2011年7月29日
放射能の健康への影響について
児玉龍彦教授発言 7月27日
http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo
私は東京大学アイソトープ総合センター長の児玉です。
3月15日に、大変に驚愕しました。私ども東京大学には27箇所の
アイソトープセンターがあり、放射線の防護とその除染などの責任
を負っております。
私自身は内科の医者でして、東大病院の放射線の除染などに数十
年関わっております。まず3月15日の午前9時ごろ、東海村で5マイ
クロシーベルトという線量を経験(観測)しまして、それを文科省
に第10条通報ということで直ちに通報いたしました。
その後東京で0.5マイクロシーベルトを超える線量を検出しま
した。これは一過性に下がりまして、そのあと3月21日に東京で雨
が降り0.2マイクロシーベルト等の線量が降下し、これが今日ま
での高い線量の原因になっていると思っております。このときに
枝野官房長官が、さしあたり健康にあまり問題がないということを
おっしゃいましたが、私はじっさいにこのときにこれは大変なこと
になると思いました。なぜなら現行の放射線の障害防止法というの
は、高い線量の放射線が少しあることを前提にしています。このと
きは総量はあまり問題ではなくて、個々の濃度が問題になります。
ところが今回の福島原発の事故というのは、100キロ圏で5マイクロ
シーベルト、200キロ圏で0.5マイクロシーベルト、さらにそれを越
えて、足柄から静岡のお茶にまで汚染が及んでいることは、今日、
すべてのみなさんがご存じの通りであります。
われわれが放射線障害をみるときには総量を見ます。それでは政府
と東京電力はいったい今回の福島原発事故の総量がどれぐらいであ
るかはっきりとした報告はまったくしていません。
そこで私どもはアイソトープセンターの知識をもとに計算してみま
すと、まず熱量からの計算では広島原爆の29.6個分に相当するもの
が露出しております。ウラン換算では20個分のものが露出していま
す。
さらにおそるべきことにはこれまでの知見で、原爆による放射能の
残存量と、原発から放出されたものの残存量は1年経って、原爆が
1000分の1程度に低下するのに対して、原発からの放射線汚染物は
10分の1程度にしかならない。
つまり今回の福島原発の問題はチェルノブイリ事故と同様、原爆数
十個分に相当する量と、原爆汚染よりもずっと大量の残存物を放出
したということが、まず考える前提になります。
そうしますと、われわれはシステム生物学というシステム論的にも
のをみるやり方でやっているのですが、総量が少ない場合には、あ
る人にかかる濃度だけを見ればいいです。しかしながら総量が非常
に膨大にありますと、これは粒子の問題です。
粒子の拡散というのは、非線形という科学になりまして、われわれ
の流体力学の計算ではもっとも難しいことになりますが、核燃料と
いうものは、砂粒のようなものが、合成樹脂のようなものの中に埋
め込まれております。
これがメルトダウンして放出されるとなると、細かい粒子がたくさ
ん放出されるようになります。そうしたものが出てまいりますと、
どういうことがおこるかというのが今回の稲藁の問題です。例えば
岩手の藤原町では、稲藁5万7千ベクレルプロキログラム、宮城県の
大崎1万7千ベクレルプロキログラム、南相馬市10万6千プロキログラ
ム、白河市9万7千プロキログラム、岩手6万4千プロキログラムと
いうことで、この数値はけして同心円上にはいかない。どこでどう
落ちているかということは、その時の天候、また例えばその物質が
水を吸い上げたかどうか、にかかります。
今回の場合も、私は南相馬に毎週行っています。東大のアイソトー
プセンターは現在までに7回の除染を行っていますが、南相馬に最初
にいったときには1台のNAIカウンターしかありません。農林省が
通達を出した3月19日には、食料も水もガソリンもつきようとして、
南相馬市長が痛切な訴えをWEBに流したのは広く知られていると
ころであります。
そのような中で通達1枚を出しても誰も見ることができないし、誰
も知ることができません。稲藁がそのような危険な状態にあるとい
うことは、まったく農家は認識されていない。農家は資料を外国か
ら買って、何十万という負担を負って、さらに牛にやる水は実際に
自分たちが飲む地下水にその日から代えています。
そうするとわれわれが何をやらなければいけないのかというと、ま
ず汚染地で徹底的な測定ができるように保障しなければいけません。
われわれが5月下旬に行ったときに1台しか南相馬になかったという
けれど、実際には米軍から20台の個人線量計が来ていました。しか
しその英文の解説書を市役所の教育委員会で分からなくて、われわ
れが行って、教えてあげて実際に使いだしてはじめて20個での測定
ができるようになった。それが現地の状況です。
それから先程から食品検査と言われていますが、ゲルマニウムカウ
ンターというのではなしに、今日ではもっとイメージングベースの
測定器が、はるかにたくさん半導体で開発されています。なぜ政府
はそれを全面的に応用してやろうとして、全国に作るためにお金を
使わないのか。3カ月経ってそのようなことが全く行われていないこ
とに私は満身の怒りを表明します。
第二番目です。私の専門は、小渕総理のときから内閣の抗体薬品の
責任者でして今日では最先端研究支援ということで、30億円をかけ
て、抗体医薬品にアイソトープをつけて癌の治療をやる、すなわち
人間の身体の中にアイソトープを打ち込むのが私の仕事ですから、
内部被曝問題に関して、一番必死に研究しております。
そこで内部被曝がどのように起きるかということを説明させていた
だきます。内部被曝の一番大きな問題は癌です。癌がなぜ起きるか
というと、DNAの切断を行います。ただしご存知のように、
DNAというのは二重らせんですから、二重のときは非常に安定的
です。
それが細胞分裂するときは、二重らせんが1本になって2倍になり、
4本になります。この過程のところがもの凄く危険です。そのために
妊婦の胎児、それから幼い子ども、成長期の増殖の盛んな細胞に対
しては、放射線障害は非常な危険性を持ちます。
さらに大人においても、増殖の盛んな細胞、例えば放射性物質を与
えると、髪の毛に影響したり、貧血になったり、それから腸管上皮
に影響しますが、これらはいずれも増殖の盛んな細胞でして、そう
いうところが放射線障害のイロハになります。
それで私たちが内部に与えた場合のことで知っている事例を挙げま
す。これは実際には一つの遺伝子の変異では癌はおこりません。
最初の放射線のヒットが起こったあとにもう一個の別の要因で、癌
への変異が起こるということ、これはドライバーミューテーション
とか、パッセンジャーミューテーションとか、細かいことになりま
すが、それは参考の文献をつけてありますので、後で、チェルノ
ブイリの場合や、セシウムの場合を挙げていますので、それを見て
いただきますが、まず一番有名なのはα線です。
プルトニウムを飲んでも大丈夫という東大教授がいると聞いて、
私はびっくりしましたが、α線は最も危険な物質であります。それ
はトロトラスト肝障害というところで、私ども肝臓医は、すごくよ
く知っております。
要するに内部被曝というのは、さきほどから何ミリシーベルトと
いう形で言われていますが、そういうのは全く意味がありません。
I131(ヨウ素131)は甲状腺に集まります。トロトラストは
肝臓に集まります。セシウムは尿管上皮、膀胱に集まります。
これらの体内の集積点をみなければ全身をいくらホールボディ
スキャンしても、まったく意味がありません。
トロトラストの場合、これは造影剤でして、1890年からドイツで用
いられ、1930年頃から日本でも用いられましたが、その後、20から
30年経つと肝臓がんが25%から30%起こるということが分かってま
いりました。最初のが出て来るまで20年というのが何故かと言うと、
トロトラストはα線核種なのですが、α線は近隣の細胞を障害しま
す。そのときに一番やられるのは、P53という遺伝子です。
われわれは今、ゲノム科学ということで人の遺伝子の配列を知って
いますが、一人の人間と別の人間はだいたい三百万箇所違います。
ですから人間を同じとして扱うような処理は今日ではまったく意味
がありません。いわゆるパーソナライズドメディスンと言われるよ
うなやり方で、放射線の内部障害を見るときにも、どの遺伝子がや
られて、どのような変化が起こっているかということをみることが、
原則的な考え方として大事です。
トロトラストの場合は、第一の段階でP53の遺伝子がやられて、それ
に続く第二、第三の変異が起こるのが20年から30年かかり、そこで
肝臓癌や白血病が起こってくることが証明されています。
次にヨウ素131、ご存知のように甲状腺に集まりますが、成長期の
集積がもっとも特徴的であり、小児に起こります。しかしながら1991
年に最初、ウクライナの学者が甲状腺癌が多発しているというときに、
日本やアメリカの学者は、ネイチャーに、これは因果関係が分から
ないということを投稿しております。なぜかというと1986年以前の
データがないから統計学的に有意だということが言えないということ
です。
しかし統計学的に有意だということが分かったのは、20年後です。
20年後に何が分かったかというと、86年から起こったピークが消えた
ために、過去のデータがなくても因果関係があるということがエビ
デンスになった。ですから疫学的な証明というのは非常に難しくて、
全部の症例が終わるまでだいたい証明できないです。
ですから今、われわれに求められている子どもを守るという観点から
はまったく違った方法が求められます。そこで今、行われているのは
国立のバイオアッセ―研究センターという化学物質の効果を見る、
福島昭治先生という方がチェルノブイリの尿路系に集まるものを検討
されていまして、福島先生たちが、ウクライナの医師と相談して500
例以上のある症例を集めています。
前立腺肥大のときに手術をしますと膀胱もとれてきます。これを見まし
て検索したところ、高濃度の汚染地区、尿中に6ベクレルパーリットル
と微量ですが、その地域ではP53の変異が非常に増えていて、しかも
