2011年9月28日

カレー臭?



タシさんが昨晩、余震があったと言っていました。私も昨日の日中に揺れた気がしましたが、妹がバランスボールでボンボンやっていただけかも。先日、地震の直後、情報不足でやや不安もあり、前の職場の上司にブータンでの地震時の対応を教えてもらいました。構造建築の大家の方です。日本とは頻度は違えど、ブータンも立派な地震地帯の国だそうです。そういえば、2年前にも東で大地震があったので、2年に2度大きな地震が来ていることになるので、地震国ですね。そもそもヒマラヤ山脈ができたのはインド亜大陸が、南インド洋から運ばれて来て、ユーラシア大陸にぶつかって押しているから。日本列島にぶつかっている太平洋プレートやフィリピン海プレートに比べて動く速さが半分程度(1年に4.5cm)なので頻度は低いそうです。建物の耐震としては鉄骨そのものは強いが、溶接職人の技術がお粗末なことも考えられるので、この国では揺れを感じたら一目散に飛び出して、大きい木の陰にひそむのが良策だそうです。ブータンの昔ながらの民家は、そうでなくても崩れそうな感じがヒシヒシとするので、日本の避難とは違って、「外に出る」がこの国では良さそうです。うちのアパートの場合は、アパートの出口の上が、4階までガラス張りなので、これが落ちる可能性があるので注意しないといけません。建物ごとに避難方法は違うと思うので、ブータン人にこれを理解してもらうのは至難の業です。なので、「外に出る」が良いようです。それと地震が来る国だということを理解する必要がありますね。ブータンでは祈りの力でどうにかなると思っていますが、自然現象がありのままを受け入れるしかないです。


さて、昨日弟に「どうして兄さんはいつも臭うのか」と聞かれてしまいました。弟よ、それはカレー、いや華麗、いや「加齢臭」というのよ。タシもすっかりオッサンです。秋はツアーシーズンということで、ほぼ休みなしでずっとツアーです。ツアー会社の場合は稼げない時期もあるので、頑張って~!! ティンプーは降り続く雨が止み、洗濯物が乾くようになりました。今日は朝早くからチョルテンでプジャが行われています。10日間やるそうです。国王結婚へのプジャです。13日がプナカで王族や関係者の結婚式で、15日が首都ティンプのチャンリミタン競技場で披露だそうです。結構、盛り上がっているのかもしれませんが、正直、興味ないですね。ミーハー気分で興味あるのは衣装くらいかなぁ。タシママはあんなにトンサに帰りたがっていたのに、結婚の模様がここでは見れると分かり、それが終わったら帰ることに変更しました。トンサは電気は通じたもののテレビは見れないので、その方がいいですね。もしかしたら、その話を聞いてお父さんもトンサからやって来るかも。先日は僧侶の弟も居たので広くない部屋ですが7人が寝泊まりしました。寝られる場所さえあれば、ブータン人は雑魚寝でもいいそうです。僧侶の彼は昨日、ニューデリーのカルマパの寺院へ戻って行きました。今時の僧侶って感じでしたが、さすがに掃除は上手かったです。ブータンでは親戚が泊まりに来るのは頻繁で、その間は食事を作るのはやや大変ですね。うちの場合はテンちゃんの日本食にタシママの病人食、そして辛いブータン料理なので、妹が出勤して居ない時はアワアワしちゃいます。私の作るマズイだろうブータン料理も一応食べてくれます。最近は私も辛い物を食べていたのですが、舌が壊れてしまいテンちゃん用の微妙な味付けが出来なくなってしまいました。なので、辛い物はやめることにしました。やはり日本食は健康でいいですね。将来を考えると辛いブータン料理で病気になるのは間違えないので。タシの友人達は私が日本人なのに親戚が来ても平気なことを褒めてくれます。日本人の中では、親戚が来ると家ではなくホテルに泊まってもらう人もいるそうで、それはそれでお金を出して良い状況で寝泊まりしてもらうので良い気もしますが、ブータン人は親戚が来たらもてなすことが大切みたいです。タシさんの友人が遊びに来るたびに、その話をして行き、ホテルに泊ってもらう日本人をひど過ぎると言います。なので本来は3人の住まいなのに、なんで7人?なんて、口が裂けても言えそうにないですね。家族が大勢なのは楽しいですよ。


