2011年4月30日

黄金週間


平らな道はほとんどないので身体能力が高くなりそうな予感。アパートの3階までテンちゃんを抱っこしてあがるとヒーヒーです。最近はゆっくりですが、自分で階段があがれるようになってきました。ブータンは乾燥していので手がガザガザになりますが、これがしばらく住んでいると順応してきて、自分で潤すことができるようになってきます。身体がちゃんとその地に順応するんですね。今日はブータン在住のお友達が遊びに来てくれ、久々に日本語で楽しくおしゃべりしました。ちょっと大きなお兄ちゃんがテンちゃんと遊んでくれました。年上には興味あっても、年下にはないのか、まだ小さな赤ちゃんと踏んずけちゃいそうで焦りましたが…。学校のことなど今後分からないことがいっぱいあるので、色々と教えていただけるので嬉しいです。タシさんはやっと仕事が入りました。フリーランスで最初のツアーで、今頃になって日本語会話集を開き、勉強し始めました。遅いよ~。GWは日本からのお客さんも多く、日本語の分かるガイドが探されていたそうです。日本人のツアーは日程が短いので、明日からのテンちゃんと2人暮らし大丈夫でしょう。大家さん一家が手伝ってくれるのできっと大丈夫。


(ダライ・ラマ法王の東日本大震災の犠牲者法要が昨日、護国寺でおこなわれました)

2011年4月27日

青空トイレ




鳥のさえずりは午前中だとばかり思っていましたが、ここでは夕方にも美しい歌声が聴こえてきます。タシさんによれば、朝に鳴く鳥もいれば、昼間、夕方に鳴くなど、鳥によって時間帯が違うと言っています。東京の鳥は鳴き声で何の鳥だか分かりますが、ブータンは種類が多そうなので覚えられるでしょうかぁ。タシさんは今、職探しをしていますが、なかなか難しいようですね。ガイドも数がたくさん増えた上に、観光客は減っているので、ガイドとしてもなかなかのようです。でも、日本語の勉強は引き続きやっています。日本人なら仕事がなくて、どうしようもない場合、少し落ち込んだり、場合によってはそれから引きこもってしまったりするかもしれませんが、ブータン人はそんな感情は微塵もないようです。もちろん無職は恥ずかしいとは言っていますが、友達とは多いに遊ぶし、とにかくブータン人はオシャベリです。きりなく話ています。いつでも人生をエンジョイしちゃっていますね。これも自尊感情の高さなのでしょうか。“仕方がない”と割り切って受け入れる幅が日本人とブータン人に違いを感じます。ここには仏教の教えが絡んでくるのでしょうか。生活しているうちに彼らの精神構造が分かってくるかなって思っています。さて、我が家は西以外、窓に覆われていて、そこから山々が望めます。緑が少し濃くなってきたようです。おトイレは座ると窓全開で山の景色が見え、とっても気持ち良くおトイレできます。最初は少し緊張しましたが、緑を眺めて開放的な気分のトイレに行くのが変な話、楽しくなってきました。ブータンの田舎の方に行くとお外でトイレすることになるようですよ。ハワイ島でもロコしか行かないビーチにはトイレがなくって、しげみの方でしましたが、これも気持ちよかったです。ブータンに来て野性的な血が騒いできたかも。




2011年4月26日

ジェームズ・ラブロック博士の言葉

人は地球の主人ではない

地球はタフで優しい生命体である

 環境の破壊について、危機感を募らせながらも、自動車を手放すことはできないし、チェーンソーで木を切って資源にすることを急にやめるわけにもいかない。牛を育てるより大豆の方がエネルギーを使わないからといって、ベジタリアンになれるわけでもありません。しかしこのままの生活では地球の荒廃を招くと、多くの人は意識するようになりました。 