増殖性の前癌状態、われわれからみますと、P38というMAPキナーゼと、
NFカッパーBというシグナルが活性化されているのですが、それに
よる増殖性の膀胱炎というのが必発性でありまして、かなりの率で
上皮内の癌ができているということが、報告されています。
それでこの量に愕然といたしましたのは、福島の母親の母乳から2から
13ベクレル、7名から検出されているというがすでに報告されていること
であります。われわれアイソトープ総合センターでは、現在まで毎週
だいたい4人ぐらいの所員を派遣しまして、南相馬市の除染に協力して
おります。
南相馬でも起こっていることはまったくそうでして、20キロ、30キロ
という分け方はぜんぜん意味が無くて、幼稚園ごとに測っていかないと
全然ダメです。それで現在、20キロから30キロ圏にバスをたてて、
1700人の子どもが行っていますが、実際には南相馬で中心地区は海側で、
学校の7割は比較的線量は低いです。
ところが30キロ以遠の飯館村に近い方の学校にスクールバスで毎日100
万円かけて、子どもが強制的に移動させられています。このような事態
は一刻も早くやめさせてください。今、一番その障害になっているのは、
強制避難でないと補償しないということ。参議院のこの前の委員会で
当時の東電の清水社長と海江田経済産業大臣がそのような答弁を行って
いますが、これは分けて下さい。補償問題と線引の問題と、子どもの
問題は、ただちに分けて下さい。子どもを守るために全力を尽くすこと
をぜひお願いします。
それからもう一つは現地でやっていて思いますが、緊急避難的除染と
恒久的除染をはっきりわけていただきたい。緊急避難的除染をわれわれ
もかなりやっております。例えば図表にでています滑り台の下、ここは
小さい子どもが手をつくところですが、滑り台から雨水が落ちて来ると
毎回ここに濃縮します。右側と左側にずれがあって、片側に集まって
いますと、平均線量1マイクロのところですと、10マイクロの線量が
出てきます。こういうところの除染は緊急にどんどんやらなくては
なりません。
またコケが生えているような雨どいの下、これも実際に子どもが手を
ついたりしているところなのですが、そういうところは、高圧洗浄機を
持って行ってコケをはらうと2マイクロシーベルトが0.5マイクロ
シーベルトにまでなります。
だけれども、0.5マイクロシーベルト以下にするのは非常に難しいです。
それは建物すべて、樹木すべて、地域すべてが汚染されていますと、
一か所だけを洗っても全体を下げることは非常に難しいです。
ですから除染を本当にやるときに、一体どれぐらいの問題がかかり、
どれぐらいのコストがかかるかといことをイタイイタイ病の一例であげ
ますと、カドミウム汚染地域、だいたい3000ヘクタールなのですが、
そのうち1500ヘクタールまで現在、除染の国費が8000億円投入されて
います。もしこの1000倍ということになれば一体どれだけの国費が必要
になるのか。
ですから私は4つのことを緊急に提案したいと思います。
第一に国策として、食品、土壌、水を、測定していく。日本がもってい
る最新鋭のイメージングなどを用いた機器を使って、半導体のイメージ
ング化は簡単です。イメージング化して流れ作業にしていくという意味
での最新鋭の機器を投入して、抜本的に改善してください。これは今の
日本の科学技術でまったく可能です。
二番目。緊急に子どもの被曝を減少させるために、新しい法律を制定
してください。私の現在やっていることはすべて法律違反です。現在
の障害防止法では、核施設で扱える放射線量、核種などは決められて
います。東大の27のいろいろなセンターを動員して南相馬の支援を行っ
ていますが、多くの施設はセシウム使用権限など得ていません。
車で運搬するのも違反です。しかしお母さんや先生たちに高線量のも
のを渡してくるわけにはいきませんから、今の東大の除染では、すべ
てのものをドラム缶に詰めて東京にもって帰ってきています。受け入
れも法律違反、すべて法律違反です。このような状態を放置している
のは国会の責任であります。
全国の国立大学のアイソトープセンターには、ゲルマニウムをはじめ
最新鋭の機種を持っているところはたくさんあります。そういうとこ
ろが手足を縛られたままで、どうやって、国民の総力をあげて子ども
を守れるでしょうか。これは国会の完全なる怠慢であります。
第三番目、国策として土壌汚染を除染する技術に、民間の力を結集して
下さい。これは例えば東レとかクリタだとかさまざまな化学メーカー。
千代田テクノルとかアトックスというような放射線除去メーカー、竹中
工務店などは、放射線の除染に対してさまざまなノウハウを持っていま
す。こういうものを結集して、ただちに現地に除染研究センターを作っ
て、実際に何十兆円という国費をかかるのを、今のままだと利権がらみ
の公共事業になりかねないいう危惧を私は強くもっています。
国の財政事情を考えたら、そんな余裕は一瞬もありません。どうやって
本当に除染をやるか。七万人の人が自宅を離れて彷徨っているときに
国会は一体何をやっているのですか。
以上です。
(なお文中の障害防止法とは、「放射線同位元素等による放射線障害の
防止に関する法律」のことと思われます。)
2011年7月27日
日々
ベランダにクワガタがやって来た。私が驚いて写真を撮っていたら妹が「クワガタはトンサにはたくさんいて、牛のフンを食べているから汚い」と。タシさんは、思いっきり手を噛まれたことがあるそうです。彼もクワガタは汚いと言っていました。妹に日本ではクワガタは高いよ、と教えたら「食べるの?」と。これまた面白い反応ですね。ブータンでは日本では高い物が安く売っていたりします。もうそろそろシーズンの松茸は10本で300円くらいです。日本では万単位の冬虫夏草が500円くらいです。ブータン産のレモングラスのオイルが250円くらいで、それを日本では2000円くらいで売っていますね。ちなみに大麻は自生してあちこちに生えていますよ。ブータンには貴重な薬草がいっぱいあるそうなので乱獲せずに大切にする必要がありますね。
今日は大家さんから「リンポチェが来るよ」と電話をむらい、すぐに近くのラカンに行くと、50人くらいが待機していて、そこにリンポチェ登場。テンちゃんはぐっすり昼寝をしていたので、私だけ行き、カタの用意がなかったので、頭をさげブレッシングしていただきました。「前にも見たことがあるね。」と、いつも声をかけてくれます。気持ちがホッとします。若くてスラーっとして素敵なリンポチェですよ。
テンちゃんを面倒みて貰っている間に、ミシンでエプロンを3枚作りました。最初は糸の具合が分からなかったけど、使っているうちに慣れてきて、3枚目は上手に出来ました。ブータンの布は柄が素敵なので、縫いがヘタでもごまかしがききます。テンちゃんが寝ている部屋にミシンがあるので、昼寝の間は出来ないので、友達が送ってくれた「JIN~仁」を涙し見ています。内野聖陽の坂本龍馬はホントいいですね。
2011年7月25日
またまた反省
テンちゃんの発疹はほとんど消え、ご機嫌もよくなり、夜中も泣かなくなりました。テンちゃんの後に、私が熱を出し2日ほど寝込みましたが、今はスッキリしています。タシさんと妹リンジンは、誰かしら家に居られるように仕事時間を調整してくれました。家族が代わる代わるテンちゃんの面倒を見てくれ、ホント助かりました。熱でもうろうとして、何も食べられない状況でしたが、タシさんが今まで見たことがないようなご飯を作ってくれました。けど、一口しか食べられず、ただフラフラしたので、テンちゃん用に持って来ていたポカリスエットと、コーンフレイクだけで、とにかく寝まくりました。母乳を終わったので薬も飲め、それがよく効いたようで、2日でスーッと良くなりました。母乳をあげている時は、良いおっぱいを作るために野菜をたくさん摂るよう心掛け、身体に良くない物は一切、口にしないようにしていましたが、卒乳したら「何でもできる~!!」という気分で、ジャンクフードに炭酸飲料、カフェインなど、とにかく身体に悪いことを一気にしたら、こうなりました。不摂生はいけませんね。ここティンプは高度が高いので、身体は常に緊張状態だそうで、不摂生すると身体にすぐ影響が出ると、先日、教わったばかりでした。反省!身体に悪いのは、ほどほどにしておきます。
前にブータンに居た方から譲っていただいたミシンで、友達へのプレゼントを作り始めました。大家さんはハンドクラフトのプロなので、分からない場所は教えてくれます。ブータンは伝統的な布が豊富なので、手芸をするにはとても楽しいところです。ミシンを使ったテーラーの仕事がここでは多く、主に男性の仕事のようです。
2011年7月20日
成長
さて、テンちゃんは生まれて初めてのお熱で38.4度まで上がりました。いつも朝一番にタシさんの所に行って、テレビを着けてとせがみに行くのに、その日は来ないで座ってボーっとしていて、タシさんはすぐに「アレ」と思って様子をみていたら、身体が熱くてわかりました。いつも抱っこして寝なくてもぐずらないのに、その日はベッドに横にすると「ウェーン」と。なので、交代でおんぶして、ほぼ1日寝ていました。熱は解熱剤で下げると危険なのは知っていたので、お腹は温め、頭を冷やしていたら、1日で熱は下がりました。翌日の夜、ほぼ初めての「夜泣き」。私もタシさんも泣きやまないテンちゃんは初めてだったので、少しオロオロしましたが、大好きなテレビを夜中でしたが見せておんぶしていたら寝ていました。熱が下がった後、プツプツと肌に出始め、赤ちゃんのほとんどが経験する「突発性発疹」だと分かり、ひと安心。3日から一週間くらいは発疹があるそうですが、自然とひくので薬は要らないそうです。現代の医学でも分からないこともまだまだあるんですね。1週間くらいは不機嫌だそうで、放っておいても寝たテンちゃんも、今はおんぶして寝させてます。熱も発疹も軽くてよかったです。母乳の卒業に続き、大人への一歩ですね。
先日、映画を観に行きましたが、その音楽にハマっています。CDもすぐに売り切れる勢いで、きっと今年の音楽賞を取るでしょう。ブータンの音楽も映画もかなり面白いですよ。アイドルもいるし、ラップを歌う人もいます。そういえば、ブータンにもオカマちゃんがいました。
(写真:私の長靴を探してきて、必死に履こうとしてました)
2011年7月16日
忘れた?
