2008年12月28日

仕事納め

26日の仕事納めの後、会社の皆さんと忘年会と私の送別会も兼ねて飲みに行きました。仕事を辞めるにあたって、それほど特別な意識はなかったのですが、昨日起きた時、なんだかポカンとした心境になりました。仕事内容は難しいことはあまりなく、前職では夜中の12時まで残業は普通でしたが、定時の18時過ぎに帰れる状況で負担はそれほどありませんでした。仕事の内容云々というより、“人”に会えないというのが少し寂しく感じています。会社は監督・プロデューサーと他に社員2人と少ないので、ひとりひとりの影響がとても大きく、それぞれがユニークで大好きでした。会社へ行くことが前職よりはるかに楽しかったのは、毎日、楽しい話しが出来たからなんだと思います。映画との出会いは大学生の頃で監督の弟さんであるヨガの先生が“兄が映画を作っているのでと”と、映画のダイジェストを見せてくれました。映画を見に行くと、象と人がコミュニケーションし、動物が人間と同じよう仲間の死を悼むことに衝撃を受け、目に見えないものの存在、心の重要性を意識するようになりました。今としては以心伝心的なことも科学的に説明できたり、目に見えない世界を普通に信じている人が多くなりましたが、映画は今から17~18年くらい前でしたので、そういった視点自体、他にはありませんでした。その後もシリーズの映画を何度も何度も見て、見る度にまるで違った映画をみたように、感じるものが違いました。その人のその時の精神状態により、映画の感想は違うんですね。前職では上映会を開催したり、出演者の展覧会をやったりしました。会社が主催したダライ・ラマ法王の70歳お誕生を記念した“砂曼荼羅”のイベントもお手伝いもさせてもらい、若い頃から何かしらこの事務所と関わりがあったんだなぁと辞める頃に気がつきました。監督は私とかけ離れた素晴らしい能力と感性を持っていて、仕事で普通にお話しをさせて頂きましたが、今思えば畏れ多いことですね。2人で話す時も、哲学や真理のようなことを私にお話して下さり、その話を私一人で聞くのはもったいないと何度思ったことでしょう。そんな監督の一生懸命に生きる“人間臭さ”を側にいるととても感じて、素晴らしい映画を作る人も普通に生きているんだなぁと思ったりもしました。そんなに長くはありませんでしたが、私にとってこの事務所での日々は、私という人の形成に良い意味での影響をかなり与えたと思います。なので今、私は少しポッカリと穴が開いた心境なんだと思います。映画は2010年に完成します。その完成を誰よりも楽しみにしています。

2008年12月22日

偶然のプレゼント

仕事でスッカリ忘れていたことや間違ったこと等、それがまずい結果になる前に、別な出来事がきっかけで未然に防げることがあります。そんな時、私は守ってくれている何かにありがとうと思います。すごい割合でこんなことが起きます。偶然はなくて物事は全て必然と考える人もいますね。偶然もそれを“偶然”とその人が思えば、偶然になるかもしれないし、キャッチしなければそのまま過ぎてゆくことなのかもしれません。今日は会社帰り、新宿駅で前職の上司に会いました。オヤジの視線を感じ目線をやると、ニヤッと笑っていました。その人は横浜ランドマークタワーを設計した人で優秀なんでしょうが、私にはユニークなおっさんです。よく職場の女性陣の手相を見ていました。それがまた当たっちゃうんです。東大大学院をいくつかの分野で出ていながら、目に見えない世界をマジで信じているのです。この世界は目に見えないことの方が多いと断言し、石の力を信じたりする人なのです。結婚のことは前に知らせていたのですが、今日会った時に、すごくすごく喜んでいました。「ブータン人なんて優しいに決ってるよ。みんなに話したけど、幸せに間違えないって言ってるよ」と。誰に話したのよって、突っ込みたくなるけど、何だか親のような喜びようで嬉しくなりました。「おすぎの性格じゃ、結婚なんて出来っこないって思ってたけどなぁ」。ほんの少しの間に言いたい放題でした。でも、心から喜んでいるのが伝わってきます。今日は他にも偶然がいくつかありました。偶然は神様のプレゼントなんだと私は思っています。(写真は“Free Tibet”を祈るキャンドル)

