2011年11月9日

宗教って・・・



ブータンはチベット仏教国です。仏教のために生きているような人がいっぱいいます。ただ仏教が権威的な風にも感じます。尊ぶことは重要ですが、あまりに尊び過ぎて、形に重きを置きすぎているようです。現代の問題に仏教がもっと関わったら良いのになぁと感じます。若者は就職が難しく、みな将来に不安を抱え、お酒やドラッグに走ったり、問題を多く起こしています。そんな現代の問題に、ブータンの仏教者が智慧を説いてくれるといいのになぁと感じます。「良いことをして、悪いことをしないように・・・」では、漠然としていて分かりません。もっと仏教者と市民が対話が必要です。お布施(寄付)はいいことだけど「寄付すればいい」というのは何だか金がモノを言う世界と一緒のような気がします。

先日、日本で法話や慰霊供養をして下さったダライ・ラマ法王は、日本からインドではなく、そのままモンゴルに行かれたそうです。世界で一番、多忙なお年寄りではないでしょうか…。年齢的にもお身体も万全とはいえないと思いますが、世界中に智慧を説かれ、そしてチベットのことを世界に知らしめていっしゃいます。現在、法王は政治的な立場からは退かれ、若い首相が誕生したおかげで、中国やコキントウ、毛沢東などを名指しし言及されています。政治的な地位に居た時は発言できなかったけど、バンバンと中国の悪さを言っていたで、もっともっと報道して欲しいです。モンゴルは同じチベット仏教徒がほとんどの国なので、法王を大歓迎しているでしょう。そして、中国に責められる同じ境遇でもあります。


来日の目的の一つであった東日本大震災の慰霊や被災者と共に悲しみを分かち合うために福島へ行かれましたが、お寺で法王のお話が聞けるのは「檀家さんだけ」と厳しく限定され、席は空席が目立ったそうです。お寺の外には法王のお話を聞きたい方々で、いっぱいいたというのは、まったく日本らしいですね。法王はそれを即座に理解し、お寺の話しの途中で「外へ行きたくなった…」と、外に出てお話され、海に向かって読経されたそうです。さすがです。法王の存在そのものが癒しであり、慰霊なのを理解していないが日本の仏教者ですね。檀家だけが癒されれば良いのでしょうか…。どうして日本の仏教者は「仏教」を本当に理解していないのか、考えてみました。


日本では人生の締めくくりのお葬式は仏教で、仏教者は多いけど、本当の意味では仏教的には生きていませんね。ブータンは国教としての仏教なので、国の支援があり、お布施や檀家がなくてもやっていけます。日本はお寺や僧侶に対し、国の支援(税金以外)はありませんので、各お寺が檀家を拡大し、お布施で生きて行くしかありません。なので、日本のお寺は「会社」と同じで経営が必要なんですね。そうなると檀家(株主)が重要で、他はどうでもいい存在。なんと悲しい仕組みでしょう。日本の仏教者が本当に仏教を理解して、昔のようにお寺や僧侶が精神的・物理的に困った人を本当に助けてくれる場になるといいですね。


ブータンが幸せであるのは、仏教が根幹にあるからだと私は断言できます。「幸せ」をもっと意識し、日々、生きることが大切だと思います。


(写真:コンビニをのぞかれる法王。お店を見るのは大好きだそうですが、欲しくても1日考えると、たいてい買わないで済むそうです。権威的ではなく、すごく近い存在に感じます。)



2 件のコメント:

灰色ウサギ さんのコメント...

今日のお話はすごく良くわかりました。同感です。
日本の仏教はいつごろから変わってしまったんでしょう。貴族の仏教になったころからでしょうか。
お布施が無ければ、檀家でなければ、戒名のために・・・。
ブータンんでブータンの仏教を見聞きしてすごく考えることが多くなりました。
チベットの問題は心が痛い。
ドイツかどこかで焼身自殺した方の数だけ名前を身に着けた人が並んで抗議している写真有りましたね。涙が出てきました。その手段しかないなんて悲しすぎます。

T&M さんのコメント...

灰色ウサギさん

こんにちは。
いつから仏教は変わったんでしょうね。政教分離・神仏一体を止めるなど、理由はあるのだと思います。

日本人って、根本である、「何のためにそれをやっているのか…」を忘れがちだと思います。

ちょっとずれますが、よくブータン人に、「楽しむことの方が重要」と言われます。
何のたまに生きているか…。日本ではあまり考えないことですね。

1日でも早くチベットがチベット人に戻りますように。