家の中でテンちゃんからかくれんぼして、3日後の朝、さりげなく洗濯を干していたら、近くにテンちゃんが寄ってきて、お尻をポンポンと叩き、行ってしまいました。アレレ、もっと泣いたり、おっぱいせがんだりするんじゃないのぉ~。拍子抜けした感じで、すんなりと卒乳ができました。1週間経ちますが、今のところ泣いたりしていません。大家さんのところのテンジンは、もう泣いて泣いて「地獄のようだった」と。卒業には“かくれんぼ作戦”はいいかもしれませんね。でも、協力者が3人も居たので出来たことかも。これでテンちゃんを少し預け、お出かけも出来るかもしれません。妊娠してから、ずっと断っていたコーヒーを2年2ヶ月ぶりに飲み、涙がでそうな美味しさ。飲まないに越したこと薬だって飲めますよ。母乳って血液らしいので、やはりそれを作るのは大変なことなんだと思います。あれだけしんどかったのに、今は仕事がはかどり、脳もクリアです。いつも疲れて頭はもやもやしてましたが、別人のようなので、自分でもビックリしていますよ。
2011年7月10日
かくれんぼ作戦
2011年7月5日
家族
ブータン宗教界の最高権威であるジェ・ケンポ(大僧正)によるプジャが3日間あり、ラストの日曜は大勢が訪れました。テンちゃんも従兄弟と受けにいきました。1万人くらいは来ていたと思います。亡くなった人と生きている家族の名前を別々の紙に書き、プジャへの寄付(祈祷料)します。たぶん、3日間で相当な額が集まったでしょうね。祈祷はブレッシングといって1年間は守られるそうです。読経は長くて途中でテンちゃんや従兄弟達は帰り、私は大家さん一家と一緒にブレッシングを受けました。大家さんのところは、さすがに用意がよく、座るのに痛くない厚めのシートや、フルーツとスナックなどあって、とても助かりました。ブータンでは家族関係がすごく濃く感じます。こういった宗教的なイベントなどに家族が揃って行くし、週末は家族みんなでピクニックなどしています。ほぼ、毎日のように実家に電話もしていますね。うちは今、タシさんの妹と弟が今は一緒に住んでいるので家族5人でワイワイと結構楽しいです。テンちゃんの面倒をよく見てくれるので、最近はテンちゃんを任せて、長くはありませんが出かけられるようになりました。ソファを買おうと思っていて、あちこちタシさんと見に行っています。弟は短い夏休みがもうすぐ終わり、少し遠いですが、うちから学校に通うそうです。今週末はタシさんにテンちゃんを預け、妹と弟と映画に行く予定です。私は末っ子だったので、下の兄妹ができて嬉しいです。
(写真:ジェ・ケンポと国王の車は、ナンバーが「BHUTAN」。テンちゃんは従兄弟と楽しそうでした)
2011年7月2日
すんなりとは進みません
(写真:上・リンポチェのお嬢さんのバースデーパーティ、下・暴走族)
2011年6月29日
雨期
最近は旅行者の対応で時間が掛かるので、簡単にできるツイッターとフェイスブックが重宝しています。ブータンは本格的な雨期に入り、水道水には砂などが混じりだしました。道もブロックされ始め、弟のツェワンは夏休みを故郷のトンサに帰って、両親の手伝いをする予定でしたが、帰れずにいます。私は居てくれてかなり嬉しいんですけどね。今の時期は田植えや、ブータン人にとって命とも言えるエマ(唐辛子)を植える時期です。アパートのガーデンも大家さん一家が耕し、たくさんのエマの苗を植えています。水は農家を始め多くにとって重要ですね。昨日は朝からガーデンが騒がしいと思ったら、赤く可愛くなっているスモモを大家さん一家が収穫していました。カゴにいっぱい採れ、より赤い物を選びとってテンちゃんにとたくさんくれました。最近はいろんな人がいろんな果物を差し入れしてくれます。中には酸っぱい物もありますが、気持ちがとても嬉しいです。
ハエが多い季節になりベランダの洗濯物にハエがよってきます。洗剤はよっぽどの時以外は使わないのでニオイが残っているのかも・・・、と思い、ブータン産のレモングラスを少したらしてみたら、見事にハエはよってきません。ちなみに、うちは洗剤の代わりに洗濯ボールを使っていますよ。
先日、妹の彼の家にアジサイを貰いに行き、またまたおもてなししてもらい、そろそろ帰ろうかという時に、キラ(民族衣装)の行商が…。ピンとくるキラにはあまり出会ったことがなかったのですが、最後に見せてもらっらキラは、見てすぐ買いを決めました。でも一応、タシさんに電話して確認したところ、すぐには買わず、自分がクオリティーを見るから持って来いと1日待ってもらいました。タシさんに見せ、一応、大家さんにも確認してもらい良いキラだということで翌日お支払い。でも、タシさんは値切りまくり、今度また買うからと、結局3000ヌルタム(約6000円)ディスカントしてもらいました。プリンセスからのオーダーで作っているという人だけあり、全体的にセンス良いデザインだったので、別の機会に他を見せてもらうことにしました。
(写真:自転車を組み立ててもらいましたよ。)
2011年6月25日
近況
毎週金曜はお野菜市場に行く日で、大家さんの車で、アパートの人達と4人でいつも買い出しに行きます。今の旬はカリフラワーです。フルーツではスモモです。マーケットの2階はロコのショップなので、同じように新物が出てくるので、私でも旬が分かります。野菜などを買う時は必ずさわって確かめます。例えばインゲン豆を買う時、1本づつ硬さを調べて柔らかいモノだけを籠に乗せ、1㎏か、その半分を買います。日本円で50円しません。面白かったのはオクラを買う時、逆さまにして先を親指で押し、ポキッと折れれば買いで折れない物は買いません。トマトはブータン料理では煮込むので、硬いものを選んで買います。エマ(唐辛子)の見分け方は、まだ習得していないので、その内・・・。ドライの方が値段が高いです。お店の人は冗談ばっかり言うようなオジサンとか、結構、赤ちゃん連れの人も多くて、ショップキーパーを見るのも私は楽しみにしています。
さて、ブータンは来週に選挙があるので、それに合わせて故郷に戻る人が多いようです。郵送でも投票はできるそうですが、タシさんも帰りたいと言っていますが、仕事もあるので無理かもしれません。末の弟のテストが終わり、夏休みに入り、彼も今、うちに居候しています。テンちゃんの面倒をよくみてくれるので助かります。彼は美術の勉強をしていて日本でいうところの高校3年生です。日本語に興味があるということで、昨日から五十音を勉強しています。どんな進路に進むにしろ、日本語ができれば役に立つこともあるかもしれないので、若い力で頑張って欲しいですね。妹のリンジンもカワイイですが、彼もすごく可愛くて思わず、お小遣いあげちゃったりしています。SMAPの中居くんにキムタクをちりばめたような顔です。妹と一緒に街を歩いていると、みんなが振り返るくらい妹もカワイイのですが、弟も見ていて飽きません。短い夏休み、故郷に帰りたいようですが、選挙もあってバスのチケットが手に入りません。最近、テンちゃんのお得意は、ボディビル。ポーズをとって見せてくれます。ブータンの美味しい「シンベ」も覚えて、朝一番でおっぱい飲みながら、ほっペを人差し指でツンツンし、美味しいと伝えてくれます。おっぱいの卒業は母子共に体調を崩したので、来月に入って安定したらと思っています。来月でおっぱいバイバイだよ、と言うと、手を振っていますが、どうなるやら。
2011年6月18日
梅雨入り!?