(写真:建築世界大会のレセプション。なにをお話されたかな?ブータン国王は11月に訪日。新婚旅行ですね)

2011年9月26日

正念場かな



ロサル(仏教のお祝い)が年に何回かあり、23日は“Blessed Rainy Day”で長い雨季が明ける日と言われています。日本と同じ、季節の変わり目ですね。この日は水で身体を清めるとBlessingされてことと同じ意味だそう。水のひとつぶに天使がいるそうです。水道の水も、水源は自然・神の恵みなのでOKだそう。1時に洗うといいとのことで、テンちゃんも私も、髪を少しだけ濡らしてみました。その後、雨期は開けず、むしろ本格的な雨期に入った感じで、雨ばかり。洗濯物は乾きませんね。9月に入ってから日中の日差しがとても強く、セミが鳴き始めたので、四季があるといっても日本(東京)とは違いますね。朝晩は少し寒いくらいなのに、セミがすごく鳴いています。


大きな地震の後、余震はほとんどなく、忘れ去られそうな気もしますが、西の「ハ」は建物がダメージを受け、外に暮らしている人もいるそうです。首相は国連総会でニューヨークにいて、フェイスブックでコメントしたものの、ニュースではコメントがありません。今は日本で建築世界大会の基調講演や福島被災地訪問など予定があり、帰国は101日。自国が地震被害が大きいので、早く帰って来て欲しい気もしますが、外貨を稼ぐ意味もあるでしょうし、予定を変えるのは難しいのでしょうね。もし、これが日本だったら、首相バッシングですね。国王は東の方に公務で行っていましたが、戻ってきて被害のあったゾンなどを訪問しています。自然災害の時にはもう少し、国王も首相も良い動きをして欲しい気もしますがブータンの限界なのでしょう。


国王のニュースは頻繁にありますが、なぜ、第4代国王が王位を早々に譲ったか、その理由が分かった気がします。第4代国王はブータン人は神と思っています。ものすごい才覚で、これは多くに知られていますね。その前までは国王が亡くなってから、王位が移っていましたが、第4代国王は、それだとこの国は危ないと思ったのだと想像します。退いたフリして、バックでコントロールをしているのでしょう。第5代はもうすぐ結婚されますが、公務なのにずっと未来のお妃と手をつないでいます。場を弁えずスタイルを気にして、若者に受けようと違う方向に努力しているようです。妹曰く、「国王は私達の手本なのに、好きだからって、いつでも手をつないでるのは、国民には良くない影響だ」と、めずらしくまともなことを言っていました。若い世代は欧米化していますが、スタイルばかりを気にして、大切なことを失いそうな気がします。うちのアパートの隣の住人は、車のメンテナンスの成金です。うちにまで音楽がガンガンに響くほど大きな音をたてたり、家族はみんなタトゥだらけです。今日、ゴミを出しに行った時、お嬢さんに会いましたが、くわえ煙草に鼻ピアス。民族衣装のキラを来ていたので出勤でしょう。残念ながら、ブータンでは生活が裕福になると下品な方向へ行ってしまうようです。

2011年9月22日

理解が難しいと思うこと

18日の地震後、夜中に数回、震度1程度の余震がありましたが、周りのブータン人は誰も気づかなかったそうです。怖がっていたわりに笑えます。弟の学校では避難訓練で笛の合図と共に、机に入る練習をしているそうです。地震の話題は絶えませんが、何でも楽しむブータン人。どうやら最近は地震ネタに楽しんでいるような面も見えます。ただ西の方では民家3,000がダメージを受けていて、住めない家もあるそうなので深刻ですね。頻度は低くとも、日本と同じ地震地帯にある国だと分かったので、対策を取りたいと思います。