 でも、地球をどのように管理し人はこれから何を選択していけばいいのかと考えた時、実は私たちは地球そのものについて、あまりにも無知であったのではないかと思うのです。地球は火星や金星などと大きく異なって、単なる岩石の塊のような存在ではなく、自らが生き続けようとする生命力を持っています。その決定的な違いは大気の成分ですが、40億年もの間、地球だけが二十数%の酸素を維持し続けているのです。

 この酸素量がわずかに変化しただけで地球上の生物は決定的な打撃を受けますが、長い地球上の歴史の中で、どのような気象変化や変動が起きても、酸素量は神業のようにバランスを保ち続けてきました。また、人類が地球上に現れてさまざまな侵害を続けてきた以上に、もっとすさまじい攻撃――たとえば隕石(いんせき)が落ちるとか、気温が下がって氷河期に入るなどの激しい変動にも十分に耐え生き延びてきたのです。

 おそらく、地球上のすべての生命が大きな自己調節システムのような働きに関与し、生命の流れを維持するように存在しているのです。ですから、いま地球環境が悪い方向に向かっているから、地球を何らかの方法でコントロールしようなどと即物的に「治療」したり、科学的な方法に奔走すべきではありません。常に地球の大きな生命の流れに沿って決断をすべきなのです。

災害に立ち向かえる文明の力を磨く

 地球の資源に限りがあり、しかし手に入れた生活を過去に押し戻すことはできない。そう葛藤(かっとう)する時代にあって大切なことは、どのようにして人類と文明を保存するかです。まず、向こう100年の間に人類を襲うであろう大きな災害や不幸に対して、どう予想し、いかに対応するか。どのようにして立ち直るか。それができるのは高い文明があるかどうかにかかっていると思います。

 私は、日本という国が築いてきた文明が、世界に対して規範になれる可能性を感じています。海に囲まれ、土地が狭くさまざまな制約がある中で、高い文明を築き、経済的に成功し、人々の暮らしは豊かである。資源がなくても1億人を超える人々が飢えることなく、生命を全うしていく。その知恵を伝える使命が、日本の仕事のひとつでしょう。

 たとえばIT技術の発展への寄与は間違いなく地球環境への負荷を減らします。また、日本の伝統工芸や製品作りの技のように、ひとつの品を大切に愛し、息長く生活の中で使い続けることの合理性や、すぐれた知恵は確実にエネルギーの消費を減らします。私は、生物物理学者として地球や人類生命への負荷を理論的に考える時、人間の知恵は、必死でエネルギーの効率的な使いこなしを判断するのではないかと予想しています。

 私たちの暮らしに欠くことのできないものは数多くあります。それを放棄したり、あきらめたり、感情的に抑えこむのではなく、替えられる方法を探し求めること。蓄えてきた文明の中から発想して、新たな100年の可能性を人類に与える仕事をあなたの立場で考えるべきではないでしょうか。

都市を離れて、感じよ、考えよ

大人は、子と自然を巡り合わせよ


 たった今この世に生を受けた子供も、20年たてば成人します。その子供が、もし地球や自然、他の生命の営みについて、それが大切なものであると実感して成長したら、これはすばらしい方向をめざして歩いていくでしょう。 

 私も自然の中で育ちました。森の木も水も、動物も昆虫も生物として人間の仲間であることを体で分かるには、子供時代の経験が非常に大切です。都会にいて机上の学習をする時間を削り、子供を森や川や海へ連れていく努力をいとわないで欲しい。自分はナマの現実の世界の住人で、その中の一部であると感じられる体験が、必ず子供たちの生き方に反映され、環境へ取り組む思想に変化が現れます。私の父はいつも私を外へ連れ出し、4歳の時には、自然界を知るための道具は自分で作ればいいと、工具を与えてくれました。子供の心は自然界とつながっています。自分の生命が躍動するのを生き生きと感じる能力が備わっています。私は多くの調査機器を自分の手で作り、国際的な特許も数多く取りましたが、すべての原点は、大人である父の自然への畏怖(いふ)や愛情であったと思います。あなたがするべき大切な仕事のひとつはその実践です。環境への配慮ができる成人を育て、人間が地球を支配したり、コントロールしたりするのではないと体で分かる存在を送り出してください。