2008年12月21日

サギ

サギが来ました。といっても詐欺師ではありません。姉が私の部屋に「隣んち屋根にペンギンがいる!」と飛び込んできました。普段の朝は起きるまでに30分は掛かるところ、一気に目覚め飛んで見に行くと、サギが首を縮め、屋根にちょこんと座っていました。大きさとグレーがかった羽から、ネットで調べるとアオサギだと分かりました。隣のお家には大きな池があるので、水鳥であるアオサギが居たのでしょう。冬になるとシベリアから渡ってくるカモ類も隣に飛んでくるので楽しみにしています。さて、もうひとつのサギの話です。「地球温暖化詐欺」というイギリスのドキュメンタリー番組が話題になっているのをご存知でしょうか。地球温暖化の原因が「CO2」の排出であることを真っ向から科学的に否定した番組です。ちょっと長い番組ですが、リンクしてるので興味あればご覧ください。地球が温暖化した原因は“太陽”の活動が影響しているという理論です。科学者がたくさん出て来て説明します。つくり方としてはアル・ゴアの「不都合な真実」と似ています。日本でも似たような類の本がでていますね。これからは温暖化ではなく寒冷化していくという内容の本です。番組では太陽活動が活発な時は、同じように地球の温度も上がっていました。CO2が増えたから温暖化したのではなく、温暖化したのでCO2が増えたというものでした。提示された数値が真実だとすれば、地球温暖化の原因が人間ではないということになります。
えっ~本当、と思う内容でした。これが真実なら温暖化対策で苦労する必要はないですし、このエコロジーへ向う世界的な動きは、誰かが儲けるための策略にみんなが踊らされているのかもしれません。その後、いろいろ調べてみたら、その番組も真実ではないことも含まれていることが分かりました。ただ、これらはすべて人が調べたものをネットで検索しているだけなので、何が真実なのかは、わかりません。戦争をすればするほどブッシュの会社が儲かるような仕組みになっていますが、誰かが儲けるために世界規模で踊らされることがある時代です。
温暖化の原因が定かではないからといって、CO2を減らすことを緩めることは違っている気もします。温暖化は太陽活動も原因のだろうし、人間の出すCO2が原因でもあるでしょう。地球が何かおかしいしと感じているのは私だけではないと思います。地球に対して申し訳ないような気持ちを持っている人は多いと思います。原因がずばり“なに”とは言えないけど、地球に対する謙虚さはとても大切なのだと思います。
太陽の影響が地球の莫大な影響を与えますが、今のところはバランスが取られているので、生活が成り立っています。太陽がほんの少し変化することで、地球がなくなる可能性だってありえます。この絶妙なバランスに対し、なんと表現していいか分かりませんが、ただただ、ありがたいなぁと何かに祈りたくなるのです。(写真は白川郷の秘密の場)

2008年12月20日

自分との対話

ちょっぴり慌しい日が続いています。物凄いスピードで流れる日々に考えたり、それをまとめることができないけど、ブログを書くことは自分の中で漠然とあったことを文章化することで、整理することができるので、私にとてもプラスに作用しています。映画の仕事は発信のように思えるけど、日々の仕事は受身的なことがほとんどなので、自分の考えをただ思いのままに書くことは、とても気持ちがいいことです。
新聞やテレビでは今年を振り返える特集をしていますが、私の場合、たぶん生涯の中でも特別な年だったんじゃないかと思います。なぜかブータンに呼ばれるように行ったこと、そこで彼に出会い、昔から知り合いだったような感覚で結婚したこと、それと心の中心であるダライ・ラマ法王にお会いし、握手していただいたこと、などなど。年末で仕事を辞めるので、あと少しで仕事も終ります。その後の仕事はいまは決っていません。ブータンに行き、生活基盤を整えることが、今一番のプライオリティですね。生活はガラリと変わることになるでしょう。便利さを追求し、生活は“楽”の極みとも言える日本からの引越しで、不便なことが多いと思います。ただ、私は私の時間の使い方が狂っているように感じていたので、ブータンで人生における時間の使い道を、自分に適したものに軌道修正が出来るのではないかと思っています。衣食住がより良くなることを追求し、合理化や贅沢をしてきたけど、日本では当たり前のことが、ブータンでは困難なことが多いでしょう。でも、こういったことに時間や手間を掛けることを私は望んでいます。不器用なので自分をそういった環境に置かないと、丁寧に生きれないのだと思います。

2008年12月17日

負のスパイラル

寒いですね。世の中も同じくらい寒い風が吹いています。某自動車会社は年度内に派遣社員をゼロにするとニュースでやっていました。 会社としては仕方がないのでしょうが、本当に困った問題です。いま日本中で派遣社員が切られています。この“派遣”という制度はいかがなもんでしょうか。前職では派遣の方々とたくさん関わりましたが、みな一生懸命に仕事をしていましたが、ボーナスはなく、交通費さえなく、何か問題が発生すれば契約解除すればいい存在なので、お気の毒だなぁと感じていました。派遣社員になるのことを自分で決断した人も多いでしょうが、正社員にはなれないから派遣という人も多いと思います。派遣社員は会社側の都合がいいように使われている気がしてなりません。秋葉原の事件の犯人は自動車系列の派遣社員で、会社や世の中に対し不満を抱いており、それが事件の動機の一部であると報道されていました。事件後のインタビューでは、人を殺すことは間違っているけど、事件を起こした彼と同じような不満や不安を抱えていると、多く取り上げられていました。事務系の仕事は社員も派遣も業務内容が変わらないけど待遇面は雲泥の差があったりするので、こういった業務は派遣制度ではなく、社員にすればいいのになぁと思います。正社員として働けない場合はパートにして“派遣制度”はなくした方がいいんじゃないかなぁと思います。でも、会社も正社員としては雇うお金がないから、派遣にしてるんですよねぇ・・・。ん~、この問題も難しい。どうすれば皆が職を失わずに、最低限の生活の補償が得られるのでしょうか。
さて、ブータンはまたまた祭日だそうですよ。王様のお誕生日だそうです。まぁブータンはしょっちゅうお休みのように感じます。羨ましい・・・。師走なのでやはり忙しいですね。ブータンに行く前に友達に会ったりしているので11月から師走並みのしんどさです。この時期は忘年会もあって寝不足が続き、しかも寒いので風邪もなんとなくひいているので、千代の富士の引退時のように“体力の限界”という心境です。(写真は初夏の白川郷。今は雪におおわれて銀世界でしょうね。)