おととい、インドに住む僧侶の弟がやって来ました。2人いるカルマパ17世の、ダライ・ラマ法王が認めた方ではないカルマパの所にいる弟です。この弟は何だか問題がある気がします。有名なカルマパの元なので、あちこち海外に一緒に行くことができます。彼はフェイスブックで私と友人ですが、遊んでばかりいる気がします。うちに来てサーフパンツをはき、プロレスのテレビを見ている彼は、どうも僧侶と思えません。もちろん日々、色んな勉強をして、お勤めもしているのでしょうが、なんか、彼を見てるとしっくりこない…。仏教的な話は聞けないし、家に来て高そうなパソコンで何をしてるかと覗くと、今時の映画を見てました。パソコン以外にデジカメや携帯も高価そうです。トンサでお母さんの具合が悪くなり、プジャの必要になった時、弟は手伝いもせずティンプに帰ってしまったそう。お父さんは驚いたとか。うん~、なんだか彼の将来は心配です。僧侶として位が高くなると、海外での法要ではお布施が個々の財産になるそうです。リンポチェはとてもリッチだったり、その家族はとても潤います。リンポチェ、と言ってしまったモノ勝ちのようところもあり、それが本当に生まれ変わりなのか、そうでないのかは分かりませんし、違うというのも失礼ですね。なので、本来なら一人である生まれ変わりの僧が、ブータンには何人もいちゃったりします。ウソをついてはいないかもしれませんが、思い込みたいのかもしれません。だって、高僧の生まれ変わりはお金持ちになるので…。海外に連れていってくれ、最新のコンピュータなどを買ってくれるリンポチェは、私はどうも支持できません。もしかしたら、弟はそこから離れた方が僧侶としてはいいのかも。社会性と思いやりに少し欠ける弟よ、僧侶であることは素晴らしいことなのよ!


話し変わって先日のこと。旦那がお客さんと晩ご飯を食べに行ったら、別のお客さんのガイドが泥酔していたそう。あまりの酷さにタシさんが謝ってガイドを外させ、うちのお客さんと一緒にご飯を食べたそうです。ブータンのツアーは特殊で、ガイドが旅行中ずっと一緒です。そのガイドが良くないとツマラナイ旅行になります。ブータンはとても高い旅行代金を払っての旅なので、事前に確認した方がいいかも。最近、よくガイドが良くなかったと耳にします。タシさんはその日は怒りで眠れなかったそう。ずべてのブータン旅行が同じように質が悪いと思われたら悔しいと言ってました。ガイドの低下の原因は、ベテラン級のガイド達は、自分で会社を起こし、ガイドとしては出なくなり、今は新しいガイドが増えたそうです。国はlicenseを簡単に出すので、知識やマナーの低いガイドがいるんですね。


(写真:大家さんの家は、今日プジャです。前日にバターを使って、人形のような物を作ります)

2011年9月19日

地震

18日の夜6時(日本時間の9時)過ぎに、大きな地震がありました。震源地はインドのシッキムでM6.8、ブータンの西側はかなり揺れたと思います。トンサもかなり揺れたというので、規模は大きかったのでしょう。「ハ」には被害が出ているそうです。ブータンだなぁと思ったのが、国営放送BBSで生放送の最中に地震があり、司会者と対談していたお医者さんは、最初は冷静で大きく揺れてからは立ちあがり、その後、普通に番組を続けていました。地震があったことには触れず・・・。1時間が過ぎた8時になって地震があったとニュースで言っていましたが、えっ、それだけ?という感じ。体感としては、震度4強ですね。5は無かったと思います。震源地のインドの震度だけで、ここの震度情報はありませんね。首都ティンプで地震は、めったにないですが小さいのはたまにあり、でも、ここまで大きいのはかなり久々なようです。ほとんど地震を知らないブータン人は動揺しています。地震の最中、タシさんのお母さんが「ナカ(地震)」と何度も大声で叫んだので、そっちの方が恐ろしかったですね。ブータンでは地震の時は叫ぶ、言い伝えがあるそうです。あんまり良くない習慣かも。弟はドキドキして夕食を食べられませんでした。大家さんもかなり怖がって、11時以降に大きな地震がやってくる、という情報で、一家揃って外へ避難しています。誘われましたが、今日は雨でかなり寒く、テンちゃんを連れていくには困難。家で地震に備えることにします。タシさんは日本で何度も地震の経験をしたので、怖さはないようで、明日のツアーに備えて、テンちゃんと、とっとと寝てしまいました。我が家は心配いりません!