昨日くらいから、どんよりなお天気が少し長くなってきました。いよいよ雨期に入った感じがします。先日は水が出ませんでしたが、大家さんは雨を大歓迎。アパートの水が出ないことにすごく責任を感じているようです。ブータンだから仕方がないんですけどね。こっちはインフラはまだまだ。「幸福の国」ですが、水が出ないくらで幸福を感じないところが日本人な私ですね。ブータン人は仕方がないと捉え、私なんかはどうにかできるんじゃない?なんて考えますが、この差が「幸福」かどうかを生みだすんだと思います。ブータン人は幸福と感じる度合いが日本人とはまったく違うから、幸せなのでしょうね。さて、先日妹の彼が長い休みを終え、インドの大学院へ戻って行きました。ずっと一緒に遊んでいたので、出発の時は涙が出そうになりました。彼もテンちゃんと別れるのがとても寂しかったようで、寝ているテンちゃんをずっと見ていました。一年後、卒業して戻ってきます。妹は彼氏の家族の家にやっかいになっていましたが、引越し先のアパートの完成が9月なので、それまでは我が家に住むことになりました。頻繁に兄妹ケンカをする2人なので少し心配ではありますが、テンちゃんの面倒を見てくれ、家事もたくさん手伝ってくれるので、大助かりです。彼女はタシセルという電話会社に勤務していて、夜勤なんかもあって仕事は大変ですが、まあまあなお給料をもらえるようで、末弟の学費も支払っています。妹は私が日本に戻っている間に、とても成長したなぁと感じます。彼氏がとても良い人で良い影響を受けているようです。付き合う人って重要だなぁと感じます。ところで、最近は日本人とブータン人のカップルが増えてきていますが、若干注意が必要です。ブータン男性は本当に優しいのですが、お金の面で問題があったり、ウソをつくことが悪いと思っていないこともあり、日本女性は被害に合いやすいように感じます。イタリア人のごとく、ガンガンに日本女性に声をかけ、日本女性もたくましくて優しいブータン人にほろっときちゃいますが、既に結婚して子供もいたりすることさえあります。前の国王は奥さんが4人いて重婚OKな国ですので、罪の意識はないのかもしれません。お付き合いをすすめていく上で、重婚とか嫌な場合は確認した方がいいかもしれませんね。
2011年6月16日
ダウン
ブータンの玉ねぎは紫色をしていて小さいです。日本の玉ねぎより目にしみるような気がします。なのでキッチンに水中メガネが用意してあり、玉ねぎカットに欠かせません。日本とブータンの野菜はサイズが違って、同じだなと感じたのはオクラぐらいです。ブータンに来たら、面白いのでサブジ・マーケットは必見ですよ。
さて、最近はやや忙しく、その上、一家で風邪をひいて大変な日々でした。それと、タシさんのお母さんの具合がよくなく、トンサから出てきて、首都ティンプの病院で胃カメラを飲みましたが、癌ではないと分かりひと安心。5日間ほどうちに泊まっていましたが、昨日、遠距離バスで帰りました。テンちゃんが最初に風邪をひき、私とタシさんが風邪をもらって、テンちゃんはさほどひどくありませんでしたが、夫婦2人してダウンだったので、おじいちゃん・おばあちゃんがテンちゃんの面倒をたくさん見てくれ助かりました。タシさんの方は急なお客様があってビザ申請が前日だったので、大丈夫か心配でしたがすんなり行き、お客様は目的を達成されたようで、準備の時間がないケースだったので大変でしたが、良かったです。妹リンジンの彼氏が、長い休みを終え、インドの大学院へ戻って行きました。本当に良い子でテンちゃんの面倒をどれほど見てくれたでしょう。やんちゃな妹と落ち着きのある彼氏で、1年後戻ってきたら、きっと結婚するでしょうね。楽しみです。昨晩はアパートの水が出なくなり、頭を洗うことができませんでした。ブータンではよくあることなので、今度は水をバケツに用意しておこうと思います。テンちゃんは小さなバケツの湯船で充分なので、お風呂に入れました。風邪をひいたり、お風呂に入れなかったり、こんなことで気分が落ちてホームシックかな、なんて思いましたが、髪の毛を洗えたらスッキリしちゃいました。
(写真:ジャガイモと唐辛子をたくさん育てているガーデン)
2011年6月5日
卒業
テンちゃん食事中、ひじきが口の上についてダリのようでした。ここのところ、ひっきりなしにテンちゃんがおっぱいを飲みたがるので、私はしんどくてヘトヘトです。もう1歳半になりますし、身体もだいぶ大きく丈夫なようなので、おっぱいを卒業することを決め、お友達のアドバイスにしたがって、対策を練っているところです。タシさんが日本語学校に行っているので、それが終わる今月中旬に決行。それまでに少しづつ減らしていかないと、おっぱいが大変になってしまうそうです。ちょうど自転車を組み立ててあげたいと思っていたので、それで夢中になってタシパパと、しばらくは遊んでもらおうと思っています。先日は弟でお坊さんのカルマが泊まりに来ました。テンちゃんルームでオモチャの音がえらくするなぁと思っていたら、カルマがオモチャにはまっていましたよ。昨日インドの僧院に帰りました。もうすぐ妹の彼がインドに行ってしまい、住まいが見つからないので、しばらく家に住むことになります。テンちゃんの面倒をよくみてくれるので助かりますね。
(写真:はずかしいのか顔を向けてくれなかった)
2011年5月31日
大バカモノです
ベランダのドアを開けているとハエが必ずっていうくらい入ってきます。虫取りあみは大活躍で、これが結構、楽しい!タシさんは必ずっていう程、ゲットします。大家さんもあみを借りにきたりしています。さて、最近はブータン人のようにフェイスブックにハマり、地所時代の知り合いと久々にコンタクト取ったりして楽しんでします。タシさんの仕事の手伝いとしてツイッターでブータンについてつぶやき始めたりしているので、忙しいですね。ツアー会社の方に問い合わせもあって、タシさんも初めてのことだから、友人の会社に色々と聞きに行ったり、日本人のお客さんなので、タシさんより私の方が大変かも。よかったら、ツイッター(@LoveBhutan) もみてくださいね。
2011年5月25日
Bhutan Retreat (ブータン リトリート)
先日、妹の彼の家に遊びに行った時、ハーゲンダッツのデコレーションケーキがあって、思わず“どこで手に入れたんですかぁ”と尋ねたら、4代目国王妃からプレゼントだと。やはり王族となるとバンコクから空輸でケーキをデリバリー出来ちゃうんですね。ブータンって知れば知るほど面白いし、矛盾や問題も抱えていますが、今後が楽しみな国です。
ここにいると色々な助けがあって、本当に助かります。タシさんが不在なので、テンちゃんを一人で見るのは大変ですが、大家さん家族がテンちゃんをよく連れて出して遊んでくれるので助かります。義妹のリンジンも彼氏を連れだて、仕事が遅番の時に来てくれ、家事を手伝ってくれます。水フィルターが汚れているからと、洗ってくれたり…。テンちゃんと私だけだと、洗濯さえ出来ませんので、来てもらえると、その間に家事ができます。
そんな合間にウェブサイトを作っていましたが、ようやく出来上がりました。初めてのサイト作りで、ブータンのノロノロなブロードバンドに疲れもしましたが、一応、形になったので、よろしければのぞいてみてね。タシさんが日本語でガイドをしたいという希望があって、日本の方を受け入れるツアー会社をつくりました。日本は旅行なんて状況ではないかもしれませんが、電気のない生活でも心豊かにいるブータン人に、感じていただけることがあるんじゃないかなぁと思っています。サイトを作りながら、ブータンの旅行って、ちょっと面倒だなぁとか、ブータン旅行は高いと思っていましたが、日本の旅行会社がパッケージツアーにすると高くつくんだなぁと、気づきました。旅に慣れた方であれば、個人手配で安くブータンを旅が出来ますので、周りに興味がある方がいましたら、紹介してくださいね。“ブータン リトリート”で検索するとヒットします。サイトは徐々に手直ししていきますので、分かりにくいとかあれば、教えて下さいね。
(写真:アパートのガーデン)
2011年5月23日
驚いた
国会が始まって入場のすごさや、祈祷だの、お茶のセレモニーなどあって、驚いて見ていたら、キングが照れながら結婚することを発表。国会の場だよ、ここは!ブータンは面白ろ過ぎます。ちょうどその朝、タシさんに“何でキングは結婚しないの、彼女いるんでしょ?”と聞いたら、“たくさんいるよ!”なんて2人で大笑いしていたので発表でビックリしました。お相手は20歳の学生さんだそうです。キングは31歳だから少し年が離れていますね。国民も国王が結婚しないことを心配していたそうで、それは次の国王のことが気になってだそう。国王は照れながらも未来のお妃を褒めまくっていたのが可愛かったです。結婚セレモニーの10月はきっと盛り上がるでしょう。さて、今日はタシさんは仕事でブムタンに行きましたが、兄妹が勢ぞろい。インドのお寺にいる僧侶の弟がブータンに戻ってきました。ひと月くらい居るそうです。弟は、2人存在しやや問題のあるカルマパのところで修行しています。どっちが本物か問題ですが、多分、本当ではない方です。弟は本当にあなた僧侶?って思うほど、フェイスブックで遊んでいますよ。なまぐさ坊主といえるのかも。それにしても僧侶って存在はスゴイことが分かりました。今日、妹リンジンの彼氏の家に遊びに行ったのですが、彼氏のお姉さんのご主人がリンポチェだそうで、えらくゴージャスなお家でした。リンポチェってお金持ちだそうですよ。台湾とかシンガポールの信者がたくさん寄付するそうで…。調度品や食器、インテリアなど、ブータンのデヴィ夫人の家って感じでした。奥様はと~ても優しくって、日曜はいつでも遊びに来て、と。月~土は病院で看護婦のお仕事をしているとのこと。それにしても、ブータンでシャンデリアは驚きでしたよね。
(写真:左から一番下の弟ツェワン、リンジンの彼氏、妹リンジン、弟の僧侶カルマ、弟の首相警備をするカルマ)
2011年5月20日
衝撃の朝