 人間が生命体として自然の一部であることを知れば、子供は直感で、していいことと、してはいけないことを判断していきます。現在の大人たちが、今日明日に何ができるかと日常を右往左往することより、子供を育てる仕事を分かって欲しい。バトンを託しなさい。

産業は悪という時代錯誤に陥るな

 かつて私たちは、フロンという物質を大量に大気中に排出し、オゾン層まで破壊する所業を行いました。自動車のクーラーや冷蔵庫という文明の快適さと引き換えに。これからは、排出しない技術開発と同時に、すでに大気中にあるフロンの処理技術開発が重要なことは明らかです。日本をはじめ各国が企業努力を続けている点です。 

 ただ、こういう状況の中で、だから産業は環境破壊の最たる存在だと主張する偏狭な環境主義者に、私はくみしません。彼らは言います。産業とは救いようもなく悪であり、利潤と権力を追求するあまり、有害な汚染を撒(ま)き散らしている。止めなければ、と。しかし冷静に現実を見るべきでしょう。工業生産を打ち切り、田園生活や昔の暮らしに回帰するべきだという主張は単なるおとぎばなしに過ぎないのです。

 もし産業文明を放棄すれば、恐らく地球上に生きる人類のごく一部しか生き残れないのが現実です。また、今日のあなたの生活から産業製品を無くして十分に暮らしていけますか。60億人を超える人間が、これからも共に生きぬくことを考えなければならないのです。

 産業文明は人類の糧です。しかも自己改革を続け、汚染を出さない低消費構造の謙虚な文明の必要に目覚めています。感情的にならず、昔はずっとよかったなどと懐古的にならず、そしてすぐに何とかしようなどと短絡的にならないで欲しい。しかし、向かう方向を間違えてはならない。日本はその役割を担っている一国です。

直感こそ、真実を捉える

私たちは、細部に隷属してはならない


 私が最初に、「地球は生命体である」とするガイアの考え方を発表したのは1972年です。その当時の科学の世界は、微生物学にしても、生物地球科学にしても、専門的で非常に狭い分野の研究に向かっており、さらにその中でも細部や過程を追い求める努力がなされていました。

 私には、それが問題を抱えつつある地球の全体を捉(とら)える研究には思えませんでした。医学者として経験を積んできた私にとっては、細分化した科学で地球を捉えるより、生命体のシステム科学としての地球生理学の視点こそ必要だと直感できたのです。つまり地球という惑星は人と同じ生命体であり、現在どのような病気やケガを抱えているのか診断することから始めよう、と考えたわけですね。温暖化という熱を持ち、酸性雨を処理できずに消化不良をおこし、フロンでオゾン層にケガをしている。これは死に至る病なのか。それとも、心して養生すればやがて良くなる疾患なのか、正しく診断しなくてはならない。その全体の生理を見極める主治医こそ不可欠である、と。

 科学が細分化研究に夢中になっている30年前に、私のこのガイア理論は賛同を得ませんでした。ただ一人の地球生理学者が、何やらロマンチックな理論を唱えていると、学術界も科学メディアもまともに取り合うことをせず、さらに多くの反論も受けることになりました。しかし、私は自分の直感が正しいことを理解していたのです。

 ほとんどの場合、直感は真実です。ただ、それをボトムダウンして一般の理解を得るには、具体的な実証がいる。10年でも20年でも、その実証には時間がかかりますがあきらめることはない。一人から出発することです。

俯瞰(ふかん)と緻密(ちみつ)さ。両方の知を備える

 地球はひとつの生命体である、ひとつの環境の中にあると捉えると、自分が現在住んでいる場所でおきている汚染が、たとえば地球の反対側に影響をおよぼしているのだろうか。たとえば自国の農薬の蓄積が、数千キロも離れた国々に何かの影響をもたらすのだろうか。

