2008年10月27日

与えられたものは大切に

私は整理整頓の達人です。これは小さい頃からパパさんに、こっぴどく教育を受けた影響です。お部屋を片づける時にいつも考えてしまうのが“いただき物”ですね。私の場合、きっとずっと使わないだろう・・・とか、タイプでないなと思った物は、いさぎよく人に譲っちゃたり、バザーに出したりしちゃいます。部屋のどこかで日の目を見ずにしまい込まれるより、必要な人の所で大切にされた方が幸せだと思っています。もちろん頂いた人や物は忘れないし、お返しをする時は好みとか、欲しがっていた物とか、結構考えます。あげて満足するのではなく、相手をどう満足させられるかが勝負所です。自分の気に入った物に囲まれていたいと思うし、その方が快適で幸せですから。与えられた中で、最も大切にしたいのは“からだ”ですね。自分の意志で生まれた訳ではなので、与えられたものだと思います。さすが“Made in 神様”だけあって、うまく出来ていて、おろそかにしたり方向が違っていたりすると、サインを送ってくれます。ただ、そのサインに気づくかが、生きる上でのポイントのようですよ。私もいま、手が痛くてコーヒーカップさえ持つのに響きます。このサインをちゃんと受け取り、大切にしたいと思います。ストレスなどで私の小さな脳みそをシェアされるのは嫌なので、それに打ち勝つ必殺技は“妄想”に限りますね。孟宗竹のようにグングンと妄想して、“楽しい”が締める脳の割合を拡げるようにしています。私は電車の中で笑いがこらえられず、よく危ない人になっていますよ。高校生時代のあだ名“あぶ”はまだ健在ですね。(写真はMt. Jomolhari・・・クリミーでおいしそう)

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