2011年4月26日

ジェームズ・ラブロック博士の言葉

人は地球の主人ではない

地球はタフで優しい生命体である

 環境の破壊について、危機感を募らせながらも、自動車を手放すことはできないし、チェーンソーで木を切って資源にすることを急にやめるわけにもいかない。牛を育てるより大豆の方がエネルギーを使わないからといって、ベジタリアンになれるわけでもありません。しかしこのままの生活では地球の荒廃を招くと、多くの人は意識するようになりました。 

 でも、地球をどのように管理し人はこれから何を選択していけばいいのかと考えた時、実は私たちは地球そのものについて、あまりにも無知であったのではないかと思うのです。地球は火星や金星などと大きく異なって、単なる岩石の塊のような存在ではなく、自らが生き続けようとする生命力を持っています。その決定的な違いは大気の成分ですが、40億年もの間、地球だけが二十数%の酸素を維持し続けているのです。

 この酸素量がわずかに変化しただけで地球上の生物は決定的な打撃を受けますが、長い地球上の歴史の中で、どのような気象変化や変動が起きても、酸素量は神業のようにバランスを保ち続けてきました。また、人類が地球上に現れてさまざまな侵害を続けてきた以上に、もっとすさまじい攻撃――たとえば隕石(いんせき)が落ちるとか、気温が下がって氷河期に入るなどの激しい変動にも十分に耐え生き延びてきたのです。

 おそらく、地球上のすべての生命が大きな自己調節システムのような働きに関与し、生命の流れを維持するように存在しているのです。ですから、いま地球環境が悪い方向に向かっているから、地球を何らかの方法でコントロールしようなどと即物的に「治療」したり、科学的な方法に奔走すべきではありません。常に地球の大きな生命の流れに沿って決断をすべきなのです。

災害に立ち向かえる文明の力を磨く

 地球の資源に限りがあり、しかし手に入れた生活を過去に押し戻すことはできない。そう葛藤(かっとう)する時代にあって大切なことは、どのようにして人類と文明を保存するかです。まず、向こう100年の間に人類を襲うであろう大きな災害や不幸に対して、どう予想し、いかに対応するか。どのようにして立ち直るか。それができるのは高い文明があるかどうかにかかっていると思います。

 私は、日本という国が築いてきた文明が、世界に対して規範になれる可能性を感じています。海に囲まれ、土地が狭くさまざまな制約がある中で、高い文明を築き、経済的に成功し、人々の暮らしは豊かである。資源がなくても1億人を超える人々が飢えることなく、生命を全うしていく。その知恵を伝える使命が、日本の仕事のひとつでしょう。

 たとえばIT技術の発展への寄与は間違いなく地球環境への負荷を減らします。また、日本の伝統工芸や製品作りの技のように、ひとつの品を大切に愛し、息長く生活の中で使い続けることの合理性や、すぐれた知恵は確実にエネルギーの消費を減らします。私は、生物物理学者として地球や人類生命への負荷を理論的に考える時、人間の知恵は、必死でエネルギーの効率的な使いこなしを判断するのではないかと予想しています。

 私たちの暮らしに欠くことのできないものは数多くあります。それを放棄したり、あきらめたり、感情的に抑えこむのではなく、替えられる方法を探し求めること。蓄えてきた文明の中から発想して、新たな100年の可能性を人類に与える仕事をあなたの立場で考えるべきではないでしょうか。

都市を離れて、感じよ、考えよ

大人は、子と自然を巡り合わせよ


 たった今この世に生を受けた子供も、20年たてば成人します。その子供が、もし地球や自然、他の生命の営みについて、それが大切なものであると実感して成長したら、これはすばらしい方向をめざして歩いていくでしょう。 