 私には、それが確かな事実に思えました。それを証明する機器として発明したのが電子捕獲検出器(ECD)です。たとえば英国の私の裏庭で、一定量の農薬を使ったとしましょう。ほんの数日後には、電子捕獲検出器を用いて、日本のここで、我が家の農薬を検出することができるのです。これはまぎれもない事実であり、私たちはひとつの国やひとつの地域で区切られて暮らしているのではないことを明確に教えてくれます。

 宇宙開発技術の発達によって私たちはついに地球を俯瞰することができました。本当に美しい姿です。そしてこの地球が、実は人の目には見えないほどのバクテリアやその他の多くの生命によって生きていることも知らなければなりません。人間の文明社会を俯瞰しながら、それを守るための知恵を企業も、一人ひとりの生活者も考え抜く。人間はそれができる存在です。

日本の環境技術を伝えよ

その叡智(えいち)を生かし始めて欲しい

 日本に何度も来て、こうしてインタビューを受けると、必ず「私たちは環境問題に取り組むために、さらに何をすればいいのか」と質問されます。環境に負荷のかからない製品を作りたいという企業の思い。環境を守る生活をしたいという人々。それに対しての私の返答は、閉鎖的にならないで欲しいということです。日本人は勤勉で、もっともっとよい製品を作ろうと一丸となろうとします。しかし、現段階で、日本はもう十分によくやっている。環境に考慮する製品作りにおいては世界のトップレベルですから、その尖(とが)った先をさらに尖らせる方向に走るのではなく、広げる、伝えるという方向に進むことを考えて欲しい。環境技術や理論をこれから他の地域や国々に生かして欲しいと願います。

 技術知識は、後発の国々が今から一つずつ開発していくには難しい。需要は大きいのです。日本の技術ブランドを世界の市場に送り出して行く方法論を考える時ではないでしょうか。

 私の住んでいるイングランドに日本の企業が進出し、複数の製造工場を建てていますが、10年、20年とたっても、ただの一度も労働争議が起きていない。また、小型で高度にエネルギー変換率の高い自動車は、西欧諸国の信頼を勝ち得ています。

 英国も日本も、自分の力を声高に宣伝するのが得意な民族ではありませんから、いい製品を作れば分かってくれると信じる。その奥ゆかしさが私は好きですが、しかし、次は何をすればよいかと問われるとき、もっと技術と理論をアピールせよと言いたい。その叡智を世界に、と。

目先の反論を恐れるな

 科学者というのは、自分の新しい理論を発表すると、多くの反論と障害に出合います。ひとつの仮説を唱えると、それを検証する世界中の科学者が、さらにさまざまな理論を発表する。こうして何度も何度も検証され本当にその理論は正しいのか試され続けます。その間、20年、30年とかかり、間違った理論はだいたい排除されていきます。

 科学の世界ほどではないにしろ、どのような仕事においても反論は避けて通れないと私は思います。さまざまな人が反発し、受け入れることを拒みます。しかし、本質的に正しい仕事は必ず残っていきます。大切なのは、自分がどういう方向を見つめて進もうとしているかなのではないでしょうか。科学もビジネスも、そして政治も、何のためにという視点が抜け落ちれば、その場しのぎの弱さを持ちます。

 反論や非難は決して心地よいものではありませんが、それがあるからこそ、自分一人では考えが至らなかった視点を与えられる。検証することで自分の理論や信念の正しさを確信できる。生き残る仕事は、必ず反論を乗り越えます。自分の仕事はどうか、自分の生き方はどうか。忙しい毎日でも、踏みとどまって確かめて行ってください。

