨を埋める気持ちで移り住む国、そしてその国の人々の暮らしや大切にしている文化を知ってもらうことは、とても嬉しいことです。ぜひ、いつかブータンへ遊びに来てください。心より、おもてなしさせていただきます。結婚式への参加希望もとても嬉しいです。メールへご感想をいただいていますが、遠慮なく本ブログにコメントしてくださいね。みこちゃん・すぎちゃん・あぶちゃんと、宛名はなんでも結構です。上の写真はお釈迦さまが説法をされた場所だと聞きました。お釈迦さまも私たちと同じ人間であり、本当に生きていたんだなぁと、樹を見ながら不思議な気持ちになりました。

2008年9月10日

ところ変われば(ワンコロ篇)

残暑が厳しいですが、夕方からは秋の風が気持いいですね。ひとつ謎が解けました。時計の右回りは実に単純なこと。機械時計が出来る前まで、日時計(太陽)だったので、その名残なんですね。ってことは時計は北半球の生まれだとわかりました。ネットを使えば何でもすぐに解けちゃいます。便利なんだけど、ちょっぴり味わいがないかなぁ。もうひとつの謎、仏教的な右回りは、ブッダ最後の旅について書かれた「大パリニッバーナ経」に「右回りの3回礼をする・・・」と記述があります。晩年、体が弱くなったお釈迦さまは、体の負担を少なくするのに、心の臓を上に横たわっています(涅槃像)。ここからは私の推測ですよ。お釈迦さまは体の声をよく聞いていたんじゃないかなぁと思います。こころと体の関係が上手く統一していたので、右に回ることが身体的に適した回り方と判断したんじゃないかなぁと勝手に思っています。お釈迦さま、その点どうなんでしょうか(YOGAは仏教の修行のひとつ)。
さて、カワイイお写真は親友、ターボ家のメルちゃんとブータンのワンちゃんです。どっちがどっちかは説明不要かな。ブータンのワンちゃん事情に、いささかビックリしました。あっちこっちで勝手にお散歩しています。気持ちよさ気に道路に寝そべっていたり、何頭も連なって行進していたり、たまにレースしていたり、とても日本では有り得ない状況です。夜になると吠えて活発になり、祖先はオオカミだったんだなぁと想像できます。狂犬病のワンちゃんもいるようなので、近寄ってはいけないそうです。ブータンは仏教国ですので殺生を嫌う文化です。犬も牛も馬もヤギも人間も車も同じ道路を使い、それが当然のことなので、面白くなっちゃいます。ブータンと日本、ワンちゃんにとってどっちが幸せ・・・、そんなこと考えることは無用ですね。

2008年9月9日

時計回りの謎

マニ車は右に回転させながらマントラを唱えます。チョルテン(仏塔)など、仏教に関するものは時計まわりに回ります。そういえば時計自体も「右まわり」ですね。では、どうして右まわりなのでしょうか。台風の渦巻きや排水口の渦がとっち向きだか分かりませんが、北半球と南半球で渦が逆向きになるそうで、これは地球の自転の影響によるものです。単純に右利きの人が、指先をクルクルとまわす時、右の方が断然にやりやすくて早いと思います。いまの段階では「右まわり」の謎は、まだ謎のまま。他にも謎に思っていることがあります。なぜ、ブータン人と日本人はここまで顔が似ているのでしょうか。彼も日本に来れば、きっと日本人に間違えられるでしょう。地理的にブータンより明らかに近い、韓国や中国の方々より、断然日本人に似ています。おいおい、これらの謎を解いてみたいと思っています。

2008年9月8日

祈ることの勇気

ブータンでは「ダルシン」や「ルンタ」という祈りの旗が、あちこちでたなびいています。この旗には経文が書かれており、風が吹くことでその祈りが天に昇っていきます。「マニ車」の中には経典が収められていて、これを一回転させれば経文を読んだことになるそうです。合理的なお祈りの方法ですね。「オム・マニ・ペメ・フム」(Om・Mani・ Pedme・Hum)とマントラを唱えてながらマニ車を回します。悪業から逃れ徳を積み、苦しみの海から出て悟りを開く助けになると信じ、この真言を唱えます。簡単に言えば、輪廻の輪から解放ですね。彼は「明日はお寺でお祈りしてくるよ」、とよく言っています。ブータンの人々は仏教が生活の一部、というより、むしろその教えを守るために生きている気さえします。祈りという行為は、何かに任せることであるので、一見、努力不足なイメージがありますが、大いなるものに任せることにこそ、私は勇気を感じます。ちゃんと生きているから、祈ることができるんですね。私の場合は、まず恥ずかしくないように、ちゃんと生きるところから、始めようと思っています。

2008年9月7日

ところ変われば

同じ仏教でもブータンと日本では大きな違いがあるようです。死んだら生まれ変わると考えている人は日本にも居ますが、ブータンの場合、そこに“必ず”が入るようです。彼との会話の中に「死ぬまでは・・・」という言葉がよく出てきます。ブータンはチベット仏教が国教で、その教えが個々に根付いています。「チベット死者の書」にもあるように、死後49日でバルドゥ(中有)という状況に入り、他に生まれ変わるのだそう。説はいろいろあるようですが、ブータン人と日本人では“生まれ変わり”を信ずる度合いというか、思いの強さが断然違い、“生まれ変わること”は揺るぎない感覚のようです。死んだら生まれ変わるのだから、死に対する不安が遥かに日本人と違うんですね。不安が少ないことは、単純に良いことに思います。そして、もうひとつの違いは、日常の中に「祈り」があることです。

2008年9月6日

ブータンの風

これから始まるブータンライフを写真と文字で残していきたいと思っています。これは私自身への励ましであり、記録であり、楽しみでもあります。ブータンライフ開始まで、あと3ヶ月かな。少しづつ、こころと体、そして現実的なことの準備をしていこうと思っています。

旅立ちまで、あと3ヶ月

日本は残暑厳しく、この夏の疲れが今頃になって、少し出てきました。けど、この暑さもあと3ヶ月すれば、「早く夏が来ないかな」なんて思うのでしょう。そんな風に思った頃、ブータンへと旅立つつもりでいます。