2011年9月17日

心身の癒し






自分がプジャに関わって初めて大変なんだと分かりました。大概、プジャは家に僧侶が来てもらい、何日間か行われ、その間の朝昼晩の食事を作って僧侶に出します。今回、私にはとても出来ないと思い、タシさんが僧侶に相談したところ、仏教でとても良い日に大きなプジャがあるから、そこでやろうということになりました。準備としてはそこに住む僧侶140人のお昼ご飯の材料をすべて買い、ルンタという祈りの旗を用意し、僧侶に寄付するお金を用意したり…。食材はタシさんの弟が大活躍で用意をしてくれました。寺院には前のジェ・ケンボ(大僧正)が晩年過ごし無くなった部屋があり、見せていただきました。ジェ・ケンボは国王に並んでブータンで尊ばれる方です。部屋に入った瞬間、オーラが違うので驚きました。しかし、部屋はとても質素でこれもまた驚きました。


伝統治療院に友人について初めて行きました。タシさんの親戚が薬草の指導をしている関係で、先生にすぐに見てもらいました。脈を観ながら、症状をきき、じーっと話す様子を観て、先生の言う症状はピタリと当たっているようでした。薬草から作られたお薬を出してくれました。先生は薬が効いたか、また来るようにとのことでしたが、旅行者なので来れないと応えたら、薬がよければ送ってくれるとのこと。まぁ何とも優しい人達です。


病気の場合、病人に寄付や贈り物をすると良くなると大家さんのアドバイスで、卵やビスケットをかって病院を訪れました。そこはケアしてくれる人がいない、主に腎臓病の患者さんが28人いました。国が食事を提供してくれますが、美味しくないそうです。良い状況とは言えない病棟で、機会があれば卵など持って訪れたいですね。


親戚がお香を作っていて、驚きましたが、お香も薬草の効果があるんですね。香りを楽しむだけの物って思ったいました。物によってはお香を焚いた時に、お肉を食べてはいけないとか…。ブータンのお香は日本では高いそうです。親戚の家ではNu.60120円しません。アロマもですが、香りは身体に影響するんですね。








(写真:上・プジャの寺院、下・貧しい方へ靴をリサイクル)

2011年9月11日

詰めが甘すぎ



先日は水が一滴も出ませんでした。今回で2回目です。うちのアパートは良い方で、いつもほぼ出ないという所もあります。いざという時に貯めておいた水をやかんで沸かし、息子をお風呂に入れました。ブータン人は毎日はお風呂に入りません。乾燥地帯で汗をかかないので1週間に1回なんてざらです。私も昨日は沸かしたお湯で身体を洗いました。洗髪はできませんが、バケツ半分の量で充分に洗えますね。たまに水がない不便さは、大切さが分かっていいのかも。いつもは困りますけどね。


この国は住んでみて分かったのですが、本当にブータンは貧困国ですね。インフラは遅れていて、水の問題解決は後回しのようです。貧困とはいえ、なぜかブータン人にはそれを感じさせる悲壮感はなく、大変のようにも見えないところはブータン人の凄さですね。無いなりに色々工夫して、色んな面で豊かに暮らしていますよ。


郊外の親戚の家に行った時、コンクリートの道は途中で終り、そこからは道なき道を歩きました。親戚は小屋に住んでいて、横に建築中の家がありましたが、大工さんがいい加減だったそうで、建築途中で傾き、その後修理もしてくれずにお金だけ取られてしまった状態だそうです。裁判にも応じず仕方がないので少しずつ、自分達の手で建築の続きをしていました。驚いたのはまだ骨組みの状態ですが、中に入ると既に使っていて、椅子などが置いてありました。窓や壁が全部なくても、住めないことはなく、小屋にみんなは寝れないので、息子達が既に住んでいました。ブータン人ってホントたくましいですね。家の周りで野菜をたくさん栽培していて、もちろん農薬は使ってなく、お土産にたくさん貰いました。テンちゃんは初めての牛を間近で見ていました。ティンプーの北部は、南の建築、猛ラッシュと違って静かでしたが、今回久々に行ったら、かなりアパートが建ち始めていましたね。ティンプーで静かに住める場所は無くなりつつあります。


建築途中で逃げちゃった大工さんもですが、横領事件は多く、テレビでは指名手配ではないけど、写真と名前とID番号などが放映され、期日までに出てこなければ裁判になると、コマーシャルをやっていす。8月末までの警告に出てこなかったので、裁判に持ち込まれたと、今もCMはやっています。半端ない放映回数なので、彼は超有名人ですね。裁判結果が出てない時点で全て公開され、家族は恥ずかしいでしょうね。タシさんは友人も借金して逃げてしまったり…。ブータンではお金の問題はあちこちで山ほどありますよ。