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ジェームズ・ラブロック ●1919年英国生まれ。生物物理学博士、医学博士。英国国立医学研究所、米国ハーバード大学医学部、米国イェ―ル大学医学部、英国オックスフォード大学医学部などで研究員及び教授を歴任。地球がひとつの生命体であるという「ガイア仮説」によって全世界の注目を集めたフリーランスの科学者。地球環境科学への貢献で大英帝国名誉勲位を受けたほか受賞歴多数。』

カーラチャクラ灌頂




ワシントンD.C.で2011年7月6日~16日の間、ダライ・ラマ法王のカーラチャクラ灌頂が予定されています。すごく行きたい!! けど、無理。


「カーラチャクラ灌頂が最も重要な宗教儀式のひとつである理由は、この儀式がすべてを包含していることにあります。つまり、私たち人間のからだ、こころ、さらには宇宙や天体など外部に存在するすべてが考慮にいれられているのです。カーラチャクラ灌頂には争いを縮小し、こころの平和を創造し、世界中に平和をもたらす力がある、と私たちは信じているのです」

2011年4月25日

ふしぎ




ここ首都ティンプーは標高2,400m以上あるので、ほんと、手を伸ばしてジャンプすれば、雲をつかめそうな気がします。昨日は大家さんが麺を作るので楽しみにしてて、と言われて待っていたら、きしめんでした。チベットの餃子モモを作る予定でしたが、時間がないので麺に変わりました。大家さん一家の娘と、ジミママ、テンジンママは裁縫の仕事に出ているので、大家さんはテンジンの面倒をみながら自分の仕事もしているので、前よりも忙しくしています。きしめんは汁につけるのではなく、味が付いていて、ネギとショウガ、そして玉ねぎのみじん切りを油で炒めたものが入っていて、軽く塩味がついていました。そーめんチャンプルーに似た味で美味しかったです。もちろんブータン人はこれにエマを入れます。ブータンの料理は日本人はあまり辛くしなければ、結構好きなんじゃないでしょうか。最近は毎晩、妹と弟、妹の彼氏が家にやってきます。レストランではないのよ、ここは。すごい勢いでお米が無くなっていきます。お父さんから貰ったお米なんですけどね。3人してテンちゃんをうばいあっていますよ。人前でクルクル回って歌うテンちゃんは見ていて楽しいのでしょうね。ほんと不思議に思うのはブータン人の顔。なんでこんなに日本人に似ているのでしょう。23人いれば中国人や韓国人はすぐに分かりますが、ブータン人は色黒の人、もしやサーファー?くらいで、絶対に日本人に間違えられると思います。ネパール系の人はもちろん分かりますけど…。ブータンと日本の言葉も共通するものがいくつかあったりします。弟は色もそんなに黒くないし、ジャニーズにいてもおかしくない感じです。人類の最初がアフリカで生まれ、色んな風に派生していったんだと思いますが、ブータンとチベットから中国大陸をふっとんで日本に行ったんでしょうかぁ。誰かこの謎、教えて下さい。


2011年4月22日

ご加護





昨日は風はそれほど強くなく、日差しは夏のようでした。日本よりはブータンの方がこの時期は暑いみたいです。うちの大家さんは何かとどこかへ連れて行ってくれます。先日はサブジを買いに行きがてら、話をしに来ていた尼さんを家まで送りに行きました。山の上の方に独りで住んで修行しており、お部屋を見せてくれました。たくさんのリンポチェやラマの写真が貼ってある小さな部屋にお経を読む時の座布団が置かれていました。キッチンもベッドルームも質素で小さく、全体として家というより、小屋のような感じでした。瞑想をするための家と言った感じで、久々に別世界に来たんだなぁという実感が湧きました。昨日は近くの尼寺にリンポチェが来ると言うことで、テンちゃんと私を連れていってもらいました。前にもお会いしたことのある方で、若くて奥さんも子どももいるリンポチェです。みんなキラを着ているのに私は普段着だったので、すぐに外人とわかったようで“こどもは何人?”、“テンちゃんは何歳?”など、お話してくれました。大家さんも他のみんなは頭を下げたままでした。リンポチェのご加護でしょうか、テンちゃんも私もその後、晩ご飯も食べず、お風呂も入らずに爆睡してしまいました。


