2012年6月29日

目に見えないものが(ウォンディポダン・ゾン火災)

先日も書きましたがウォンディポダン・ゾンの全焼について。電気的なショートが原因とは分かっていても、どうしてこういうことが起きたのか、意味を考えました。報道では、大切なものは救出できたように言っていて事実とは違うので、国は損失を隠したいんだなぁと感じます。トンドルも焼けてしまったとか。国の甘さ、防火対策なしについては大いに反省し、再建よりも先に、他のゾンに目を向けた方が良い気もしますが、先を考えることが苦手なブータン人、そういった考えは全然出ていないようですね。これだけの火災で死者ゼロで、煙を吸った2人も酷くはないそうなので、本当に守られているように感じます。でも、なぜ火事なのか。信じるか信じないかはそれぞれですが、私はこのゾンを作ったシャブドゥンやチベット仏教の警告のような気がしてなりません。火災の3日前にブータンのジグミ・ティンレイ首相は、中国の温家宝と仲良く握手。そして、中国側によれば、ティンレイ首相は「両国の政府首脳が初めて会談したのは重要な歴史的意義がある」と応じ、「ブータンは『一つの中国』政策を支持する」ことを確認した、との報道。「一つの中国」とはチベット政策のことを指していますね。
中国はチベット仏教が大嫌い。中国側が首相会談を持ちだしたとしたら、それは下心いっぱいで、かなりやばいです。国連にブータンは加盟していたとはいえ、国境はなんだか曖昧で、年々、ブータン国土は中国の言い分によって小さくなってますね。このブログを見る人は、ほどんどの人が知っていると思いますが、チベットはブータン人口70万人の倍くらい、すでに虐殺されていて、チベットの僧院95%は破壊され、仏像や経典など貴重なものは略奪され、たくさんの経典は焼かれ、ダライ・ラマの写真を持っていただけで逮捕・監獄・拷問の国です。ブータンという国を作ったチベット僧のシャブドゥンは、ゾンを各地に作りました。今回燃え尽きたゾンも、その一つ。私はウォンディポダンの火災と、ティンレイ首相の動きが、まったく別の物だと思えません。頭の良い首相なので、絶対に分かっているはずですし、首相アドバイザーで、首相の親戚にもなったペマ・ギャルポ氏は、だれよりもチベットの苦しみを分かっているはず(元ダライラマ・法王事務所のトップ)。普通の国なら国交を持ち、仲良くした方がいいですが、中国は人権を無視して、その中国と仲良くしようとする行為は、人権無視を認めたことになります。同じ顔をしている、ブータンの多くのルーツでもあるチベット人が、気軽に殺され、今なお、反人道的な扱いを受けているのに、仲良くしては絶対にいけません。仲良くし、今、国交を持つことになれば、人権無視を認めたこととイコールです。中国は歴史もあって、文化も素晴らしく、中国残留孤児を殺さずに育ててくれて素晴らしい国。でも、トップたちは半端でなく酷い人達です。国民を騙し続け、抵抗すれば、すぐ刑務所で、場合によっては「ないもの」にされちゃいます。火災に一番早くに到着した第4代国王は気づいたでしょうね。