 私も自然の中で育ちました。森の木も水も、動物も昆虫も生物として人間の仲間であることを体で分かるには、子供時代の経験が非常に大切です。都会にいて机上の学習をする時間を削り、子供を森や川や海へ連れていく努力をいとわないで欲しい。自分はナマの現実の世界の住人で、その中の一部であると感じられる体験が、必ず子供たちの生き方に反映され、環境へ取り組む思想に変化が現れます。私の父はいつも私を外へ連れ出し、4歳の時には、自然界を知るための道具は自分で作ればいいと、工具を与えてくれました。子供の心は自然界とつながっています。自分の生命が躍動するのを生き生きと感じる能力が備わっています。私は多くの調査機器を自分の手で作り、国際的な特許も数多く取りましたが、すべての原点は、大人である父の自然への畏怖(いふ)や愛情であったと思います。あなたがするべき大切な仕事のひとつはその実践です。環境への配慮ができる成人を育て、人間が地球を支配したり、コントロールしたりするのではないと体で分かる存在を送り出してください。

 人間が生命体として自然の一部であることを知れば、子供は直感で、していいことと、してはいけないことを判断していきます。現在の大人たちが、今日明日に何ができるかと日常を右往左往することより、子供を育てる仕事を分かって欲しい。バトンを託しなさい。

産業は悪という時代錯誤に陥るな

 かつて私たちは、フロンという物質を大量に大気中に排出し、オゾン層まで破壊する所業を行いました。自動車のクーラーや冷蔵庫という文明の快適さと引き換えに。これからは、排出しない技術開発と同時に、すでに大気中にあるフロンの処理技術開発が重要なことは明らかです。日本をはじめ各国が企業努力を続けている点です。 

 ただ、こういう状況の中で、だから産業は環境破壊の最たる存在だと主張する偏狭な環境主義者に、私はくみしません。彼らは言います。産業とは救いようもなく悪であり、利潤と権力を追求するあまり、有害な汚染を撒(ま)き散らしている。止めなければ、と。しかし冷静に現実を見るべきでしょう。工業生産を打ち切り、田園生活や昔の暮らしに回帰するべきだという主張は単なるおとぎばなしに過ぎないのです。

 もし産業文明を放棄すれば、恐らく地球上に生きる人類のごく一部しか生き残れないのが現実です。また、今日のあなたの生活から産業製品を無くして十分に暮らしていけますか。60億人を超える人間が、これからも共に生きぬくことを考えなければならないのです。

 産業文明は人類の糧です。しかも自己改革を続け、汚染を出さない低消費構造の謙虚な文明の必要に目覚めています。感情的にならず、昔はずっとよかったなどと懐古的にならず、そしてすぐに何とかしようなどと短絡的にならないで欲しい。しかし、向かう方向を間違えてはならない。日本はその役割を担っている一国です。

直感こそ、真実を捉える

私たちは、細部に隷属してはならない


 私が最初に、「地球は生命体である」とするガイアの考え方を発表したのは1972年です。その当時の科学の世界は、微生物学にしても、生物地球科学にしても、専門的で非常に狭い分野の研究に向かっており、さらにその中でも細部や過程を追い求める努力がなされていました。

 私には、それが問題を抱えつつある地球の全体を捉(とら)える研究には思えませんでした。医学者として経験を積んできた私にとっては、細分化した科学で地球を捉えるより、生命体のシステム科学としての地球生理学の視点こそ必要だと直感できたのです。つまり地球という惑星は人と同じ生命体であり、現在どのような病気やケガを抱えているのか診断することから始めよう、と考えたわけですね。温暖化という熱を持ち、酸性雨を処理できずに消化不良をおこし、フロンでオゾン層にケガをしている。これは死に至る病なのか。それとも、心して養生すればやがて良くなる疾患なのか、正しく診断しなくてはならない。その全体の生理を見極める主治医こそ不可欠である、と。

 科学が細分化研究に夢中になっている30年前に、私のこのガイア理論は賛同を得ませんでした。ただ一人の地球生理学者が、何やらロマンチックな理論を唱えていると、学術界も科学メディアもまともに取り合うことをせず、さらに多くの反論も受けることになりました。しかし、私は自分の直感が正しいことを理解していたのです。

 ほとんどの場合、直感は真実です。ただ、それをボトムダウンして一般の理解を得るには、具体的な実証がいる。10年でも20年でも、その実証には時間がかかりますがあきらめることはない。一人から出発することです。

俯瞰(ふかん)と緻密(ちみつ)さ。両方の知を備える

 地球はひとつの生命体である、ひとつの環境の中にあると捉えると、自分が現在住んでいる場所でおきている汚染が、たとえば地球の反対側に影響をおよぼしているのだろうか。たとえば自国の農薬の蓄積が、数千キロも離れた国々に何かの影響をもたらすのだろうか。