ブータンは“幸せの国”と言われ、GNHで国をアピールしています。観光客はわずかな期間の滞在でそれを実感し、みなブータンやブータン人に魅了されますね。でも、仕事をしたり、ブータンに住んだりすると幸せばかりを感じる訳にはいきません。まっ、こんなこと当たり前のことですが…。様々な問題がありますが、問題の捉え方がブータン人と日本人ではまったく違っています。日本人なら不満、ブータン人は仕方がないと受け入れます。そこがこの国は幸せと言われる大きなポイントだなって感じます。度量です。ここで幸せに暮らすことはブータン人を見習って、度量を大きくする必要がありそうです。日本人は既に色んな事を知り、持っています。第四代国王は“情報量は欲望に比例する”とおっしゃったそうです。既に知っていることのレベルを下げることは非常に難しい・・・。仕方がないと受け入れられる器を私もすこしずつ持っていければな、と思います。


テンちゃんは自分で何でもつかんで食べるようになってきました。ブータンのおやつであるシップ(コーン)を切りなく食べているので虫歯にならないように気をつけたいのですが、最近、歯ブラシは舌でブロックされてしまい、なかなか難しいですね。大好きなザウ(日本のポン菓子みたいな)は、気づくと家中にまかれてしまって、後が大変です。でも、たくさん食べて元気でいて欲しい、それだけが私の願いです。

2011年4月21日

同級生






犬の遠吠えが激しく聞こえます。夜は怖くて出かけられませんね。テンちゃんはお友達にすっかり慣れた様子です。お隣の子は、ハ()セルと言います。発音が難しく、ハとロの間だそうですが、私は何度言っても違うようなのでハセルと呼んじゃいます。16ヶ月でテンちゃんより3ヶ月上です。よく遊びに来てくれ、2人で仲良くやっています。テンちゃんはブータンのおやつが気に入ったようです。コーンをあげたシップとお米をあげたザウというブータンのお茶菓子です。食べ物はさすがに日本と違いがありすぎて、困ることがありますね。日本では魚や豆腐などから、タンパク源が摂れましたが、こちらでは肉かチーズ類の乳製品が主です。肉屋は恐ろしいほどの塊で売っているのでコワゴワでしたが、最近、少し慣れてきました。といっても、チキンをカットするのはタシさんの役目です。ブータンで赤ちゃんの離乳食といえば、ご飯にバターを絡めて食べさせるそうです。テンちゃんはご飯が大好きなので、バターを入れなくても、こっちのお米もパクパク食べてくれます。野菜は種類も少なく、状態が全く違うので、茹でてもなかなか柔らかくならず、野菜の甘みはあまりありません。けど、今が旬のアスパラガスはあまくて美味しいです。お料理は色んな工夫が必要になりそうですね。