坂下にあるラカンで車のプジャをしていた時、行き止まりの一本道は大渋滞でした。ラカンの中に入りきれないほどの車。祈祷を受けていました。日本なら神社のお札くらいですが、車も人も同じように祈祷を受けるなんて面白いですね。どうぞ安全運転でお願いしますね。こっちは車のマナーは“ない”に等しいかも…。最近、朝、テンちゃんに衝撃的な起こされ方をします。モノが落ちてくることは何度かありましたが、鼻の中に指を突っ込んで起してくれます。しかも、小さな指はかなり奥まで。泣かないで一人で遊んで朝寝坊の私を待っててくれるので、良しとしましょう。先日はお友達とブータン旦那についてちょっと語り、ブータン人ってなんとなく共通してる性格みたいのがあるなぁと感じました。山の天気は変わりやすいと言いますが、ついさっきまでとても良いお天気だったのに、いきなり強風でブーフーウーの家なら飛んでいってしまいそうなこともあります。大家さんのところの甥っ子、テンジンは2歳でワンパクです。家にかってに入って来るのは全然いいのですが、せめてテンちゃんが寝ている時は、私を休ませて~!!ということで、カギを掛けるとドデカイ、ベルを何度も鳴らされるので、大家さんが電源を切ってくれました。ホッ。自分がワンパクなくせに、“テンちゃんタマシップ”テンちゃんはいたずらっ子と言っていますよ。お隣のハセルは家に来ると帰るのが嫌でママがお迎えに来ると部屋の隅っこに行って壁に向かって立ち、壁と同化し忍者作戦なのでしょう。
2011年5月14日
ブータンのある日
おとといはブータンの国を作ったシャブドゥンという人の命日だったので祭日でした。メモリアルチョルテンは渋滞並みに混んでいました。近くのラカンでも座るところが無いほどの人がお経を長いことあげていました。ブータン人は本当に信心深いですね。チョルテン前の開けたところでテンちゃんをお散歩させていたら、マウンテンバイクに乗った好青年が近くに来て、なんとなく見たことあるなって思っていたら、近くに居た同じくらいの年の人が、敬意を表していたのでプリンスと気づきました。その後も色んな人に声をかけていました。民族衣装を着て自転車に乗る姿って不思議な感じです。昨日は週一回のお買い物、サブジマーケットに大家さんに連れて行ってもらいました。アスパラガスのシーズンが終わってきました。私は2階のロコのショップで買うようにしていますが、1階のインドの物の方が若干安いです。大家さんは1階であちこち周り、エマ(唐辛子)を少しでも安く買おうと周っていました。エマを選ぶブータン人の目は真剣で、普段とのギャップに笑っちゃいます。今日はほぼ1日、ネットが繋がらず・・・。銀行もすべてダウン。ブータンではよくあることですね。
(写真:日本はクールビズですが、こちらは暑さは我慢するようですよ。それにしても、色がスゴイ。国王は黄色、首相はオレンジ。後ろはジャカランタ。)
2011年5月11日
おもしろ~い
ブータンの国営放送を見ると、啓発というか、そんなこと「当たり前じゃん」的なことを放送しています。例えば、事故が起きた場合の救急車を呼ぶ方法とか、親のアルコールで子どもが学校に行けないのはダメだ、とか、そこらにゴミは捨ててはいけないとか。ブータンの人達は日本でいうところの常識をまだ知らないんですよねぇ。昨日、用があって銀行に行きました。えらい混雑ぶりであんぐりしながら壁に目をやると、掲示板のところにIDカードのようなモノが…。近づくと、まさに本物のIDがざっと20枚くらい。落し物でした。これがなくって困っている人も居ると思いますが、連絡とかしないんですね。もしかしたら連絡の取りようもないのかも。ブータンは日本みたいな何町目、何番地みたいな住所がありません。日本だったら悪用されるから…とか、重要なモノは落とさないように用心しますし、落としても、何かしら連絡がありそうですよね。だって、IDですよ。日本にはないけど免許証やパスポートみたいに、自分が誰か証明できるものって、かなり大切じゃないですかぁ…。ブータンの場合、悪用しようなんて考えもしないし、実際、使い用がないのでしょう。まぁ、お国違えば色んなことを考えさせられます。
最近はちょっとしたきっかけがあって、ブータンのGNH(国民総幸福量)について考えるようになりました。ブータンってGNHがあって「幸せの国」って多くの方が思われている気がしますが、GNHがあってもなくても、彼らは穏やかに、こころ豊かに居たと思います。幸せでない部分があるからこそ、ブータンという国が憲法にまでGNHを入れて、目標というか指針というかにして、目指すのであって、ブータン人が皆な幸せって訳でもないかなぁと感じます。ただ、彼らは「自分が幸せか」なんて、少し前まで考えてなくって、ただ仏教の教えに従って生きてきたから、執着を持たず、施しをして、情報量も少なかったから欲望も少なく、というか、どんなことしようがお金が入る訳ではないので、強い物欲を持ちようもなく、なので家族や親戚、友人との語らいを大いに楽しみ、深い欲望がないので焦りもなく、計画性もあまりなく、“いま”を生きているんだなぁと、感じます。日本人は頭が良すぎて、これって生きるのには、返って面倒なことが多いのかなぁ。無邪気に、自分の気持ちに純粋にいるブータン人は、いいなって感じました。(まとまりのない文だけど、これでいいのだ。)
2011年5月9日
少し安堵
信頼回復の目的であろうと、浜岡原発が止まってよかったですね。はじめて政権が民主党でよかったと思えましたよ。もちろんエネルギーをたくさん使っておいて原発反対は都合が良すぎますが、浜岡は危険要素がいっぱい。調子も悪くて活断層の上にあって、東海地震があったら、東京は放射能の海です。ブータンに来る時、東京に家族がいるので、このことがずっと気になっていました。数年前に浜岡の危険性を知って吠えていましたが左な感じでシラ~っとされちゃいましたね。人間は危険な目に合わないと考えないんですね。東日本大地震は色んなメッセージがありますね。亡くなった命や今なお、苦しい生活をされている方々のためにも、これからの日本、これからの人生を考えないといけないなって感じます。エネルギーのない生活なんて、絶対に考えられないと思っている方は、ブータンに来るといいですよ~。電気がなくても豊かに暮らす彼らを見れば、あれっ、って感じることでしょう。さて、バカな母親です。さっきもまたトイレロックされちゃいました。もうひとつのトイレはちょっとキーが固めだから安心なんて思っていたら、速効…。携帯を持って入って良かったです。帰ってきたタシさんに話したら、テンちゃんがロックしているのを見たが、ものすごくシリアスな顔で、その後、スーッとそこから立ち去るそう…。ちょっと怖い赤ちゃんです。いま、雨上がりで首都ティンプーですが、空は天国のような美しさです。
2011年5月6日
人生を観る
タシさんがツアーで、よくよく考えたら、テンちゃんと2人だけの生活は今回がほぼ初めて。日本では、ほとんど実家に居たので、手伝いの手があって、今回初めて背中にテンを背負いながら家事をして、知らぬ間にクークー寝てました。今更ながら、子育てって大変ですね。タシさんにはツアーが終わったら、速効帰ってきて~と、電話しましたよ。昨日はこどもの日。そんなことスッカリ忘れ、夜にスカイプでスウェーデンに住む友人と話しながら、そういえば昨年は実家で大きな鯉のぼりが泳いでいたなぁ~と。でも、ポールを立てるのがすごく大変だったので、今年はやらずに済んでホッとしています。お父さん、せっかく買ってくれたのに、ごめんね。ブータンは、あちこちに祈りの旗がはためいているので、どさくさにまぎれ、ここで泳がせちゃえば良かったかなぁ…。さて、昨日はテンちゃんのバースヒストリーというモノを作っていただきました。生れた日・時間で、人生を読む占いに似たようなモノです。ブータン人ならみんなするそうで、例えば、この年は良くない・・・なんて時はプジャ(祈祷・法要)をしたりします。観てくれたのは大家さんの親戚の方で、テンちゃんは、健康で長生きでお金持ち、だそう。まぁ、ほんまかいなって思えるほど良いことづくめですね。前世は何と“牛”だったとか。だから、私は牛肉が嫌いなんでしょうかぁ。親の誕生年も関わり、私の要素は“鉄”、タシさんとテンちゃんは“水”だそうです。ゾンカで書かれているので、これを英訳し、ブータンの紙に印刷して、ラミネートをして大切にとっておくそうです。観てくれた方は、ビックリするぐらいの大きなおじさんで、タシさん曰く、会ったのは初めてだけど、有名な方らしく、例えばアーチェリーの大会の前などに、プジャ(祈祷)して貰ったりするそうです。それにしても、本当にプジャだらけで、昨日も朝も早くからプジャで、“鬼は外”みたいな感じで穀物をバターで作った人間の代わりのようなモノに投げました。テンちゃんは最初は太鼓とラッパの音でビックリしていましたが、自分もみんなのマネして穀物を投げ、そこにおやつのザウが入っていたので、知らぬ間に口に入れたりしちゃっていました。とにかく健康であれば嬉しいです。
(写真:おじさん、ジャイアント馬場並みで写真に入りきらず)
2011年5月3日
旅
昨日は朝6時起きで大家さんとデチェンプ・ラカンに行きました。タシさんはツアーだったので、テンちゃんを担いで登れないと最初は断りましたが、大家さんのお嬢さんは担いでくれるとのことで行ってきました。おテンちゃんはプクプクでふくらはぎに一本横線が入りましたよ。このラカンは私が大好きな地域にあります。なぜかティンプーの北の方に心が惹かれます。ぜひ、ブータンに来た折りには民族衣装を着て行きましょう(観光客は許可が難しいようなことがガイドにあり)。またまた珍事件ではありませんが、昨日はタシさんからツアー中に「モモは日本語で何?」と電話を掛かってきました。日本語でのガイドに悪戦苦闘していたようです。タシさんの言葉くらいで「日本語ガイド付き」というのは詐欺に近いですよ~。夕方になって「うちに連れて行っていいか」と連絡があり、お客様が来たいのならどうぞ、と急いでキラを着てお迎えしました。来て早々、平謝りでしたが、「英語でペラペラと、こっちのことはお構いなしにガイドされるより、ヘタでも日本語で説明してくれて、ちゃんと通じているから大丈夫」と優しい言葉をいただきました。タシさんにはまだレベルが低いので間違えて迷惑をかけないよう、最初に日本語で言って、同じことを英語でも言うようにした方がいいよ、と言っておきました。非日常を味わう旅が思いっきりJAPANで申し訳なかったので、大家さんとお隣ハセルママのキラ織りを見ていただきました。大家さんからはブータンのお土産として手作りのミニポーチのプレゼントがあり、ブータン人は興味津々なので、お客様一人に大勢が話しかけていました。都会ではありますがブータンの家庭を少し見ていただけて良かったです。正味4日間の旅だそうですが、ブータンの良さを感じて頂けるといいのですが…。今日はタシさんにキラを持たせ、もし良かったら着てみないか誘ってみるよう提案してみました。ブータンは旅行費が高くつき、しかも日本からは飛行機の乗り換えがあったり、仕事もあれば、簡単に出来る旅ではありません。タシさんには彼女にとって「最初のブータンで、最後のブータンの4日間かもしれないよ」と、いろいろ楽しませてあげるようベストを考えてね、と。会社が違ってやりにくさもあるようですが、ガイド業はやはり好きみたいですね。(写真:お天気は最近曇りがち。水たまりを発見し、何が何でも行きたがるテンちゃんを阻止)