 私には、それが確かな事実に思えました。それを証明する機器として発明したのが電子捕獲検出器(ECD)です。たとえば英国の私の裏庭で、一定量の農薬を使ったとしましょう。ほんの数日後には、電子捕獲検出器を用いて、日本のここで、我が家の農薬を検出することができるのです。これはまぎれもない事実であり、私たちはひとつの国やひとつの地域で区切られて暮らしているのではないことを明確に教えてくれます。

 宇宙開発技術の発達によって私たちはついに地球を俯瞰することができました。本当に美しい姿です。そしてこの地球が、実は人の目には見えないほどのバクテリアやその他の多くの生命によって生きていることも知らなければなりません。人間の文明社会を俯瞰しながら、それを守るための知恵を企業も、一人ひとりの生活者も考え抜く。人間はそれができる存在です。

日本の環境技術を伝えよ

その叡智(えいち)を生かし始めて欲しい

 日本に何度も来て、こうしてインタビューを受けると、必ず「私たちは環境問題に取り組むために、さらに何をすればいいのか」と質問されます。環境に負荷のかからない製品を作りたいという企業の思い。環境を守る生活をしたいという人々。それに対しての私の返答は、閉鎖的にならないで欲しいということです。日本人は勤勉で、もっともっとよい製品を作ろうと一丸となろうとします。しかし、現段階で、日本はもう十分によくやっている。環境に考慮する製品作りにおいては世界のトップレベルですから、その尖(とが)った先をさらに尖らせる方向に走るのではなく、広げる、伝えるという方向に進むことを考えて欲しい。環境技術や理論をこれから他の地域や国々に生かして欲しいと願います。

 技術知識は、後発の国々が今から一つずつ開発していくには難しい。需要は大きいのです。日本の技術ブランドを世界の市場に送り出して行く方法論を考える時ではないでしょうか。

 私の住んでいるイングランドに日本の企業が進出し、複数の製造工場を建てていますが、10年、20年とたっても、ただの一度も労働争議が起きていない。また、小型で高度にエネルギー変換率の高い自動車は、西欧諸国の信頼を勝ち得ています。

 英国も日本も、自分の力を声高に宣伝するのが得意な民族ではありませんから、いい製品を作れば分かってくれると信じる。その奥ゆかしさが私は好きですが、しかし、次は何をすればよいかと問われるとき、もっと技術と理論をアピールせよと言いたい。その叡智を世界に、と。

目先の反論を恐れるな

 科学者というのは、自分の新しい理論を発表すると、多くの反論と障害に出合います。ひとつの仮説を唱えると、それを検証する世界中の科学者が、さらにさまざまな理論を発表する。こうして何度も何度も検証され本当にその理論は正しいのか試され続けます。その間、20年、30年とかかり、間違った理論はだいたい排除されていきます。

 科学の世界ほどではないにしろ、どのような仕事においても反論は避けて通れないと私は思います。さまざまな人が反発し、受け入れることを拒みます。しかし、本質的に正しい仕事は必ず残っていきます。大切なのは、自分がどういう方向を見つめて進もうとしているかなのではないでしょうか。科学もビジネスも、そして政治も、何のためにという視点が抜け落ちれば、その場しのぎの弱さを持ちます。

 反論や非難は決して心地よいものではありませんが、それがあるからこそ、自分一人では考えが至らなかった視点を与えられる。検証することで自分の理論や信念の正しさを確信できる。生き残る仕事は、必ず反論を乗り越えます。自分の仕事はどうか、自分の生き方はどうか。忙しい毎日でも、踏みとどまって確かめて行ってください。

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ジェームズ・ラブロック ●1919年英国生まれ。生物物理学博士、医学博士。英国国立医学研究所、米国ハーバード大学医学部、米国イェ―ル大学医学部、英国オックスフォード大学医学部などで研究員及び教授を歴任。地球がひとつの生命体であるという「ガイア仮説」によって全世界の注目を集めたフリーランスの科学者。地球環境科学への貢献で大英帝国名誉勲位を受けたほか受賞歴多数。』

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