2011年4月18日

四十九日法要

ダライ・ラマ法王が東日本大震災の犠牲者のため、4月29日に護国寺にて、法要をしてくださるそうです。私も同じ時間に祈りたいと思います。

日常





昨日、おじいちゃんはトンサに帰っていきました。朝早く出て、着いたのは夜でした。テンちゃんの出生届をトンサで手続きしてくれます。日本は生れて2週間以内ですが、さすがブータン、いつでも大丈夫だそうですよ。テンちゃんは何でも真似をするようになりました。さっきはドライヤーを見つけて、頭に当てていました。私の化粧品の引出しを開け、パフでパフパフやっていたり、髪止めクリップを頭に当てたりしています。もちろんブラッシングは自分でやっています。子どもの成長は早くて、これほど楽しみなことはありませんね。今のところブータンの暮らしで困っていることはありませんが、日中の風の強さと日差しにはまいります。午後から風は強くなるようで、他の地域では屋根が飛ばされているそうです。日差しは空がすぐそこにあるので、ジリジリ感じます。テンちゃんは日焼け止めを塗り忘れた日があって、かなり黒くなっています。ブータンの赤ちゃんは生れながらにして色黒みたいです。どんどん黒くなるのかと思っていましたが、小麦色の赤ちゃんを多くみます。家からすぐ近くのメモリアル・チョルテンに行ったら、インドの観光客がテンちゃんの写真をバシャバシャ撮っていました。珍しいんでしょうかねぇ…。人が笑いかけると愛想よくニコニコする子なので、みんな喜んで写真を撮っていました。妹のリンジンは電話会社に勤めていて、日勤だけではなく夜勤もあるそうです。相変わらずのエマ狂いで、頭痛ばかりしているので、お父さんに怒られていましたよ。お父さんは近い将来、お母さんと首都ティンプーに引越してくるそうです。お母さんの具合はいつも悪いので、一番大きな病院があるのと、一番下の子どもが学校に通っているので、その心配もあって、リンジンと一緒に暮らすそうです。そうしたら、頻繁に会えるので、テンちゃんも大喜びですね。 (写真:私が以前、ブータンに滞在した時に赤ちゃんだったテンジン。大きくなって、超いたずらっ子です)

2011年4月15日

始まり



思っていたより早く、ブロードバンドは手に入りました。テンちゃんが居るのでネットをワイアレスにしようと機材を日本から買っていったものの、私もタシさんもコンピューターに疎いので分からずに困りましたが、さすがブータン。色んな人が助けてくれました。なんせマニュアルが日本語なのでお手上げ。と思っていましたが、最後に登場した政府でシステムのお仕事をしているタシさんのお友達が、私のつたない英語で画面を確認しながら、あっという間に繋げてくれました。東京の家では有線だったので、ブータンの方が便利かも・・・?我が家はブータンでもアーバンライフという感じで、困るのは湯船がないことくらい。お湯は出るし、何といっても大家さんが素晴らしいです。もちろん停電はありますけどね。私が前回のブータンライフでキシと言われるノミに刺され、テンちゃんもきっと危ないなと思って、彼らの住み家と思われる床の溝を埋めてくれないか、提案したところ、全ての部屋の溝をパテで埋めてくれました。フロワーの色もきれいに塗り替えてくれました。私達が早く住めるように、家具も前のように配置をし、お布団までひいて待っていてくれました。一家総出で3日間かけて、準備したそうです。前に貸していた人が独身男性だったので、驚くほど汚く使っていたそうで、シャワールームの床は何センチもゴミが溜まっていたそう。何かと“テンちゃん”と少し変テコなイントネーションで声をかけに来てくれます。これまた、さすがブータンと思うのは、大家さん一家や、アパートの他の住人や親戚など、毎日、代わる代わる来客あって、片付けはなかなか進みませんでしたが、あと一ヶ所でブータンライフを快適に始められそうです。タシさんのパパであるお爺ちゃんは、自分を“メメ”(おじいちゃん)と呼ばせようと、一生懸命、テンちゃんにメメ・メメ言っていますがテンちゃんはお構いなし。けど、テレビの怖いシーンでお爺ちゃんのあぐらの上にちょこんと座ってテレビを見ていました。妹のリンジンは相変わらず可愛く、でも、すっかりOLさんになって、大人になっていました。タシさんの一番下の弟が実家のトンサから出てきて、今は美術の勉強をしています。彼も赤ちゃん好きで、ひんぱんに遊びに来て、テンちゃんにちょっかい出しています。こちらの男性は、まるで若い女の子のように赤ちゃんを可愛がりますね。テンちゃんはエマ(唐辛子)入りのおっぱいのせいか、よくクルクルとまわっています。日本の家族は寂しがってはいますが、現状を考えるとブータンに戻って良かったのかも・・・と言ってくれているので少し安心しました。これからパパとテンちゃんと3人で、チョルテンに行ってお祈りしてこようと思います。 (写真:妹のリンジンと弟のツェワン)