2011年5月2日
珍事件
ここブータンの首都ティンプーの水はまずいです。煮沸して、濾過していますが、日本茶を飲むとまずさがテキメンです。なのでミルクを入れたりしてごまかさないと飲めないので、どうしてもミルクティを飲むことが多くなります。元々、山の水で硬水だから、日本で飲みなれた水と違うのかもしれませんね。うちのアパートは水が出ないということは、ほとんどないのですが、地域によっては水が出にくいようです。どうしてかタシさんに聞いてみたら、うちのアパートはCity Corporationの水ではなく、直接、貯水場からひいているんだそうです。いまいち分からないのですが、市の自治体の管理だと他にも問題があるようで、野菜市場(サブジ・マーケット)も管理がCity Corporationから他に移って、見違えるようにキレイになりました。以前はゴミだらけでニオイもひどかったのですが、今はゴミは全く落ちていません。汚くしていると罰金とか、登録抹消とかペナルティがあると大家さんは言っていました。ブータンだって、やれば出来るんですね。街も同じようになればいいのですが、ティンプーはゴミの街といえるくらい、残念なことにゴミだらけです。タシさん曰く、ゴミをそこら辺に捨てないようにするよう、ブータンでは最近になって、教育し始めたそうなので、ゴミのマナーはまだまだです。でも、たまに一斉に掃除している時があるのですが、継続はしないみたいですね。ティンプーはゴミと車の排気ガスさえなければ、素晴らしいんですけどねぇ・・・。
さて、昨日、トイレに閉じ込められてしましました。犯人はテンちゃんです。ブータンのたいていの家の扉は、日本のようにドアノブがありません。両面にロックが付いていて、出入りはロックをいじります。テンちゃんはベッドの上だから大丈夫…なんて思って、トイレにさっと入ろうとしたら、ガチャという嫌な音が。テンちゃんのすばしっこさには参ります。悪いと分かっていることは、ものすごい早さでやります。ドアをドンドン叩いて、“テンちゃん開けて”といって、彼は閉められても開けることはできません。あららぁ~と思いながら、窓から大家さんを呼んでみましたが応答なし。泣かないテンちゃんが泣き始め“やばぃ”と思っていたら大家さんのお嬢さんが偶然、キッチンマットを窓の所でパタパタ始めました。“ソナム~、テンちゃんにドアロックされた~”と助けを求めたら、すぐに来てくれました。3分くらいの閉じ込め事件でしたが、前の日にお友達とそんな話をしていたのにバカだなぁとタシさんに呆れられましたよ。
2011年4月30日
黄金週間
2011年4月27日
青空トイレ
鳥のさえずりは午前中だとばかり思っていましたが、ここでは夕方にも美しい歌声が聴こえてきます。タシさんによれば、朝に鳴く鳥もいれば、昼間、夕方に鳴くなど、鳥によって時間帯が違うと言っています。東京の鳥は鳴き声で何の鳥だか分かりますが、ブータンは種類が多そうなので覚えられるでしょうかぁ。タシさんは今、職探しをしていますが、なかなか難しいようですね。ガイドも数がたくさん増えた上に、観光客は減っているので、ガイドとしてもなかなかのようです。でも、日本語の勉強は引き続きやっています。日本人なら仕事がなくて、どうしようもない場合、少し落ち込んだり、場合によってはそれから引きこもってしまったりするかもしれませんが、ブータン人はそんな感情は微塵もないようです。もちろん無職は恥ずかしいとは言っていますが、友達とは多いに遊ぶし、とにかくブータン人はオシャベリです。きりなく話ています。いつでも人生をエンジョイしちゃっていますね。これも自尊感情の高さなのでしょうか。“仕方がない”と割り切って受け入れる幅が日本人とブータン人に違いを感じます。ここには仏教の教えが絡んでくるのでしょうか。生活しているうちに彼らの精神構造が分かってくるかなって思っています。さて、我が家は西以外、窓に覆われていて、そこから山々が望めます。緑が少し濃くなってきたようです。おトイレは座ると窓全開で山の景色が見え、とっても気持ち良くおトイレできます。最初は少し緊張しましたが、緑を眺めて開放的な気分のトイレに行くのが変な話、楽しくなってきました。ブータンの田舎の方に行くとお外でトイレすることになるようですよ。ハワイ島でもロコしか行かないビーチにはトイレがなくって、しげみの方でしましたが、これも気持ちよかったです。ブータンに来て野性的な血が騒いできたかも。
2011年4月26日
ジェームズ・ラブロック博士の言葉
地球はタフで優しい生命体である
環境の破壊について、危機感を募らせながらも、自動車を手放すことはできないし、チェーンソーで木を切って資源にすることを急にやめるわけにもいかない。牛を育てるより大豆の方がエネルギーを使わないからといって、ベジタリアンになれるわけでもありません。しかしこのままの生活では地球の荒廃を招くと、多くの人は意識するようになりました。
でも、地球をどのように管理し人はこれから何を選択していけばいいのかと考えた時、実は私たちは地球そのものについて、あまりにも無知であったのではないかと思うのです。地球は火星や金星などと大きく異なって、単なる岩石の塊のような存在ではなく、自らが生き続けようとする生命力を持っています。その決定的な違いは大気の成分ですが、40億年もの間、地球だけが二十数%の酸素を維持し続けているのです。
この酸素量がわずかに変化しただけで地球上の生物は決定的な打撃を受けますが、長い地球上の歴史の中で、どのような気象変化や変動が起きても、酸素量は神業のようにバランスを保ち続けてきました。また、人類が地球上に現れてさまざまな侵害を続けてきた以上に、もっとすさまじい攻撃――たとえば隕石(いんせき)が落ちるとか、気温が下がって氷河期に入るなどの激しい変動にも十分に耐え生き延びてきたのです。
おそらく、地球上のすべての生命が大きな自己調節システムのような働きに関与し、生命の流れを維持するように存在しているのです。ですから、いま地球環境が悪い方向に向かっているから、地球を何らかの方法でコントロールしようなどと即物的に「治療」したり、科学的な方法に奔走すべきではありません。常に地球の大きな生命の流れに沿って決断をすべきなのです。
災害に立ち向かえる文明の力を磨く
地球の資源に限りがあり、しかし手に入れた生活を過去に押し戻すことはできない。そう葛藤(かっとう)する時代にあって大切なことは、どのようにして人類と文明を保存するかです。まず、向こう100年の間に人類を襲うであろう大きな災害や不幸に対して、どう予想し、いかに対応するか。どのようにして立ち直るか。それができるのは高い文明があるかどうかにかかっていると思います。
私は、日本という国が築いてきた文明が、世界に対して規範になれる可能性を感じています。海に囲まれ、土地が狭くさまざまな制約がある中で、高い文明を築き、経済的に成功し、人々の暮らしは豊かである。資源がなくても1億人を超える人々が飢えることなく、生命を全うしていく。その知恵を伝える使命が、日本の仕事のひとつでしょう。
たとえばIT技術の発展への寄与は間違いなく地球環境への負荷を減らします。また、日本の伝統工芸や製品作りの技のように、ひとつの品を大切に愛し、息長く生活の中で使い続けることの合理性や、すぐれた知恵は確実にエネルギーの消費を減らします。私は、生物物理学者として地球や人類生命への負荷を理論的に考える時、人間の知恵は、必死でエネルギーの効率的な使いこなしを判断するのではないかと予想しています。
私たちの暮らしに欠くことのできないものは数多くあります。それを放棄したり、あきらめたり、感情的に抑えこむのではなく、替えられる方法を探し求めること。蓄えてきた文明の中から発想して、新たな100年の可能性を人類に与える仕事をあなたの立場で考えるべきではないでしょうか。
都市を離れて、感じよ、考えよ
大人は、子と自然を巡り合わせよ
たった今この世に生を受けた子供も、20年たてば成人します。その子供が、もし地球や自然、他の生命の営みについて、それが大切なものであると実感して成長したら、これはすばらしい方向をめざして歩いていくでしょう。
私も自然の中で育ちました。森の木も水も、動物も昆虫も生物として人間の仲間であることを体で分かるには、子供時代の経験が非常に大切です。都会にいて机上の学習をする時間を削り、子供を森や川や海へ連れていく努力をいとわないで欲しい。自分はナマの現実の世界の住人で、その中の一部であると感じられる体験が、必ず子供たちの生き方に反映され、環境へ取り組む思想に変化が現れます。私の父はいつも私を外へ連れ出し、4歳の時には、自然界を知るための道具は自分で作ればいいと、工具を与えてくれました。子供の心は自然界とつながっています。自分の生命が躍動するのを生き生きと感じる能力が備わっています。私は多くの調査機器を自分の手で作り、国際的な特許も数多く取りましたが、すべての原点は、大人である父の自然への畏怖(いふ)や愛情であったと思います。あなたがするべき大切な仕事のひとつはその実践です。環境への配慮ができる成人を育て、人間が地球を支配したり、コントロールしたりするのではないと体で分かる存在を送り出してください。