2012年6月27日

急いで下さい

ウォンディ・ポダン・ゾンというブータンでは、と~っても重要な建物が全焼しました。ゾンは行政と寺院の合体したところで、日本の政教分離とは真逆な感じで、国のすべてとも言える場所です。昨年の震災でダメージがあり、修復している最中でした。原因は電気系統のショートか漏電みたいです。ブータンだから仕方がない面もあるかもしれませんが、でも、あまりに重要な場所なので、全焼は国に問題があると思います。高い場所で風が強く吹く場所なので、火のまわりも早かったんだと思います。被害が大きい割に、死者はなく、2名が煙を吸ったそうですが、それほど酷い状況ではないので、そういう点ではさすがに守られているという気もします。首相がブータンを不在にすると大きなことがあるので、タシさんと「今度も何かあるかもよ」とNYで国連のパン・ギムンと会談しているニュースを見ながら話していました。大地震に金融危機、そしてゾン全焼です。首相はパワーを持っていると感じますが、首相不在時は、現国王だけでだと、見えないパワーが足りないのかもしれません(こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、正直な所。)希望を抱かせるために、再建の話が多いですが、今、急いでやるべきことは、それではありません。ブータンの人は、危機管理はゼロに近いので、火事について、バターランプなど気を付けはしますが、いざ火事になった場合を想像する人はいないように思えます。消火器は見たことないし、テレビのCMで消火ボールみたいな宣伝をしていますが、実物は見たことありません。ゾンは行政の資料はもちろんですが、寺院ですので、仏像や経典など、国家財産の宝庫です。建物は再建できても、経典などは古く、チベットから来た貴重なものが多いでしょう。チベタンは中国に、仏像や経典などの大切なものを、奪われ、こわされているのに、何もない状態で火事とはいえ、消滅させるのは、チベタンに申し訳なさ過ぎます。チベット仏教は国だけではなく、世界の宝と言えるかもしれません。全てのゾンに対し、早く防火対策をして欲しいです。火事を起きてしまった場合に、初期の段階で消火できることが大切です。それまで、見栄えは悪くとも、水をはったバケツをあちこちに配置して欲しいです。貧困国ではありますが、必要な所にはお金を掛けなくてはいけませんね。国王は、今こそ力を発揮して下さい。タイの大きな別荘を売ったっていいじゃないですか。前に勤めていた会社で、同じ部署に消防庁出身の方がいました。やはり火に対してはスペシャリストでした。日本にはそんな人が結構いると思うので、日本とブータンを状況は違いますが、防火の技術面で、日本に支援を要請すれば良いと思います。一般の家でも、火事が起きた場合にどうすればいいのか、基本的な知識を広めて欲しいですね。地震がきたら、机の下に避難すると、最近、知ったブータン人なので、防火については知識はゼロに近いです。諸行無常を一番理解している国ではありますが、責任と言う面で近代化をはかなければいけませんね。

2012年6月23日

また次の世で


おととい大家さんのお母さん(アンゲ・・・おばあちゃん)が亡くなりました。1ヶ月ちょっとの間、ツライ日々でしたが、やっと楽になったと思います。かなり具合が悪かった時は、断固として病院に行かないと、3日間くらい家族を始め、色んな人が説得し、病院に行き、そこでは点滴の針が入らずかなり苦労したそうです。退院後、食事はほぼできず、寝たきりの状態でしたが、一時的に良くなり、ソファまで歩き、そこに寝転んでテレビを見れる状況でしたが、その後、また悪くなりました。心臓と腎臓が悪く、オシッコが出にくくなり、水が体中にたまって、手足もパンパンでマッサージも出来ないほどでした。日に何度もアンゲの部屋に行き、何もできる訳ではないけど、そこで大家さんと話したり、他にお見舞いに来ている人と話したり、アンゲのそばにはいつも誰かがいる状況でした。大家さんは毎日私に「どうすればいいのか・・・。」と、私も「水が溜まっているから、薬で出すしかないと思うから病院に行くか、それがダメならお医者に来てもらえないか」と。でも、大家さんは「病院に行っても針が入らないし、医者には何もできない」と。毎日同じ会話でをしていましたが、こうやって、家族も周りも死を受け入れていくしかないんだと、アンゲが亡くなった今、気づきました。日本の病院だったら、きっとすぐに治せる状況だったと思いますが、アンゲは絶対に病院に行きたくなかったので、アンゲ自身も、家族も、少しづつ身体が弱って死んでいくことを受け入れていたんだと思います。ここ1週間は重篤な状況だと、たくさんの人が見舞いに来て、毎日のようにプジャ(祈祷)がありました。夜通しのプジャもあり、階下の私達の家には、いつも何か音が聞こえる状況でした。10日くらい前にガーデンのシンボルツリーであったプラムの木が、たくさんの実を付けたまま、根本から折れました。ブータンでは不吉なことだそうで、誰もがアンゲの死を予感しました。亡くなった日も、1時間くらい前に私は顔を見て、息苦しそうで、苦しまずに往かせてあげる方法は無いのか…と、答えのないことを考えていた時、一番上の階に住む先生が、手でサインし「come」と。アンゲの部屋に行くと、僧侶がお経を唱え、部屋には入りきれない程の人が手を合わせていました。私の顔を見て家族が中に来いと入れてもらい、私も祈りました。そして、ある時までお経が唱えられると、さっと皆外へ。悲しくて仕方がありませんが、苦しみから解放されたと思うと、少しホッとした心境にもなります。最後にアンゲに触れたかったけど、女性は死者にふれてはいけないそうです。その後、男性によりアンゲはお風呂できれいにしてもらい、棺に入れるため、身体を折り曲げた状態ですが、直接は見えないようになっています。昨日は棺が造られ、日曜までアパートの入り口に置いてあります。
大きな声でシャウトするアンゲは、大変な人でもありましたが、誰もが心優しさからそうなるのを分かってます。昔は大酒の飲みで、ドマもするし、身体に悪いことばかりしていたアンゲ。斜め前の家が大臣の家でしたが、大臣とは対等に言い合うアンゲでした。うちの旦那もたまに怒られたりしていましたが、ガミガミ婆さんは必要ですね。標高が高い場所、アパートの4階まであがるのは、かなりしんどく、外に出るのも少なくなったのも、身体を弱める原因だったかもしれません。
昨日も今日も訪問客がいっぱいです。日曜の火葬まで日があるので、アンゲに扇風機で風をあてています。プジャは続くので、僧侶のためや訪問客のために、みんなして料理を作ったり、亡くなる時は寂しさいっぱいでしたが、みんな助け合いなあがら、アンゲを送ろうとしています。アンゲは残された家族が困らないよう、プジャのためにかなりのお金を用意しておいたそうです。大家さんのところの赤ん坊は風呂に入れて貰える時間がないので、私がお風呂に入れています。久々の新生児でドキドキしますが、もうすぐ義妹も出産なので、経験できて良かったです。ブータン人は生まれ変わりを信じる割に、死者をえらく怖がるので、ビックリしました。特に女性は怖がります。家族がふさけて、アンゲが来るかも・・・と言いますが、話したいから私が嬉しいというと、逆にビックリされました。一緒に往こうと誘われるのが怖いとか。アンゲがくれた花がピンクに可愛くさいています。アンゲの部屋に行くと、いつもベッドの脇に座れ、といって、言葉はほとんど通じなかったけど、すごく楽しかったです。アンゲ、ありがとう。
(写真:色んな所に連れていってくれました。)