2008年12月7日

この灯を消さないように

オリンピックを前に中国が勝手に自分の国だと言っているチベット本国で、つらい思いで生きている方々のインタビューした映画「恐怖を乗り越えて(LEAVING FEAR BEHIND)」を見ました。英語字幕ですが、リンク先でご覧になれます。これを撮影したチベット人は撮影後に拘束され、安否は不明です。印象的だったのはインタビューを受けた方々が顔を出す理由でした。その映像がダライ・ラマ法王の元に届けられるのなら、と危険を承知で、インタビューに応えていました。チベット本国でテレビニュースに映し出されるダライ・ラマ法王に対し、涙を流し、五体投地する姿に涙がこらえられませんでした。オリンピックを開催するには、オリンピック精神に沿うよう政治体制を改善することが条件だったので、何かしら問題解決の一歩となる期待もあった分、ラクパさん(ダライ・ラマ法王事務所代表)のお話にあったように、以前よりひどい状況になっていることにやりきれない思いがあります。また、期待をさせてしまったという責任も感じます。改善がないままオリンピック開催を許したのは世界です。もちろん一番悪いのは人権を無視している国です。
この灯を消さないようデモに参加しました。60人弱でしたが新宿駅周辺で大勢の人が居る場所だったので、何かしらインパクトは与えられたと思います。チベット国民が自国で生活できる日まで、この灯を消してはいけませんね。ちなみにブータンはサンスクリット語で「チベットの端っこ」を意味するそうです。

2008年12月5日

象さんもいるそうです

ブータンのニュースをチェックしていたら米国大統領の選挙戦でオバマに負けたマケインがブータンを訪れているようです。傷心旅行でしょうかねぇ。ブッシュと同じ共和党と思うと、ちょっと恐い気がしますね。
あの国には要注意ですよ、国王。スゴイと思ったニュースが、もう1つ。象が村の水道管を壊しちゃったそうで、村の人は困っています。日本同様、ブータンはこの時期、乾燥しているそうなので、象さんも喉が渇いちゃったんでしょうね。ブータンに行った時、牛や馬、猿などにご対面したが、象は思いも寄りませんでした。村人と上手く共存できるといいですね。
前に来年の皆既日食に触れましたが、ブータンではチベットと同じように皆既日食は不吉なこととして捉えられているとわかりました。昔の人はさぞ、太陽が消えていくことを恐れたでしょうね。そんな名残なのかなぁとも感じます。戦争が終ったと知らずにフィリピンのジャングルにいた小野田さんは、皆既日食の前まではひどい雨がずっと続き、辛い思いをしていたそうですが、皆既日食の後に晴れ、喜んでいるのも束の間、その後は日照りで悩んだというエピソードを聞きました。皆既日食は陰陽的に良いことと悪いことの両方をもたらしたりするのかもしれないですね。太陽と月の影響を地球が受けないはずないでしょう。結婚式を皆既日食に合わせてと考えていましたが、彼とよく話し合って決めようと思っています。彼はいま、実家でいろいろなお手伝いをしているそうです。仏事を行っており、日本のお彼岸の法要のような1日ではなく、1ヶ月近く続くそうです。家をあげての一大イベントですね。

2008年12月2日

とまどい

裁判員制度がいよいよ来年から始まり、早い人には既に通知が届いていますね。私はこの制度についてまだ納得ができていません。私が知り合いに“裁判員にはなりたくない”と話をしたら、人間失格と言われてしまいました。ブータンに行くので私は裁判員にはならないでしょうね。死刑制度についても人によって色々と意見がありますが、私は反対です。家族の苦しみを思えば、すぐに死でもって報いて欲しいと思う心情はわかります。ただ死んでしまったら、犯人に対してはそれで終ってしまいます。自分のやったことに気づき、罪の意識に一生苛まれて苦しんでもらうのが、一番つらいことだと思うのです。もちろん罪の意識に気づかないままの人もいるでしょうが・・・。死刑の制度自体を無くすのではなく、いつ死刑になるかは分からないという方がいいですね。私は極刑よりも生き地獄にした方がいいように思っています。宅間のように死にたいという希望を持って大量に殺害し、その上、死刑を執行すれば、彼らの思いのままだと思います。自分のやったことの罪の重さに気づくことこそ、最大の刑罰だと思います。もう10年以上前の映画ですが「デッドマン・ウォーキング」は死刑について考えさせられました。ショーン・ペンの演技が上手すぎます。