人間が生命体として自然の一部であることを知れば、子供は直感で、していいことと、してはいけないことを判断していきます。現在の大人たちが、今日明日に何ができるかと日常を右往左往することより、子供を育てる仕事を分かって欲しい。バトンを託しなさい。
産業は悪という時代錯誤に陥るな
かつて私たちは、フロンという物質を大量に大気中に排出し、オゾン層まで破壊する所業を行いました。自動車のクーラーや冷蔵庫という文明の快適さと引き換えに。これからは、排出しない技術開発と同時に、すでに大気中にあるフロンの処理技術開発が重要なことは明らかです。日本をはじめ各国が企業努力を続けている点です。
ただ、こういう状況の中で、だから産業は環境破壊の最たる存在だと主張する偏狭な環境主義者に、私はくみしません。彼らは言います。産業とは救いようもなく悪であり、利潤と権力を追求するあまり、有害な汚染を撒(ま)き散らしている。止めなければ、と。しかし冷静に現実を見るべきでしょう。工業生産を打ち切り、田園生活や昔の暮らしに回帰するべきだという主張は単なるおとぎばなしに過ぎないのです。
もし産業文明を放棄すれば、恐らく地球上に生きる人類のごく一部しか生き残れないのが現実です。また、今日のあなたの生活から産業製品を無くして十分に暮らしていけますか。60億人を超える人間が、これからも共に生きぬくことを考えなければならないのです。
産業文明は人類の糧です。しかも自己改革を続け、汚染を出さない低消費構造の謙虚な文明の必要に目覚めています。感情的にならず、昔はずっとよかったなどと懐古的にならず、そしてすぐに何とかしようなどと短絡的にならないで欲しい。しかし、向かう方向を間違えてはならない。日本はその役割を担っている一国です。
直感こそ、真実を捉える
私たちは、細部に隷属してはならない
私が最初に、「地球は生命体である」とするガイアの考え方を発表したのは1972年です。その当時の科学の世界は、微生物学にしても、生物地球科学にしても、専門的で非常に狭い分野の研究に向かっており、さらにその中でも細部や過程を追い求める努力がなされていました。
私には、それが問題を抱えつつある地球の全体を捉(とら)える研究には思えませんでした。医学者として経験を積んできた私にとっては、細分化した科学で地球を捉えるより、生命体のシステム科学としての地球生理学の視点こそ必要だと直感できたのです。つまり地球という惑星は人と同じ生命体であり、現在どのような病気やケガを抱えているのか診断することから始めよう、と考えたわけですね。温暖化という熱を持ち、酸性雨を処理できずに消化不良をおこし、フロンでオゾン層にケガをしている。これは死に至る病なのか。それとも、心して養生すればやがて良くなる疾患なのか、正しく診断しなくてはならない。その全体の生理を見極める主治医こそ不可欠である、と。
科学が細分化研究に夢中になっている30年前に、私のこのガイア理論は賛同を得ませんでした。ただ一人の地球生理学者が、何やらロマンチックな理論を唱えていると、学術界も科学メディアもまともに取り合うことをせず、さらに多くの反論も受けることになりました。しかし、私は自分の直感が正しいことを理解していたのです。
ほとんどの場合、直感は真実です。ただ、それをボトムダウンして一般の理解を得るには、具体的な実証がいる。10年でも20年でも、その実証には時間がかかりますがあきらめることはない。一人から出発することです。
俯瞰(ふかん)と緻密(ちみつ)さ。両方の知を備える
地球はひとつの生命体である、ひとつの環境の中にあると捉えると、自分が現在住んでいる場所でおきている汚染が、たとえば地球の反対側に影響をおよぼしているのだろうか。たとえば自国の農薬の蓄積が、数千キロも離れた国々に何かの影響をもたらすのだろうか。
私には、それが確かな事実に思えました。それを証明する機器として発明したのが電子捕獲検出器(ECD)です。たとえば英国の私の裏庭で、一定量の農薬を使ったとしましょう。ほんの数日後には、電子捕獲検出器を用いて、日本のここで、我が家の農薬を検出することができるのです。これはまぎれもない事実であり、私たちはひとつの国やひとつの地域で区切られて暮らしているのではないことを明確に教えてくれます。
宇宙開発技術の発達によって私たちはついに地球を俯瞰することができました。本当に美しい姿です。そしてこの地球が、実は人の目には見えないほどのバクテリアやその他の多くの生命によって生きていることも知らなければなりません。人間の文明社会を俯瞰しながら、それを守るための知恵を企業も、一人ひとりの生活者も考え抜く。人間はそれができる存在です。
日本の環境技術を伝えよ
その叡智(えいち)を生かし始めて欲しい
日本に何度も来て、こうしてインタビューを受けると、必ず「私たちは環境問題に取り組むために、さらに何をすればいいのか」と質問されます。環境に負荷のかからない製品を作りたいという企業の思い。環境を守る生活をしたいという人々。それに対しての私の返答は、閉鎖的にならないで欲しいということです。日本人は勤勉で、もっともっとよい製品を作ろうと一丸となろうとします。しかし、現段階で、日本はもう十分によくやっている。環境に考慮する製品作りにおいては世界のトップレベルですから、その尖(とが)った先をさらに尖らせる方向に走るのではなく、広げる、伝えるという方向に進むことを考えて欲しい。環境技術や理論をこれから他の地域や国々に生かして欲しいと願います。
技術知識は、後発の国々が今から一つずつ開発していくには難しい。需要は大きいのです。日本の技術ブランドを世界の市場に送り出して行く方法論を考える時ではないでしょうか。
私の住んでいるイングランドに日本の企業が進出し、複数の製造工場を建てていますが、10年、20年とたっても、ただの一度も労働争議が起きていない。また、小型で高度にエネルギー変換率の高い自動車は、西欧諸国の信頼を勝ち得ています。
英国も日本も、自分の力を声高に宣伝するのが得意な民族ではありませんから、いい製品を作れば分かってくれると信じる。その奥ゆかしさが私は好きですが、しかし、次は何をすればよいかと問われるとき、もっと技術と理論をアピールせよと言いたい。その叡智を世界に、と。
目先の反論を恐れるな
科学者というのは、自分の新しい理論を発表すると、多くの反論と障害に出合います。ひとつの仮説を唱えると、それを検証する世界中の科学者が、さらにさまざまな理論を発表する。こうして何度も何度も検証され本当にその理論は正しいのか試され続けます。その間、20年、30年とかかり、間違った理論はだいたい排除されていきます。
科学の世界ほどではないにしろ、どのような仕事においても反論は避けて通れないと私は思います。さまざまな人が反発し、受け入れることを拒みます。しかし、本質的に正しい仕事は必ず残っていきます。大切なのは、自分がどういう方向を見つめて進もうとしているかなのではないでしょうか。科学もビジネスも、そして政治も、何のためにという視点が抜け落ちれば、その場しのぎの弱さを持ちます。
反論や非難は決して心地よいものではありませんが、それがあるからこそ、自分一人では考えが至らなかった視点を与えられる。検証することで自分の理論や信念の正しさを確信できる。生き残る仕事は、必ず反論を乗り越えます。自分の仕事はどうか、自分の生き方はどうか。忙しい毎日でも、踏みとどまって確かめて行ってください。
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ジェームズ・ラブロック ●1919年英国生まれ。生物物理学博士、医学博士。英国国立医学研究所、米国ハーバード大学医学部、米国イェ―ル大学医学部、英国オックスフォード大学医学部などで研究員及び教授を歴任。地球がひとつの生命体であるという「ガイア仮説」によって全世界の注目を集めたフリーランスの科学者。地球環境科学への貢献で大英帝国名誉勲位を受けたほか受賞歴多数。』
2011年4月25日
ふしぎ
ここ首都ティンプーは標高2,400m以上あるので、ほんと、手を伸ばしてジャンプすれば、雲をつかめそうな気がします。昨日は大家さんが麺を作るので楽しみにしてて、と言われて待っていたら、きしめんでした。チベットの餃子モモを作る予定でしたが、時間がないので麺に変わりました。大家さん一家の娘と、ジミママ、テンジンママは裁縫の仕事に出ているので、大家さんはテンジンの面倒をみながら自分の仕事もしているので、前よりも忙しくしています。きしめんは汁につけるのではなく、味が付いていて、ネギとショウガ、そして玉ねぎのみじん切りを油で炒めたものが入っていて、軽く塩味がついていました。そーめんチャンプルーに似た味で美味しかったです。もちろんブータン人はこれにエマを入れます。ブータンの料理は日本人はあまり辛くしなければ、結構好きなんじゃないでしょうか。最近は毎晩、妹と弟、妹の彼氏が家にやってきます。レストランではないのよ、ここは。すごい勢いでお米が無くなっていきます。お父さんから貰ったお米なんですけどね。3人してテンちゃんをうばいあっていますよ。人前でクルクル回って歌うテンちゃんは見ていて楽しいのでしょうね。ほんと不思議に思うのはブータン人の顔。なんでこんなに日本人に似ているのでしょう。2~3人いれば中国人や韓国人はすぐに分かりますが、ブータン人は色黒の人、もしやサーファー?くらいで、絶対に日本人に間違えられると思います。ネパール系の人はもちろん分かりますけど…。ブータンと日本の言葉も共通するものがいくつかあったりします。弟は色もそんなに黒くないし、ジャニーズにいてもおかしくない感じです。人類の最初がアフリカで生まれ、色んな風に派生していったんだと思いますが、ブータンとチベットから中国大陸をふっとんで日本に行ったんでしょうかぁ。誰かこの謎、教えて下さい。
2011年4月22日
ご加護
