2012年6月1日

覚醒の地

 
近くのバラ園が満開です。近くを通るとバラの香りが漂ってきます。欲しい気もしますが、基本的に切り花も殺生につながるので、ここではあまりしませんね。ミニバラも可愛く咲き始めたので、コッソリといただいちゃうことにしましょう。日々、後悔なく生きたいと思っても、そうはいかないのが人生ですね。昨年、今年と尊敬して大好きだった方が亡くなり、子育ての大変さを理由に会いにいかなかったことを、今も後悔しています。したって仕方がないけど、そうやって何度も思いだし、涙して偲んでいます。ここにいると、みんなが自分の気持ちを大切にしているので、自分も同じように生きることができますが、日本ではどうも「迷惑をかけるのではないか」が先立って、やらないことを選んでしまいがちです。人の命は自分も含め、いつ終わるか分からないので、思ったら行動した方がいいですね。といっても独善的でない限り、後悔するのは人間の性ですね。ブータンに来ると多くの人が郷愁を覚え、ここが好きになるようです。それは個々が持っているブータン的な価値観や、ここに生きる人の生き方が、心地良いと感じる力を持っていて、それがブータンに来ること、ブータンを知ることで開花するんだと思っています。私もそうで、最初はほとんど知らず、五木寛之と養老孟司の本だけの知識で、あれよあれよと結婚し、幸せな国ブータンの幸せなところとその要因、幸せでないところとその要因を知り、生きること、死ぬこと、そして仏教の本質である縁(因果)を常に考えるようになりました。生死一如だからこそ、ここで生きることは、自己の理想へ近づくように生きられるような気がしています。大学院で仏教の死生学を研究しましたが、一生が研究だなぁと感じますね。大きなものに委ねて生きることを日本だと許されない感がありますが、ここでは尽力して、あとはお任せしていいので、後悔が少なくてすみます。本当に周りのおかげで有り難いですね。私の場合は環境の影響を受けやすいので、良い環境にいられることは重要だなぁと思います。義弟に「お姉さんは怖いものがないのか?」と聞かれ、考えて見ましたが、自然の脅威など怖いけど、人間が怖いとは感じませんね。権力社会のブータンで、義弟はその地位に怖さを感じているようで、ただ人間として、その生き方はあまりよくないので、「国王だって、高僧だって、すべて同じ人間。素晴らしい人は尊敬すればいいのであって、人間に大きい・小さいはない」と言ってみましたが、権力社会にどっぶりな環境で育っているので、彼の場合はなかなか、そういう感じにはいかないようです。ダライ・ラマ法王がいつもおっしゃるのは、自分もあなたがたと何も変わらない人間で、特別なことができる訳ではない、と。智慧を持つことがどれだけ大切かを法王様自身が体現して教えてくださったいるように思います。智慧は本だけではなく、生きる場から多く学べるなって感じます。ブータンに来て、たくさんに智慧が拡がり、そして日本・ブータン・世界がより良くなればいいなって感じます。ブータンにはその力があり、それを感じることを潜在的に多くが持っていると思っています。
(写真:いたずらで服をちらかされ。桶のお風呂。)

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