2011年4月7日

売切れゴメン



無事、ブータンへ着きました。そして、涙の日々から解放されました。きっと私は悲しみから逃れたかったんだなぁと日本を離れてから気づきました。まったく弱い人間です。ドックエアーでは日本ではあり得ないと思いますが、首相と同じ列でしたよ。お疲れなのか、ずーっと寝ていたようです。テンちゃんはまったく泣きもせずに、ご機嫌な旅だったようです。環境の変化が少し心配でしたが、大家さん一家にものすごく可愛がられて良かったです。同じアパートに1歳上と3ヶ月上の男の子が居るなので、かなりエンジョイしちゃっています。1階に住んでいた女の子が居た一家が、離婚して居なくなっていたのに時の流れを感じちゃいました。今日まで部屋の片づけと掃除をしていたのでホテル暮らしでしたが、明日からはアパートに戻ります。ただ、ネットを早くつなげたいなぁと思っていたら、ブロードバンドが売り切れたそうで…。そんなことってあるんですね。これを機会にネットから遠のくのも良いかなぁと思ったりもしましたが、友達は心配しますね。このブログはほんと個人的なくだらない内容なので、知り合いだけに公開したらいいかなぁと検討中です。家族はそろそろ涙の生活が終わってくれているといいのですが…。それにしてもブータンは誰もが赤ちゃん好きで、ホテルスタッフが荷物を持ってくれると思いきや、テンちゃんを持ってくれて自分達で荷物を運んだのに笑えました。かわるがわる、男の人も抱っこしたがります。そして、みんな“重い”といいます。見た目はそんなに見えませんが、石のように重いです。テンちゃんの言葉はどうなるかなぁと思いましたが、ブータンの言葉ゾンカは、お友達と遊んでいれば自然と覚えられそうですね。今日は大家さんのところで、久々のブータン料理を堪能しました。といっても、エマ(唐辛子)をほとんど使わないでくれたので、ブータン人には物足りなかったかも・・・。


(写真:空港にて。首相たちは赤い絨毯を用意され、私たちがタラップを降りる時には、さっさと片付けられましたよ)

2011年4月1日

前に進む



ブータンに戻る準備がほぼ終わりました。VISAが間に合わなければバンコクで待つ計画でしたが、1日で取れました。ブータンもやれば出来るんですね。エマージェンシーということでやってくれたのかもしれません。震災後、私に友人の多くから“罪悪感”という言葉を耳にします。被災者はあんなにも苦しんでいるのに、普通に生活出来たり、支援したくても出来なかったり…。悲惨な映像と想像を絶する死者・行方不明者の数で、被災していない人も心的ストレスで苦しんでいますね。この罪悪感は優しさの現れなのだと思います。しかし、罪悪感は持つなかれ!前に進むことの妨げとなると思います。この巨大な地震は人間の責任はなく、自然現象です。原発のこととは全く別です。原発については多々反省すべきことがありますね。これを教訓に生き方をチェンジする必要があるのでしょう。放射能で苦しんでいる人々のためにも、変わらなければいけないと思います。私達が幸せになっていけないなんてことはない。幸せを追求しながも、苦しみにある人と共に、生活を豊かにすることばかりの幸せではなく、助け合い・励まし合いながら、人間が本来あるべき心の幸せを作っていければなって思います。そのことを祈りながら、可能ならば苦しみにある人のために動けるといいですね。私達は生かされている存在であり、普通にいきていることに感謝を忘れずにいたいです。


日曜は晩の出発します。日曜の日中は家に居ますので、良かったら遊びに来て下さい。羽田では国際ターミナルに910時までいます。どうもありがとう。