昨日は風はそれほど強くなく、日差しは夏のようでした。日本よりはブータンの方がこの時期は暑いみたいです。うちの大家さんは何かとどこかへ連れて行ってくれます。先日はサブジを買いに行きがてら、話をしに来ていた尼さんを家まで送りに行きました。山の上の方に独りで住んで修行しており、お部屋を見せてくれました。たくさんのリンポチェやラマの写真が貼ってある小さな部屋にお経を読む時の座布団が置かれていました。キッチンもベッドルームも質素で小さく、全体として家というより、小屋のような感じでした。瞑想をするための家と言った感じで、久々に別世界に来たんだなぁという実感が湧きました。昨日は近くの尼寺にリンポチェが来ると言うことで、テンちゃんと私を連れていってもらいました。前にもお会いしたことのある方で、若くて奥さんも子どももいるリンポチェです。みんなキラを着ているのに私は普段着だったので、すぐに外人とわかったようで“こどもは何人?”、“テンちゃんは何歳?”など、お話してくれました。大家さんも他のみんなは頭を下げたままでした。リンポチェのご加護でしょうか、テンちゃんも私もその後、晩ご飯も食べず、お風呂も入らずに爆睡してしまいました。
ブータンは“幸せの国”と言われ、GNHで国をアピールしています。観光客はわずかな期間の滞在でそれを実感し、みなブータンやブータン人に魅了されますね。でも、仕事をしたり、ブータンに住んだりすると幸せばかりを感じる訳にはいきません。まっ、こんなこと当たり前のことですが…。様々な問題がありますが、問題の捉え方がブータン人と日本人ではまったく違っています。日本人なら不満、ブータン人は仕方がないと受け入れます。そこがこの国は幸せと言われる大きなポイントだなって感じます。度量です。ここで幸せに暮らすことはブータン人を見習って、度量を大きくする必要がありそうです。日本人は既に色んな事を知り、持っています。第四代国王は“情報量は欲望に比例する”とおっしゃったそうです。既に知っていることのレベルを下げることは非常に難しい・・・。仕方がないと受け入れられる器を私もすこしずつ持っていければな、と思います。
テンちゃんは自分で何でもつかんで食べるようになってきました。ブータンのおやつであるシップ(コーン)を切りなく食べているので虫歯にならないように気をつけたいのですが、最近、歯ブラシは舌でブロックされてしまい、なかなか難しいですね。大好きなザウ(日本のポン菓子みたいな)は、気づくと家中にまかれてしまって、後が大変です。でも、たくさん食べて元気でいて欲しい、それだけが私の願いです。
2011年4月21日
同級生
犬の遠吠えが激しく聞こえます。夜は怖くて出かけられませんね。テンちゃんはお友達にすっかり慣れた様子です。お隣の子は、ハ(ロ)セルと言います。発音が難しく、ハとロの間だそうですが、私は何度言っても違うようなのでハセルと呼んじゃいます。1歳6ヶ月でテンちゃんより3ヶ月上です。よく遊びに来てくれ、2人で仲良くやっています。テンちゃんはブータンのおやつが気に入ったようです。コーンをあげたシップとお米をあげたザウというブータンのお茶菓子です。食べ物はさすがに日本と違いがありすぎて、困ることがありますね。日本では魚や豆腐などから、タンパク源が摂れましたが、こちらでは肉かチーズ類の乳製品が主です。肉屋は恐ろしいほどの塊で売っているのでコワゴワでしたが、最近、少し慣れてきました。といっても、チキンをカットするのはタシさんの役目です。ブータンで赤ちゃんの離乳食といえば、ご飯にバターを絡めて食べさせるそうです。テンちゃんはご飯が大好きなので、バターを入れなくても、こっちのお米もパクパク食べてくれます。野菜は種類も少なく、状態が全く違うので、茹でてもなかなか柔らかくならず、野菜の甘みはあまりありません。けど、今が旬のアスパラガスはあまくて美味しいです。お料理は色んな工夫が必要になりそうですね。
2011年4月18日
日常
昨日、おじいちゃんはトンサに帰っていきました。朝早く出て、着いたのは夜でした。テンちゃんの出生届をトンサで手続きしてくれます。日本は生れて2週間以内ですが、さすがブータン、いつでも大丈夫だそうですよ。テンちゃんは何でも真似をするようになりました。さっきはドライヤーを見つけて、頭に当てていました。私の化粧品の引出しを開け、パフでパフパフやっていたり、髪止めクリップを頭に当てたりしています。もちろんブラッシングは自分でやっています。子どもの成長は早くて、これほど楽しみなことはありませんね。今のところブータンの暮らしで困っていることはありませんが、日中の風の強さと日差しにはまいります。午後から風は強くなるようで、他の地域では屋根が飛ばされているそうです。日差しは空がすぐそこにあるので、ジリジリ感じます。テンちゃんは日焼け止めを塗り忘れた日があって、かなり黒くなっています。ブータンの赤ちゃんは生れながらにして色黒みたいです。どんどん黒くなるのかと思っていましたが、小麦色の赤ちゃんを多くみます。家からすぐ近くのメモリアル・チョルテンに行ったら、インドの観光客がテンちゃんの写真をバシャバシャ撮っていました。珍しいんでしょうかねぇ…。人が笑いかけると愛想よくニコニコする子なので、みんな喜んで写真を撮っていました。妹のリンジンは電話会社に勤めていて、日勤だけではなく夜勤もあるそうです。相変わらずのエマ狂いで、頭痛ばかりしているので、お父さんに怒られていましたよ。お父さんは近い将来、お母さんと首都ティンプーに引越してくるそうです。お母さんの具合はいつも悪いので、一番大きな病院があるのと、一番下の子どもが学校に通っているので、その心配もあって、リンジンと一緒に暮らすそうです。そうしたら、頻繁に会えるので、テンちゃんも大喜びですね。 (写真:私が以前、ブータンに滞在した時に赤ちゃんだったテンジン。大きくなって、超いたずらっ子です)
2011年4月15日
始まり
思っていたより早く、ブロードバンドは手に入りました。テンちゃんが居るのでネットをワイアレスにしようと機材を日本から買っていったものの、私もタシさんもコンピューターに疎いので分からずに困りましたが、さすがブータン。色んな人が助けてくれました。なんせマニュアルが日本語なのでお手上げ。と思っていましたが、最後に登場した政府でシステムのお仕事をしているタシさんのお友達が、私のつたない英語で画面を確認しながら、あっという間に繋げてくれました。東京の家では有線だったので、ブータンの方が便利かも・・・?我が家はブータンでもアーバンライフという感じで、困るのは湯船がないことくらい。お湯は出るし、何といっても大家さんが素晴らしいです。もちろん停電はありますけどね。私が前回のブータンライフでキシと言われるノミに刺され、テンちゃんもきっと危ないなと思って、彼らの住み家と思われる床の溝を埋めてくれないか、提案したところ、全ての部屋の溝をパテで埋めてくれました。フロワーの色もきれいに塗り替えてくれました。私達が早く住めるように、家具も前のように配置をし、お布団までひいて待っていてくれました。一家総出で3日間かけて、準備したそうです。前に貸していた人が独身男性だったので、驚くほど汚く使っていたそうで、シャワールームの床は何センチもゴミが溜まっていたそう。何かと“テンちゃん”と少し変テコなイントネーションで声をかけに来てくれます。これまた、さすがブータンと思うのは、大家さん一家や、アパートの他の住人や親戚など、毎日、代わる代わる来客あって、片付けはなかなか進みませんでしたが、あと一ヶ所でブータンライフを快適に始められそうです。タシさんのパパであるお爺ちゃんは、自分を“メメ”(おじいちゃん)と呼ばせようと、一生懸命、テンちゃんにメメ・メメ言っていますがテンちゃんはお構いなし。けど、テレビの怖いシーンでお爺ちゃんのあぐらの上にちょこんと座ってテレビを見ていました。妹のリンジンは相変わらず可愛く、でも、すっかりOLさんになって、大人になっていました。タシさんの一番下の弟が実家のトンサから出てきて、今は美術の勉強をしています。彼も赤ちゃん好きで、ひんぱんに遊びに来て、テンちゃんにちょっかい出しています。こちらの男性は、まるで若い女の子のように赤ちゃんを可愛がりますね。テンちゃんはエマ(唐辛子)入りのおっぱいのせいか、よくクルクルとまわっています。日本の家族は寂しがってはいますが、現状を考えるとブータンに戻って良かったのかも・・・と言ってくれているので少し安心しました。これからパパとテンちゃんと3人で、チョルテンに行ってお祈りしてこようと思います。 (写真:妹のリンジンと弟のツェワン)
2011年4月7日
売切れゴメン
無事、ブータンへ着きました。そして、涙の日々から解放されました。きっと私は悲しみから逃れたかったんだなぁと日本を離れてから気づきました。まったく弱い人間です。ドックエアーでは日本ではあり得ないと思いますが、首相と同じ列でしたよ。お疲れなのか、ずーっと寝ていたようです。テンちゃんはまったく泣きもせずに、ご機嫌な旅だったようです。環境の変化が少し心配でしたが、大家さん一家にものすごく可愛がられて良かったです。同じアパートに1歳上と3ヶ月上の男の子が居るなので、かなりエンジョイしちゃっています。1階に住んでいた女の子が居た一家が、離婚して居なくなっていたのに時の流れを感じちゃいました。今日まで部屋の片づけと掃除をしていたのでホテル暮らしでしたが、明日からはアパートに戻ります。ただ、ネットを早くつなげたいなぁと思っていたら、ブロードバンドが売り切れたそうで…。そんなことってあるんですね。これを機会にネットから遠のくのも良いかなぁと思ったりもしましたが、友達は心配しますね。このブログはほんと個人的なくだらない内容なので、知り合いだけに公開したらいいかなぁと検討中です。家族はそろそろ涙の生活が終わってくれているといいのですが…。それにしてもブータンは誰もが赤ちゃん好きで、ホテルスタッフが荷物を持ってくれると思いきや、テンちゃんを持ってくれて自分達で荷物を運んだのに笑えました。かわるがわる、男の人も抱っこしたがります。そして、みんな“重い”といいます。見た目はそんなに見えませんが、石のように重いです。テンちゃんの言葉はどうなるかなぁと思いましたが、ブータンの言葉ゾンカは、お友達と遊んでいれば自然と覚えられそうですね。今日は大家さんのところで、久々のブータン料理を堪能しました。といっても、エマ(唐辛子)をほとんど使わないでくれたので、ブータン人には物足りなかったかも・・・。
(写真:空港にて。首相たちは赤い絨毯を用意され、私たちがタラップを降りる時には、さっさと片付けられましたよ)


