2011年5月11日

おもしろ~い



ブータンの国営放送を見ると、啓発というか、そんなこと「当たり前じゃん」的なことを放送しています。例えば、事故が起きた場合の救急車を呼ぶ方法とか、親のアルコールで子どもが学校に行けないのはダメだ、とか、そこらにゴミは捨ててはいけないとか。ブータンの人達は日本でいうところの常識をまだ知らないんですよねぇ。昨日、用があって銀行に行きました。えらい混雑ぶりであんぐりしながら壁に目をやると、掲示板のところにIDカードのようなモノが…。近づくと、まさに本物のIDがざっと20枚くらい。落し物でした。これがなくって困っている人も居ると思いますが、連絡とかしないんですね。もしかしたら連絡の取りようもないのかも。ブータンは日本みたいな何町目、何番地みたいな住所がありません。日本だったら悪用されるから…とか、重要なモノは落とさないように用心しますし、落としても、何かしら連絡がありそうですよね。だって、IDですよ。日本にはないけど免許証やパスポートみたいに、自分が誰か証明できるものって、かなり大切じゃないですかぁ…。ブータンの場合、悪用しようなんて考えもしないし、実際、使い用がないのでしょう。まぁ、お国違えば色んなことを考えさせられます。


最近はちょっとしたきっかけがあって、ブータンのGNH(国民総幸福量)について考えるようになりました。ブータンってGNHがあって「幸せの国」って多くの方が思われている気がしますが、GNHがあってもなくても、彼らは穏やかに、こころ豊かに居たと思います。幸せでない部分があるからこそ、ブータンという国が憲法にまでGNHを入れて、目標というか指針というかにして、目指すのであって、ブータン人が皆な幸せって訳でもないかなぁと感じます。ただ、彼らは「自分が幸せか」なんて、少し前まで考えてなくって、ただ仏教の教えに従って生きてきたから、執着を持たず、施しをして、情報量も少なかったから欲望も少なく、というか、どんなことしようがお金が入る訳ではないので、強い物欲を持ちようもなく、なので家族や親戚、友人との語らいを大いに楽しみ、深い欲望がないので焦りもなく、計画性もあまりなく、“いま”を生きているんだなぁと、感じます。日本人は頭が良すぎて、これって生きるのには、返って面倒なことが多いのかなぁ。無邪気に、自分の気持ちに純粋にいるブータン人は、いいなって感じました。(まとまりのない文だけど、これでいいのだ。)

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