(写真:薬草の本。標高が高い・低いの2冊。低いといっても2000m級。薬草の宝庫だそうです)

2011年9月8日

幸せな理由



子どもが「ドラえもん」を見て、大喜びしてテレビに手を振るなんて想像もつきませんでした。大きくなったなぁ・・・。最近は思い通りにいかないと泣いて見たりするテンちゃんです。マネが得意で、どこからか綿棒を持って来て、耳に入れていたのでビックリしました。私のお化粧ポーチをいじって、鏡を見ながらお化粧していたのにも驚きました。何をするか分かんないので用心しないといけませんね。


昨日は神戸からのツアーの皆さんの招待で、夕食をいただきながら、主婦代表としてブータンについて、アレコレお話をさせていただきました。うちのお客さんではないのですが、ブータンについてメールで問い合わせがあり、お応えてしていたら、ぜひ会ってお話したいとのことでした。皆さんはGNHについてグループ論文を書くそうです。JICA所長さんや市役所で環境問題に取り組む日本の方のお話も聞くことができました。ブータンが幸せな理由や、知られていない現実問題など、とても勉強になりました。私が感じるところの究極は、やはり小さな頃からチベット仏教を親や学校が教えられていることは、この国が幸せである理由の最大要因だと感じます。日本は教育に宗教はタブーですが、信仰心や畏敬の念のようなことがあるとないでは、大いに違いがあるなって感じました。生活で大変なところを聞かれましたが、大変と思えばすべて大変なことばかりですが、その辺りは考えようなので、虫刺されくらいで、本当に幸せを実感できるとお応えしました。ツアーの皆さんからは不要になった衣類やタオルをたくさんいただき、必要とされているところへお渡しします。日本食もお土産にたくさんいただき、しばらく楽しめそう。


(写真:この時期恒例のエマ干し。屋根が赤く染まってくる時期です。辛みが増します)

2011年9月4日

死生観の差




アーチェリー大会がプリンスチームの優勝で幕を閉じました。ブータンとしては一番いい結果です。プリンスチームに勝っちゃう訳にはいきませんからね。強豪たちを集めたチームなので優勝は当たり前。チームに選ばれると仕事があっても練習に行かないといけないそうなので、それはそれで大変なようです。成績が最優秀者には車がプレゼントされましたよ。ブータンは残暑が厳しく、日差しが強すぎて日中は街に人が少ないくらいです。テンちゃんは日焼け止めを塗っていますが、それでも焼けていました。朝はすごく綺麗でこの風景を見ると、生きる力がわぁ~っと湧いてくる美しさですよ。


さて、お母さんもティンプの生活になれたような気もしますが、大変なことがありました。実家トンサではよくあることですが、前日まで平気だったのに、翌朝、あまりの痛みに気を失って25分間、意識がなくなり焦りました。よくあることのようで、意識なしが2時間くらい続くこともあるそう。その間、ずっと力が入っていて、身体はカチコチ。意識が戻った時、関節が痛くなるそうです。こんなことってあるんですね。日本だったら検査して治療もできるんでしょうが、なんせブータンなので、病院に行っても解決は難しく・・・。「痛くなった時にラジオがあったらすごく幸せ」というので、タシさんとラジオを買いに行きました。充電式がなかったので電池ですがバッタモンではないフィリップスのラジオをまけてもらって500ヌルタム(だいたい1,000円)で買いました。SONNYとか、面白いラジオもありましたよ。ラジオで痛みを忘れられるといいですね。


昨日、アパートの隣のお医者様が亡くなりました。今日はプジャ(法要)をしています。昨日から大勢の人が訪れています。ブータンでは亡くなっら火葬にしますが、その日時なども観てもらいます。場合によっては玄関でなく、窓から遺体を出すこともあるそうです。信心深いですね。日本より「死」の受け止め方が、かなりアッサリしていて、死は当たり前のこととして受け入れられています。日本ほど医療が進んでいないので死がいつも身近にあり、輪廻転生は当たり前のブータンなので、日本のように辛く苦しい死生観ではありませんね。死に対する受け止め方によって、「生」はかなり違ってくると思います。日本はこの受け止め方が言葉が変ですが上手ではないので、生きるのが苦しくなっているように感じます。


(写真:オンマニペメフム)