2012年6月1日

覚醒の地

 
近くのバラ園が満開です。近くを通るとバラの香りが漂ってきます。欲しい気もしますが、基本的に切り花も殺生につながるので、ここではあまりしませんね。ミニバラも可愛く咲き始めたので、コッソリといただいちゃうことにしましょう。日々、後悔なく生きたいと思っても、そうはいかないのが人生ですね。昨年、今年と尊敬して大好きだった方が亡くなり、子育ての大変さを理由に会いにいかなかったことを、今も後悔しています。したって仕方がないけど、そうやって何度も思いだし、涙して偲んでいます。ここにいると、みんなが自分の気持ちを大切にしているので、自分も同じように生きることができますが、日本ではどうも「迷惑をかけるのではないか」が先立って、やらないことを選んでしまいがちです。人の命は自分も含め、いつ終わるか分からないので、思ったら行動した方がいいですね。といっても独善的でない限り、後悔するのは人間の性ですね。ブータンに来ると多くの人が郷愁を覚え、ここが好きになるようです。それは個々が持っているブータン的な価値観や、ここに生きる人の生き方が、心地良いと感じる力を持っていて、それがブータンに来ること、ブータンを知ることで開花するんだと思っています。私もそうで、最初はほとんど知らず、五木寛之と養老孟司の本だけの知識で、あれよあれよと結婚し、幸せな国ブータンの幸せなところとその要因、幸せでないところとその要因を知り、生きること、死ぬこと、そして仏教の本質である縁(因果)を常に考えるようになりました。生死一如だからこそ、ここで生きることは、自己の理想へ近づくように生きられるような気がしています。大学院で仏教の死生学を研究しましたが、一生が研究だなぁと感じますね。大きなものに委ねて生きることを日本だと許されない感がありますが、ここでは尽力して、あとはお任せしていいので、後悔が少なくてすみます。本当に周りのおかげで有り難いですね。私の場合は環境の影響を受けやすいので、良い環境にいられることは重要だなぁと思います。義弟に「お姉さんは怖いものがないのか?」と聞かれ、考えて見ましたが、自然の脅威など怖いけど、人間が怖いとは感じませんね。権力社会のブータンで、義弟はその地位に怖さを感じているようで、ただ人間として、その生き方はあまりよくないので、「国王だって、高僧だって、すべて同じ人間。素晴らしい人は尊敬すればいいのであって、人間に大きい・小さいはない」と言ってみましたが、権力社会にどっぶりな環境で育っているので、彼の場合はなかなか、そういう感じにはいかないようです。ダライ・ラマ法王がいつもおっしゃるのは、自分もあなたがたと何も変わらない人間で、特別なことができる訳ではない、と。智慧を持つことがどれだけ大切かを法王様自身が体現して教えてくださったいるように思います。智慧は本だけではなく、生きる場から多く学べるなって感じます。ブータンに来て、たくさんに智慧が拡がり、そして日本・ブータン・世界がより良くなればいいなって感じます。ブータンにはその力があり、それを感じることを潜在的に多くが持っていると思っています。
(写真:いたずらで服をちらかされ。桶のお風呂。)