2012年6月23日

また次の世で


おととい大家さんのお母さん(アンゲ・・・おばあちゃん)が亡くなりました。1ヶ月ちょっとの間、ツライ日々でしたが、やっと楽になったと思います。かなり具合が悪かった時は、断固として病院に行かないと、3日間くらい家族を始め、色んな人が説得し、病院に行き、そこでは点滴の針が入らずかなり苦労したそうです。退院後、食事はほぼできず、寝たきりの状態でしたが、一時的に良くなり、ソファまで歩き、そこに寝転んでテレビを見れる状況でしたが、その後、また悪くなりました。心臓と腎臓が悪く、オシッコが出にくくなり、水が体中にたまって、手足もパンパンでマッサージも出来ないほどでした。日に何度もアンゲの部屋に行き、何もできる訳ではないけど、そこで大家さんと話したり、他にお見舞いに来ている人と話したり、アンゲのそばにはいつも誰かがいる状況でした。大家さんは毎日私に「どうすればいいのか・・・。」と、私も「水が溜まっているから、薬で出すしかないと思うから病院に行くか、それがダメならお医者に来てもらえないか」と。でも、大家さんは「病院に行っても針が入らないし、医者には何もできない」と。毎日同じ会話でをしていましたが、こうやって、家族も周りも死を受け入れていくしかないんだと、アンゲが亡くなった今、気づきました。日本の病院だったら、きっとすぐに治せる状況だったと思いますが、アンゲは絶対に病院に行きたくなかったので、アンゲ自身も、家族も、少しづつ身体が弱って死んでいくことを受け入れていたんだと思います。ここ1週間は重篤な状況だと、たくさんの人が見舞いに来て、毎日のようにプジャ(祈祷)がありました。夜通しのプジャもあり、階下の私達の家には、いつも何か音が聞こえる状況でした。10日くらい前にガーデンのシンボルツリーであったプラムの木が、たくさんの実を付けたまま、根本から折れました。ブータンでは不吉なことだそうで、誰もがアンゲの死を予感しました。亡くなった日も、1時間くらい前に私は顔を見て、息苦しそうで、苦しまずに往かせてあげる方法は無いのか…と、答えのないことを考えていた時、一番上の階に住む先生が、手でサインし「come」と。アンゲの部屋に行くと、僧侶がお経を唱え、部屋には入りきれない程の人が手を合わせていました。私の顔を見て家族が中に来いと入れてもらい、私も祈りました。そして、ある時までお経が唱えられると、さっと皆外へ。悲しくて仕方がありませんが、苦しみから解放されたと思うと、少しホッとした心境にもなります。最後にアンゲに触れたかったけど、女性は死者にふれてはいけないそうです。その後、男性によりアンゲはお風呂できれいにしてもらい、棺に入れるため、身体を折り曲げた状態ですが、直接は見えないようになっています。昨日は棺が造られ、日曜までアパートの入り口に置いてあります。
大きな声でシャウトするアンゲは、大変な人でもありましたが、誰もが心優しさからそうなるのを分かってます。昔は大酒の飲みで、ドマもするし、身体に悪いことばかりしていたアンゲ。斜め前の家が大臣の家でしたが、大臣とは対等に言い合うアンゲでした。うちの旦那もたまに怒られたりしていましたが、ガミガミ婆さんは必要ですね。標高が高い場所、アパートの4階まであがるのは、かなりしんどく、外に出るのも少なくなったのも、身体を弱める原因だったかもしれません。
昨日も今日も訪問客がいっぱいです。日曜の火葬まで日があるので、アンゲに扇風機で風をあてています。プジャは続くので、僧侶のためや訪問客のために、みんなして料理を作ったり、亡くなる時は寂しさいっぱいでしたが、みんな助け合いなあがら、アンゲを送ろうとしています。アンゲは残された家族が困らないよう、プジャのためにかなりのお金を用意しておいたそうです。大家さんのところの赤ん坊は風呂に入れて貰える時間がないので、私がお風呂に入れています。久々の新生児でドキドキしますが、もうすぐ義妹も出産なので、経験できて良かったです。ブータン人は生まれ変わりを信じる割に、死者をえらく怖がるので、ビックリしました。特に女性は怖がります。家族がふさけて、アンゲが来るかも・・・と言いますが、話したいから私が嬉しいというと、逆にビックリされました。一緒に往こうと誘われるのが怖いとか。アンゲがくれた花がピンクに可愛くさいています。アンゲの部屋に行くと、いつもベッドの脇に座れ、といって、言葉はほとんど通じなかったけど、すごく楽しかったです。アンゲ、ありがとう。
(写真:色んな所に連れていってくれました。)


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