2012年5月23日

愛って

旦那の実家は昨年から電気が通るようになり、ネットさえ繋がれば、実家のトンサで暮らせたら、学ぶことも多いかと思ってましたが、もうネットは繋がるんだそうです。やったー!実家の両親は農業をしていて、町から車で1時間くらい離れているんので、自然に近い暮らしですね。ネットができれば仕事は可能。昨日、旦那に話したら、NOだそう。タイミングを見計らって、忘れた頃に再度、話してみますか…。お爺ちゃんお婆ちゃんと、農業や自然の厳しさを体感しながら育っていけば、人間として知っておいて欲しいことは、学べるでしょうし、年寄りが近くにいるのはいいですね。旦那は仕事があるので首都ディンプーで、少し離れていても同じ国だし大丈夫と思っていましたが、子どもと離れて暮らすのは耐えられないと。私も逆の立場だったら同じなので、さすがに今回は反論できず。でも、ティンプーの首都は価値観がバカっぽく移ってきている気もして、ここは親がしっかりするしかないな、と踏ん張り所です。自分の子どもが特別可愛いと思うのは当たり前ですが、自分の子は特別な子と思うのは危険ですね。勉強の出来が悪いとか、落ち着きに欠けたり、動きが激しかったり、単に学習障害であるのに認めたくないので特別扱いしてしまいます。これほど不幸なことはないなって思います。特別かどうかは子どもが大きくなり自分で判断することであって、ありのままの自分は受け入れてもらえず「特別な子」という冠を付けられてしまいます。姉はヨガの指導で、数多くの親子を見てきていますが、子を特別な子としたがる親は、現実を直視するのが苦手で、アイデンティティの不確立、プライドが高いんだとか。結果、可愛い子どもを特別な子という枠内で捉えるようになり、特別でない自分の子は認めないんだそうです。普通だったり、出来が悪かったとしても、ありのままを客観視できるようになり、ステップアップできるんですね。母の愛は情が濃くなり過ぎると歪みが出ますね。出来が悪くて何が悪い、と思えた時、良い意味で価値が崩れ、新たな関係性が生れ、幸せを育むことに繋がるんだと感じます。日本の多くの問題は子を否定する親、子を特別な子扱いする親から生み出されていると感じます。ありのままに生きていれば、自然と幸せに繋がるんだと思います。
(写真:特別に可愛いと思うことと、特別な子とは全く違いますね)

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